2015年09月15日

久しぶりに

随分と長く留守にしていた自宅に戻ってきたような感覚がある。このBlogの存在自体を忘れていたほどに,私自身も見ることさえないままに,別の仕事に追われて,気がつけば何年も過ぎてしまった。
確かに,転勤とともに,まったく新しい世界に踏み込み,その仕事に専念しているためではあるが,少し余裕も出てきたので,新しい世界のことも含めて,書いてみようかと思う。

そのきっかけは,留守にしていた数年の間,スマートフォンやタブレットの普及によってインターネットがより身近になるとともに,BlogおよびLINEなどのSNSを舞台に悪質なネット上の誹謗中傷がさらに加速している現実がある。
事実でないことをさも事実であるかのように書くことができるのがネット(Blogなど)の恐ろしさであるが,最近はこのようなネット上の他者に対する悪質な虚偽記述や誹謗中傷を裁く法整備も進んでいる。(まだ不十分ではあるが…)
不特定多数に対して,事実かどうかを確かめることができないのを悪用して,事実であるかのように装って,(被害を受けているかのように,特定の人間を加害者に仕立て上げるなどの手法を使って)相手を貶めることを目的として「攻撃」する。自己正当化のためや自分に対する評価を上げるためとはいえ,姑息な手段である。(世の中,実にさまざまな思考の人間がいる以上,しかたがないことかもしれないが…)

今更とも思うが,まだ執拗に自己正当化のために他者を中傷する偏狭な妄想老人が暗躍しているのにも驚く。今更,なんで…である。

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2013年03月19日

伊集院静の文章U

伊集院静の『大人の流儀3 わかれる力』を一気に読み終えた。春風のような清々しさとほろ苦い哀愁が心に残った。

以前にも書いたが,彼の文章が私は好きだ。特に彼の書くエッセイには,常に気づかされ,教えられ,確かめさせられ,そして納得する。洒脱軽妙な文章である。

実体験を通した経験の一つ一つに,その時に感じた思いと後に振り返った時に気づいた思いが重なり,含蓄のある言葉(文章)となって表現される。味わいが後を引く文章である。

何よりも,彼の文章には悪意がない。底意地の悪さがない。人間に対する信頼と尊敬があるからだろう。「叱る」ことはあっても,「貶める」ことはない。

それに比べ,品性のない文章は,そのほとんどが自己正当化・自画自賛に終始しているか,他者に対する非難と攻撃性に満ちたものであるかのどちらかである。さらには,自己正当化のために他者を攻撃したり,他者を扱き下ろすことで自賛する。これなどは最低と思う。


的外れな批判を「したり顔」で書く世間知らずもいる。

ハンセン病国賠訴訟以後,あるいはらい予防法廃止以後,ハンセン病問題を語る学者や教員,運動家に対して「…彼らの隔離の誤りを語る者たちの大半は,らい予防法が存在したときにもすでに人権研究者,人権運動家,教員,有識者,マスコミ人であったはずである。らい予防法が悪法だというのなら,なぜらい予防法が存在したときに,その悪を語らなかったのか」というバカバカしい批判を平気でする大学教授がいる。そして,この一文を,我が意を得たりとばかりに図に乗って,学者や教員を批判して自画自賛する人間もいる。

では聞くが,その時のあなたは何をしていたのか。その当時,私はあなたの名前など聞いたこともなかったが…。自分を棚に上げて何を況んや,である。

一体,何人の人間が,あの当時,ハンセン病問題に関わっていただろう。「ハンセン病」という言葉さえ知らず,「癩病」に対する恐怖心と偏見しか聞かされていないのがほとんどの人間ではなかっただろうか。

「人権研究者,人権運動家,教員,有識者,マスコミ人」を批判しながら,なぜその中に「キリスト教者(信徒,牧師)」など宗教関係者は含まれないのか。
知っていながら,「慰め」「慰安」の訪問のみで,らい予防法や隔離政策に反対も抗議行動も起こさなかったのは誰であったのか。(中には,犀川一夫氏のようなキリスト者もいるが)

私が言いたいのは,「知らなかった時のこと」について後から批判することは容易いし,そんなことを穿り返して批判することに何の意味があるのか,ある。

作家の高橋和巳に「知ったことに対する無関心は,悪ですらなく,人間の物化である」という言葉がある。私は,遅かろうが早かろうが,知った時に「無関心」ではなく,自分にできることをすればいい,と思っている。

ただ人を責めるだけの文章など,品性を疑う。

歴史の過ちを正直に認め,その歴史から何を学ぶかであろう。そして,他者を責める前に,まず自らを問うべきであろう。自らの「今」を問わず,他者の過去を責める愚かさこそ,私は糾弾したい。

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2013年03月07日

「悪口」と「批判」

前回に続き,「批判」について考えてみたい。

世の中には独特の考え方をする人がいる。そのような人は,往々にして通常とは異なるその人独自の「表現」や「言葉」を使う。その人独自の解釈による「表現」「言葉」であって,通常の解釈や意味とは異なる。誰にも迷惑をかけない「独り言」程度の「言葉遊び」ならば,それもよかろうが,自己流の解釈と「表現」「言葉」によって他者に不快感をあたえている場合,それは誰にとっても迷惑でしかない。

池田晶子さんの『考える日々』に,次の一文がある。

…「批評」と「悪口」の違いを,わかっていない。ていよくは「批判」と言われたりもするが,もしもそれが正当な批判であるなら,批判の基準は客観性にあるはずである。
ところで,客観性とは,主観性ではないから客観性というのであって,いつどこで誰が考えてもそのようであるというその基準は,したがって,批判しているその人には,その意味では無関係である。また,批判されるその人にも,同じ意味で無関係である。そこで正当に批判されるべきなのは,つねに,「考え」,誰のものでもなく,したがって誰のものでもあるその「考え」だけのはずである。なぜ,誰であるかが問題か。
誰であるか,が問題である人が多いように思う。「考え」と「人」とを,うまく分けられないのだろう。分けられないから,その人の「考え」を批判しているうちに,「その人」が気に入らなくなってくる。気に入らないなら,ほっときやいいのに,ほっておけずに悪く言う。言論の人々,これを「批判」というのらしい。悪口とは違うと思うのらしい。
わざわざ自分の人生の時間を割いて,他人の考えを批判するからには,それが世のため人のためでなければウソであろう。その人を叩きたいがために叩いているような意見を,世の人はまず聞いていない。みんなそんなに暇ではないのである。
ところが,ここが面白いのだが,言論の人々,自分たちの論戦の雌雄を決することが,世界と歴史を決することだと,深く思い込んでいる。だんだんと思い込むようになるのだろう。すでに感情の泥仕合と化しているもの,アイツを叩くことが世界と歴史を決することでなければ,公である手前,引っ込みがつかないとやはり感じるのだろう。
しかし,そんなことは,ないのである。アイツは世界ではないのである。井のなかの言論戦とは無関係に,世界と歴史は本日も滞りなく,その歩みを進めている。

(言論の中の「悪口」と「批判」)

この一文を読みながら,思い出されることがある。なるほど,そういうわけだったのか,と妙に納得してしまった。


ブログが普及した結果,誰もが一端の評論家のように世情や物事に対して意見を述べたり,批評を書いたりする。これ自体に何の問題もないが,中に「論文」「批判検証」と諄いほどに言い訳を書きながら,実際は他者に対する「悪口」「揶揄」「愚弄」でしかないブログもある。感情にまかせて言いたい放題,他者の人権など無視である。それに引き替え,自分の人権だけは主張する。何とも自分勝手な言い分と思う。

私に関しても好き放題に書いている人がいるが,何一つとして私が納得する内容はない。論争をする気にもならないほどの的外れな内容である。論理そのものが,よく言えば推量だが,実際は臆測でしかない。あまりも稚拙な邪推である。
一度も会ったことも話したこともない人間に関して,何年間も悪口雑言を書き続ける無神経さと執念深さに辟易してきた。その独善的な解釈(曲解)は,結論ありきが前提で,その結論につながるように何事も解釈していく手法は論理ではない。書かれている本人が思ってもないことや考えてもないことを断言され,事実でないことを事実であると断定され,唖然とした。
これって「批判」なのか?どう考えても「悪口」(しかも独断と偏見から)であって,根拠も曲解でしかない。

人間,相性もある。意見や考えの相違もある。好き嫌いもある。気に入らないことも多々あるだろうが,池田さんが言うように,「考え」と「人」を分けられないのだろう。

どれほど高尚な論述をしていようとも,正当な提唱であろうとも,その文章表現に他者に対する尊重もなく,他者の「人」(人格・人間性)に対して悪意ある揶揄・愚弄を書くならば,それは「批判」ではなく「悪口」でしかない。


ここ1ヶ月ほど,ハンセン病一筋に医療に携わってこられた犀川一夫氏の書かれた自伝的な回想録『門は開かれて』『ハンセン病医療ひとすじ』を耽読していた。

彼は光田健輔の愛弟子であるが,隔離政策に反対し,光田退職後に愛生園を去り,海外や沖縄での外来治療方式を推進した。

彼の著書を読みながら,不快感がまったくなかった。むしろ清々しさ,人と人との交流の温かさを強く感じる。人に対する「視線」がちがうのだろう。
彼の著書には「批判」はあっても「悪口」はない。

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2013年02月24日

「批判」

前回,私は「前任者の自殺」などとブログに書くことへの無神経さを問題にしたが,それは死者はもちろんであるが,それ以上に遺された遺族への配慮のなさに呆れたからである。自分のことしか考えない人間の傲慢さへの怒りである。


そのような無神経な人間とは対照的な人間もいることをあらためて知った。

先日,週刊誌(漫画だが…)に掲載されていたエッセイに深く考えさせられた。
著者は,話題の映画『遺体〜明日への十日間〜』の原作者である石井光太さんである。この映画は是非とも観たいと思っている。

無断転載ではあるが,このエッセイの全文(「ちいさなかみさま」)をPDFにして掲載しておく。多くの方に読んでもらいたいからである。

このエッセイで紹介されている二人の「死者に対する畏敬」の姿に感動した。
人は,時として,その在り方によって自らの本質を見せる。決して意識しては見せることのできない姿である。本質は,自然のうちにあって無意識に体現されるのである。意図的に自らをよく見せようとか,評価してもらおうとかという姑息な人間には真似さえできないだろう。高慢さは高慢さとして,姑息さは姑息さとして表出される。

自己正当化・自己保身のために「他者の死」さえも利用する者は,いくら強弁しようとも,多くを語れば語るほどに,指の間から零れ落ちる砂のごとく,その本性を曝け出す。品性の乏しい人間が書く文章に他者の傷みへの共感はない。自分を容認する者,自分を評価する者には優しく,自分を批判する者,自分の考えと相容れない者には非難と攻撃を行う。


一人は,専門学校の葬儀関連コースで「死に化粧の方法」を教えている宿原さんである。

「故人にお化粧をする際は、まず手を合わせて『おじいちゃん、ちょっと協力してね』と声をかけてから、行うようにしています。死に化粧っていうのは、単に化粧をすればいいというわけではありません。
最近の人は延命治療を受け、薬漬けにされて亡くなるので、とても苦しそうな表情をして口を開けたり、眉間に雛が寄っていたりします。お化粧の前は筋肉を揉みほぐし、ロを閉め、表情をできるだけ和らげなければならないのです。そうやって表情を変えてから、保湿クリームをたっぷりと塗った上で、ご遺族に生前の表情をお聞きしたりしながらお化粧をしていくのです」

「ただ、自殺した方の場合、参列される方々もそのことを噂として知っていることがあります。そんな時、ご遺族には尋ねにくいので、葬儀会社の人間である私に『死因はなんですか』と尋ねてくるのです。そんな時、私は『心筋梗塞です』と答えるようにしています。ご遺族の立場を守るために、そう答えるのです。嘘だと言われれば嘘かもしれませんが、故人のプライバシーを守るのもーつの仕事なのです」

自殺だと答えれば、参列者の間に噂が広まり、遺族はさらに辛い思いをする。それを防ぐのも自分の仕事だと考え、化粧と言葉で故人のプライバシーを守っているのだ。

宿原さんのように,たとえ多くの参列者が知っていようとも,故人の尊厳とプライバシーを守り,遺族にさり気なく気遣う人間もいれば,故人と遺族が特定できるにもかかわらず「前任者が自殺」と自己保身のために繰り返し書く人間もいる。遺族への心遣いさえせず,まして同業の宗教家であるにもかかわらず,まるで戒律を破った者への見せしめのように,死者に鞭つ。

「善きサマリア人」とは誰だろうか。


もう一人は,映画にも登場する,東日本大震災の直後に死体検案の仕事をした医師である。津波で亡くなった人が毎日何十人も運ばれてくる中,一体一体遺体を調べて死因を書き記し,DNA試料を採取した。

最初に私がK医師と話をした時,こんなことをつぶやくように言っていた。

「みんな窒息だから,本当に苦しそうな顔をしていたよ。口を開けて叫ぶような表情だった。毎日,何十体もそれを見ていると,ほとほと気が滅入ってきた」

遺体はヘドロにまみれ,ねじまがり,苦しそうに顔を歪めたり,何かにしがみつく姿をしていたりしていた。同じ町の人たちがそんな姿となって運ばれてきて遺族が泣き叫ぶのを目の当たりにするのは,さぞかし辛かっただろう。

それから約一年が経った。ある夜,私はその被災地を訪れ,K医師と仲のいいS歯科医と酒を飲んでいた。その時,S歯科医が言った。

「K医師いるでしょ。先日,あの人が震災の特番に出たんだよ。その時,K医師はテレビカメラの前で,こう言ったんだ。
『津波で死んだ方々は即死だった。だから,まったく苦しんでいなかった』って。
俺も遺体安置所で歯形の確認をしていたし,K医師もずっとご遺体の検案をしていた。だから,ご遺体が苦しそうな顔をしていたのはわかっていた。それでも,K医師はテレビを観ている遺族に配慮して,『津波で死んだ人は苦しんでいなかった』って言ったんだよ。俺は本当にK医師が偉いと思ったよ」

テレビの前で嘘をつけば,記録として残ってしまうし,同じ医師から「何を言っているんだ」と非難される可能性もある。だが,K医師はそのリスクを承知した上で遺族の気持ちを考えて嘘をついたのだ。

私は,石井さんの最後の言葉が強く心に残っている。

…人は死に際して多くの荷物を遺していくものであることを思った。遺族だけでそれを支えきれない時,周囲の人々がそれを分かち合って支えなければならない。そうして初めて遺族は生きていけるのだ。

東北大震災,巨大津波で犠牲になった多くの方々を取材する中,「遺体」に寄り添う遺族を支える人々の姿を間近に見ることで,石井さんは知ったのだろう。

「事実」であれば,それを公開してもよいのだろうか。公開することで傷つく人や悲しむ人,不愉快な思いをする人がいても,「事実」であれば明らかにしても構わないという考えにはなりたくはない。黙して語らず…私ならそちらを選ぶ。世の中の,まったく関係のない人々にまで言い広めて何になるというのだろうか。私には理解できない。


池田晶子『考える日々V』に「他人を言い負かしたいだけの人」と題した一文がある。

「批判」という言葉を使いながら,実は「たんなる揶揄と中傷と揚げ足取り」でしかない他者への「批判」を書く人々への痛烈な「批判」の一文である。
哲学者らしい明晰な論理展開である。

たぶん忘れているのだと思うから,あえて教科書的なことを述べるけれども,この言葉の本来の意味,すなわちその行為と精神の本来は,例のカントの『純粋理性批判』,あの意味における「批判」に尽きている。考える機能としての理性が,自身の妥当性を吟味し,判断するということである。易しく言えば,「考える」ということを考えることで,それがどう正しくどう正しくないのか,より明らかに知ることである。

なぜそんなことをするかと言えば,より明らかに知りたいからに決まっている。そも「要る」ということは,より明らかに知りたいという動機以外によっていないのだから,知るために考える限り,考えることを考え始めるのは当然である。こう考えることは,正しいのか,正しくないのか,正しくなければ,どう正しくないのか。それを知ることで,さらに明らかに知ることができる。「批判する」とは,こういうことを言うのである。

なるほど,考えることを考えるとは,それ自体が否定の活動ではある。すでにそう在る事柄について,それはどういうことなのかと考えるのだから,理性とはその本性が否定性なのである。しかし,理性によって否定することと,感情によって非難することとは違う。たとえは,マルクスによるヘーゲル批判,ああいうのを正当にも「批判」というのである。考えのみによって,考えをひっくりかえしてゆく,それができない程度に応じて,人は感情的になる。

ネット社会となり,人々が自分の意見を述べる場が拡がったことで,誰もが手軽に(安直に)何にでも首を突っ込み,勝手な意見を述べる。「言論自由」を批判しているわけではない。ただ,その内容に,その人間の姿勢が反映する以上,「何でも書けばいい」という「自由」が他者を傷つけ,他者の人権を侵害している事実を批判しているのだ。

出版される本には,それでも編集者(そのレベルには疑問も感じるが…)によって「校正」が行われている。他者(専門家)による「チェック」が行われるか,独りよがりの文章が垂れ流されるか,その違いだ。blogの弊害を私は問題視しているのだ。

「文章作法」についても同じである。論文でもレポートでも「書き方」を学ぶ機会は減少しているのではないだろうか。それ以上に,意識して勉強(修練)する人間が少ないのではないか。

昔は,文章の書き方を高校から大学にかけて担当教官やゼミ教官から厳しく指導された。学生もまた,論文では清水幾太郎や桑原武夫,小説や評論では三島由紀夫や小林秀雄など多くの名文家の本を読んだり,彼らの文章を参考にしたりして表現方法を学んだ。

文章は誰かに指摘されることで上達する。誰からも指摘されないことは不幸とさえ思う。独り善がりの文章と内容により,気づかないままに他者を傷つける文章を書き続ける。

「…たんなる揶揄と中傷と揚げ足取り」とは,実に言い得て妙である。「批判」と称しても,その内容が他者に対する「揶揄と中傷と揚げ足取り」であれば,そこに真実などありはしない。「批判」と思っているのは当人だけであり,もし共感する人間がいれば彼もまた同程度なのだと私は思う。

…また,自分には窺い知れない他人の仕事について,安直に口を出すべきではない。小説家は小説を書き,哲学者は哲学をする。そこに何の不満があるのか。何にでも口をつっこみたがるのも,「言論界」にたむろする人々の見苦しい行ないである。

批判といい,批評といい,本来は正々堂々の精神活動なのである。それを今日のような下劣な姿に貶めたのは,他でもない「言論人」たちの,その品性なのである。

池田氏の痛烈な批判に自らの顧みるべきだろう。「言論人」がblogの登場により「一般人」(blog人)に拡大されている。内情深く知りもしないことを,まして一面識もない(直接に知りもしない)他者のことを,安直に語るだけでなく,的外れな「批判」などすべきではない。
知らないからこそ「虚偽」を捏ち上げるしかなくなるのだ。それこそ「嘘」に「嘘」を重ねるしかなくなるのだ。

もっとも良識ある人間はそんなことしないだろうが…。

posted by 藤田孝志 at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月17日

Time goes by

携帯電話のCMに,Every Little Thing の「Time goes by」が使用されていて,最近よく耳にする。好きな曲のひとつだが…。

今年度はとても早く月日が過ぎていったように感じる。年々,そう感じる度合が増してきていると思うのは,きっと自分が歳をとってきたせいだろう。


先日,久方ぶりに古書店を訪ねたところ,3月で閉店するという。専門書を扱う古書店としては在庫量も多く,探求書の何冊かはここで見つけたことがある。
閉店ということで8割引とのこと。だが,お目当ての本も,いつか買おうと思っていた本も,時すでに遅く,ほとんどが消え去っていた。埴谷雄高全集など高価な本が1000円ほどで買えるのだから…。専門書にしても,有名な本や希少本などその世界での資料的価値の高いものは早々に買い求められていた。残念であるが,仕方がない。今週末にもう一度時間をかけて探そうと思っている。

買い求めた数冊の中に,池田晶子『考える日々U』がある。偶然に手にとって拾い読みをしていて,「江藤淳氏が自殺した」の一文が目にとまり,つい買ってしまった。江藤淳氏が亡くなったことは知っていたが,その死の事実については知らなかった。別に死の真相が知りたかったわけでもなく,池田晶子氏が江藤氏について何を書いているかに興味があったからだが,江藤氏の死に関してはさすがの一言であった。

…自殺した人の本当の思いは,その人以外にとっては,やはりどこまでも推測でしかあり得ない。

見事であるというか,彼女らしい。

遺族にとって,人の死,それが自殺であれば,尚更に触れてほしくはないのは当然だろう。それが普通の感覚だと思うが,自分のことしか考えない人間もいる。
自己正当化の手段として,自分がおかれた境遇の厳しさやそれを克服してきた自分を誇張するための対比として,他者の自殺(「前任者が自殺した」)を繰り返し書き続ける無神経さに不快感を禁じ得ない。ブログに公開している文章であれば,名前を伏していても,簡単に個人を特定できるにもかかわらず,関係者にとっては辛いであろうことを,そのことで自分が被った迷惑ばかりを強調して非難する無責任さにも辟易する。
人の死を利用する傲慢さと自己顕示欲に呆れ果てる。

池田氏の同書に,埴谷雄高を知る人たちにインタビューしてまとめた本の著者に対する批判が書かれている。

埴谷氏の最後については,深く傷ついている人がいる。私は彼女らから何度も相談を受け,できる限りのことをしたつもりで自分ではいる。そして,このままでは彼女らがあまりにも気の毒だと思ったので,ある雑誌で企画を実現させた。埴谷雄高の日常を最も知るのはこの人たちだと。
当の学生が,私に無礼なことを書いて寄こしたのは,この後である。私が彼女らを「利用した」と。…

今にして思うと,彼は,埴谷氏の身辺を調べるうちに,その最後に関して様々な出来事があったのを知り,特ダネを見つけた,というふうに思ったのではなかろうか。…

…しかし,こじれにこじれた版元や御近所や親類の方との関係の中で,ありのままを述べれば,傷つく人や迷惑する人がたくさんいる。何よりも埴谷氏の名誉がある。…

学生は「事実は明らかにしなければならないじゃないですか」と言ったことがある。しかし,事実の断片を聴き回り,それを公にすることで,傷つく人がいることを,どう考えているのだろうか。

…だからこそ,彼は,人を利用し,再び人を傷つけていることを,知ることがない。
世の中には,為すべきことと,為すべきでないことがある…

私も「当の学生」が書いた『変人−埴谷雄高の肖像』を読んでいる。今回,池田氏の文章が気になり,改めて読み返してみたが,それほどには感じなかった。だが,関係者には許せない内容もあるのだろう。埴谷氏のファン(愛読者)にしてみれば,知られざる一面を垣間見る面白さが十分に感じられる一冊だろう。埴谷雄高に深く関わった人たちが彼の著書や彼自身との出会いを基本軸にしながら,彼に関わるエピソードを交えながら自分自身の思いを語ることで埴谷雄高という巨大な思考体を多面的に分析していくように読めるインタビュー集と思う。

しかし,ある事実(言動・体験)は関係者の視点や捉え方によって,様々な解釈となって残る。全く正反対の受け止め方で人の心に残ることもある。

「事実の断片」を拾い集めても「事実」になるわけではない。「断片」は「断片」でしかない。その「断片」を憶測で繋ぎ合わせても,どれほどの「事実」(真実)に辿り着けるだろうか。
むしろ,憶測が一人歩きしてしまう危険がある。「仮説」である憶測が次の憶測のために「事実」にすり替わり,そこから憶測が始まって「仮説」を生み出すという,いつしか独善的・独断的に「仮説」が「事実」となってしまう。

さらには,最初から「結論」が用意されていて,それを証拠(理論)立てるために「事実無根」「虚偽」さえ捏ち上げる。「虚偽」を「事実」にする詐欺師まがいの手管を労してまで自己正当化をはかる人間がいる。人が傷つくことも,人を不愉快にさせることも,自己保身のためには何も思うことさえない。そんな人間がいる。

その池田晶子氏も亡くなって久しい。ここ数年,随分と気になる人たちが亡くなっている。やがて私もこの世を去るだろう。その時までに,私は何を為すことができるか,何を残すことができるか。

遺すものを創造しながら生きていこうと思う。ただ,人を不快にさせたり,傷つけたりするものを自分の人生として遺すような愚かさだけはしたくない。そう思っている。

posted by 藤田孝志 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

自惚れた大義名分…「三園長証言」

修学旅行の新たな訪問先に「沖縄愛楽園」を選定し,従来の平和学習に「ハンセン病問題」を組み込んで以来,「戦争とハンセン病」に関係する書物を読み深めている。その中の一冊,藤野豊氏の『戦争とハンセン病』は,戦前の隔離政策が戦後も継続した歴史的理由を明確に解き明かしており,ハンセン病の歴史的背景がよくわかる。

特に「三園長証言」における光田健輔の果たした役割の大きさに慄然とした。一人の権威(権力)を持つ人間が頑迷に自説に固執するとき,歴史において取り返しのつかない罪過を生み出す。自説に固執し,自己正当化を図るほどに,その罪過は大きくなる。まるで,嘘をごまかすために更なる嘘を重ねるように。

光田健輔は自らの虚偽に気づいていたのだろうか。彼ほどの勉強家であれば,最新の医学情報を知らぬはずはないだろう。私は,彼の言動の根底に,異常とさえ思えるほどの自負心を感じる。

光田は「三園長証言」において,ハンセン病の感染力の強さ,家族間の感染を強調することで自説である「強制隔離と断種」の必要性を強く述べ,さらにはプロミンの効能にも疑問を呈している。


戦後,アメリカからハンセン病の特効薬であるプロミンが入ってくると,ハンセン病の症状は劇的に軽快した。このプロミンの成果により,「不治の病」であったハンセン病が完治可能な病気となったことで,厚労省も「絶対隔離政策」の方針を転換する方向に動き出した。
しかし,これに猛反対したのが光田健輔である。

1951年11月8日,ハンセン病政策について審議していた第12回国会参議院厚生委員会に5人の参考人が招致され,その中に多摩全生園長林芳信,菊池恵楓園長宮崎松記,長島愛生園長光田健輔の三園長がいた。彼らの証言を「三園長証言」といい,この「三園長証言」によって戦後の絶対隔離継続が決定づけられたとされている。
藤野氏は,三人の発言は実際には異口同音ではなかったと分析し「林は,隔離強化を求めるとか,軽快退所に反対するというような発言はいっさいおこなっていない」「患者が自主的に隔離に応じるような療養所の改善の必要に言及していた」と,他の二人とは大きく異なるものであるという。私も「証言」を読んでみて同感である。宮崎や光田とは趣旨がちがっている。

林は,プロミンによる治癒を前提にした法改正を求め,宮崎と光田は治癒を否定して隔離強化のための法改正を求めた。三人の発言を「三園長証言」と一括することはできない。隔離強化のための法改正を求めて,宮崎は過去の戦争を,光田は現在の戦争を,それぞれの根拠とした。


私が問題としたいのは,光田健輔の頑迷さである。

光田が最終目的としたのは,「ハンセン病の根絶」である。そのために感染源であるハンセン病患者を収容施設(療養所)に「強制連行・強制収容」して「絶対隔離」する。そして,絶対に退所させない「終生隔離」を行う。光田健輔が推進してきた絶対隔離政策である。

さらに光田はハンセン病患者の徹底根絶のため子孫さえ認めぬ「中絶」「断種」を推進する。感染症であるハンセン病にあっても「罹患しやすい素質は遺伝する」と光田は考えていたからである。
光田は,1906年の論文で「癩病に犯され易き体質に寄生発育して数年の潜伏期を待ちて之の人を癩病たらしむ」と述べている。


時は流れ,ハンセン病医学も進歩し,治療薬プロミンが劇的な成果を生み出しても,光田の信念は変わることはなく,むしろより意固地になっているように思える。
光田には「韓国・朝鮮人に対する激しい民族差別の感情が根強く存在した」と,藤野氏は指摘する。

「三園長証言」のなかで,光田健輔が隔離強化の根拠としたのが,朝鮮戦争下の韓国・小鹿島からハンセン病患者が日本に流入しているという事実認識であった。

…光田がこうしたことに言及したのは,歴史的に多くのハンセン病患者が朝鮮半島から日本に流入しているという彼独自の思い込みによるものであった。

…光田が衆議院行政監察特別委員会でおこなった証言は,事実に基づかない思い込みや推測で述べたものに過ぎない。故意に事実ではないことを光田は吹聴し,絶対隔離政策維持の根拠としたのである。この証言は,絶対隔離政策維持のために故意になされた偽証に限りなく近いものであった。朝鮮戦争に乗じて「韓国癩」の恐怖を煽り,絶対隔離政策を維持させようとした光田の戦略であった。

藤野氏が引用している長島愛生園の金泰九さんの逸話は,私も直接に聞いて知っているが,光田のパターナリズムを象徴していると思う。

光田健輔にとっての大義名分は「ハンセン病の根絶」であり,そのためには「絶対隔離」も「中絶」「断種」さえも手段として肯定される。
目的のためにはいかなる手段も肯定される。事実に基づかない虚偽であっても,自説の正当化のためであれば平気で嘘を突き通す。国際会議の動向さえも自説に反する場合は徹底して無視する。

光田が出席した1923年の第3回国際らい会議において,世界の趨勢が家族内隔離に移行していることに対して「再発の恐れ」を理由に光田は隔離を主張して反対している。
さらに,1951年に日本を訪問した外国人医師との議論でも自説を頑強に主張し,翌年に東京で開かれた「国際ハンセン病化学療法研究会」においても外国人医師の研究成果に対して自説を主張して譲らなかった。
この頑迷さ,剛愎な性格,意固地さは,どこから来るのだろうか。ハンセン病研究の権威者としての自負心からだとすれば,自惚れも甚だしい。謙虚さを失った研究者に進歩はない。

光田の「ハンセン病根絶策」は実に単純である。
日本中の「ハンセン病患者」をすべて見つけ出して「強制収容」して一歩も外に出さない「絶対隔離」を行いながら,収容者の子孫を残さないように「中絶」「断種」を強要することで,日本国内を「ハンセン病患者」の存在しない「無菌状態」にする。そして,ハンセン病患者がすべて「死亡」することで彼の政策は完遂する。

光田の大義名分は,自説を狂信する「自惚れ」でしかない。その結果,多くの人間を絶望の淵に追い込み,人生を狂わせてしまった。それどころか,多くの人間を死へと追い込んでしまった。

光田のように自説に固執し,自説の正当化のためには手段を選ばず,勝手な大義名分を振りかざして攻撃する人間は,現在もいる。

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2013年01月18日

本に導かれて

年末から成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』を読んでいた。ハンセン病に関する書籍のほとんどは読んできたが,2009年6月に発刊された550ページの大著は買ったままに机の横に置いたままになっていた。

ハンセン病の歴史的考察としては,『「いのち」の近代史』など藤野豊氏一連の労作や大谷藤郎氏の『らい予防法廃止の歴史』,各ハンセン病療養所が編纂した記念誌などがあるが,本書はこれら労作以上の体系的な「ハンセン病問題史」である。もっと早くに読めば良かったと後悔さえする。

なぜこのような国家的規模の悲劇が百数十年間にもわたり続いてきたのかを,成田氏の言葉を借りれば「癩を病んで終生隔離された人に共感もせず,共存までも阻んできた施策の歴史を,書き残さなくてはならない思い」から,膨大な資料をもとに究明しようとした試みである。
特に,各療養所自治会の機関誌や記念誌,関係資料を丹念に読み込み,さらに専門医としての医学上の歴史的変遷に関する分析も含めて,実に仔細な考察を行っている。
この一冊で,我が国のハンセン病問題の歴史を概観することができると言っても過言ではないだろう。


本の中に紹介(引用)されていた内容からその本へと,その本や著者に興味がわいて次の本へと導かれていくことは多い。

本書の一節に,1951年に山梨県の寒村で起こった「一家九人服毒心中事件」に関する記述があった。事件自体は知ってはいたが,本書に「伊波敏男のよる詳細なルポルタージュがある」と書かれていて,伊波氏の著書『夏椿,そして』が紹介されていた。

急ぎ,伊波氏の著書を古書店で探して購入し,一気に読了した。
本書は品切れ・絶版となっていたが,現在は大幅な加筆・改稿が行われ,さらに新稿を加えて書名も『ゆうなの花の季と』と改めて出版されている。

本書は,伊波氏がまるで運命の糸に手繰り寄せられるように,各地で息を潜めて生きるハンセン病回復者の過去と内に深く秘めた思いを,詩情豊かな語り口で伝えていくルポルタージュである。

だが,描かれる一人一人の壮絶な半生は,思わず「もしハンセン病に罹患していなければ…」と考え込んでしまうほどに苛烈で酷い。ハンセン病に罹患したために人生を狂わされた人々だけでなく,ハンセン病はその家族や親族,友人・知人さえも容赦なく「ちがう人生」を歩ませてしまう。

複雑に絡み合った「要因」を解きほぐしてみても,ただ虚しさだけが残る。誰一人として悲しみをもたない人間はいない。誰もが無情の思いをもつ。それがハンセン病問題の深刻さである。

伊波氏とはどのような人だろうか。彼の自伝ともいえる『花に逢はん』を入手して読んだ。休日の朝に届いた本書を,昼食も忘れるほどに夢中で読み耽った。


今まで療養所の中におられる入所者の方を中心にハンセン病問題を考えてきた。もちろん,社会に復帰された方が多くおられることを知らないわけではなかったが,彼らの秘した生活に思いを馳せるだけだった。しかし,それは甘い認識でしかなかったことを,伊波氏の著書から痛感させられた。

伊波氏のもとに,「ハンセン病」という運命の糸に手繰り寄せられるかのように,数奇な人生を送らざるを得なかった人々が集まっていく。彼の著書を読みながら,そんな思いを抱いてしまう。

彼らの人生を翻弄させたものは一体何だろうか。考え込んでしまう。複雑に縺れ合った運命の糸の中で翻弄される彼ら自身もまた,なぜ私は…という問いを発し続けてきたことだろう。

秘して生きる。隠して生きる。知られないために細心の注意を払い,世間や周囲の目を常に気にして生きる。
ハンセン病に罹患していたことが知られたとき,彼らを襲う世間の容赦ない対応も,まだ昔のことではない。

「秘して語らず」。これは,ハンセン病と関わりを持った者が,この国で生きるための鉄則であった。しかし,その人たちの悲しみは,癒されることもなく,時の中に埋もれようとしている。

…「ハンセン病」が,いつも「死」に寄り添いながら存在していることである。その「死」とはハンセン病を病死と結びつけた懼れではない。社会から与えられる「烙印」への恐怖が,「死」へと誘うのである。それは,病人だけでなく,近親者も巻き込んで行った。

伊波敏男『ゆうなの花の季と』「時の中に埋もれて−はじめに」より

本書の中で特に胸を打つのは,一家九人の服毒心中事件を訪ねた「往路のない地図」と,父親を事故でなくし,葬儀に一時帰宅したハンセン病の母親が村に入れてもらえず,八幡神社の森陰から葬列を見送った後に縊死した娘との邂逅を綴った「散らない花弁」である。

ハンセン病に対する偏見と無知が人間の心を狂わせ,ハンセン病罹患者だけでなく近親者・関係者すべてを不幸に突き落としてしまう。悲劇は幾重にも重なって…人の心に決して癒えることのない傷を残す。

部落問題との接点を実感する。

posted by 藤田孝志 at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

新しい年に

振り返れば,転勤して今日まで実に慌ただしい一年であった。それは決して悪い意味ではなく,私にとっては「原点回帰」ともいえる充実した教師生活であった。
すばらしいスタッフと生徒によって新生の歩みを着実に踏み出している本校に転勤できて,本当によかったと思っている。日々の充実と新しいことへのチャレンジは,自分を活性化させてくれる。
同じ環境に長く身を置くと,自分の生活や完成が知らないうちに淀んでくる。本やネットの世界以外,日常が閉塞された空気の中では,思考もまた停滞してしまう。気づかないのは本人だけだが…。
やはり,人間は人間との出会いと交流の中で成長していくのだと実感している。


転勤を機会に,弊サイトの構成を新たにして半年,ここに至ってBlogのプロバイダーを変更せざるを得なくなった。

TypePad, Inc. 社(米国)が TypePad Pro(個人向け)の日本語でのサービス提供を終了することになりました。これに伴い、 2013 年 3 月末日をもって TypePad Pro(個人向け)は日本語でのサポートおよび管理画面の日本語化対応を終了します。
また、シックス・アパート株式会社の国内総代理店契約も 2013 年 3 月末日をもって終了することとなりました。
TypePad Pro(個人向け)は、TypePad, Inc. 社(米国)より提供され、 2013 年 4 月以降も引き続きご利用いただけます。

気に入っていたBlogだけに残念である。このまま使用することも考えたが,サポート体制が不明である以上,別のプロバイダーに移行することを決めた。新しい弊siteの構成は前のBlogと同様に,次のようにした。

(1) 時の流れの中で (http://fujita-t.seesaa.net/

「教育・社会・人生・思想」などを中心に,断片的な思いを書いていこうと考えている。
特に,「いま・ここ」に生きる私の興味・関心に従って,率直な意見を述べていきたい。



(2)
我が心は石にあらず (http://meinherz.seesaa.net/

「部落史・部落問題」に関する研究ノートである。できるだけ最新の研究成果を反映させたいと考えている。
特に,各時代における多様な部落史像を追究していきたい。また,部落問題の歴史的背景についてもまとめていきたい。



(3)
存在を問い続けて (http://existenz.seesaa.net/

「岡山部落解放史」に関する研究ノートである。岡山の部落史に関係する史実や史料について考察していきたいと考えている。
特に,県北(美作地方)で起こった「解放令反対一揆」(明六一揆を中心に)や「渋染一揆」について,ライフワークとしてまとめていきたい。



(4)
史実の深層を求めて (http://geschichte.seesaa.net/

中世から近・現代における史実や歴史認識に関して最新の研究成果を紹介しながら,歴史を知ることの意味について考察していきたいと考えている。
特に,画一的な歴史像ではなく多角的・多面的な歴史像から歴史の実像をまとめていきたい。



(5)
心の壁を越えるために (http://mauer.seesaa.net/

「ハンセン病問題」に関する研究ノートである。部落史との関連,近代の国家的隔離政策の歴史的背景,また入所者に対する人権侵害などについて多面的に考察していきたいと考えている。
特に,地元にある長島愛生園・邑久光明園に関する実態,資料の考察をまとめていきたい。


振り返ってみれば,インターネットの世界に足を踏み入れて10数年が過ぎようとしている。HPを開設し,試行錯誤しながら自分の研究成果を公開してきたが,その間に社会は大きく変貌してきたように思う。部落史・部落問題に関する世界も,同和教育・人権教育の世界も,予想していた以上の変容を感じている。その最も大きな要因は,同和問題に関する法的措置の終了に伴う学校教育における部落問題の扱いであろう。

「同和教育から人権教育への移行」といいながら,実質的には部落問題学習の終息であった。学校現場の自由裁量の拡大という理解のもと,結局は同和問題を学校教育で必ずしも扱う必要がないという大義名分が与えられたのである。
部落問題ではなくハンセン病問題を教材に扱うことで,人権教育は成立する。

はたして現在も「部落問題」を扱っている学校,部落問題学習に取り組んでいる学校がどれほど残っているだろうか。今の若い教師で,いったい何人が部落問題について教えるだけの知識と認識をもっているだろうか。

私がHPを開設した当時,部落問題をテーマにしたサイトが,研究機関だけでなく個人のサイトも多くあった。メインテーマでなくとも部落問題や部落史に関係している内容を扱っていたサイトは,相当数あった。だが,現在では数えるほどになってしまっている。私が交流していた個人サイトも,そのほとんどが閉鎖状態である。いつしか更新されなくなり消えてしまったサイトがいくつもある。

その一方で,名称や組織運営を変えながら継続している研究機関のサイトがあるように,今も地道に活動を続けている個人サイトもある。彼らの真摯さに敬服する。


この大きな変動の中で,私自身もいろいろと考えることが多かった。
学校教育の変容を現場で日々痛感しながら,同和教育から人権教育へと姿を変えていく中で,その変容を「発展」にできないかと,大切なものだけは失うまいと,焦っている自分に気づくこともあった。
あるいは,まるで窓辺に腰掛けて眼下を流れる雑踏を眺めているよう時期もあった。人の流れが速過ぎて,しかもどちらに向かうかさえ見えず,その流れに飛び込むことを躊躇していた。

気がつけば,学力低下を理由に「新学習指導要領」が詰め込み教育の再来を予感させる教育課程と学習内容を提示し,人権教育さえも学力保障の一環へと流されようとしている。
長引く不況の中で,いつしか実力主義による経済的社会的な淘汰と格差が容認されようとしている。弱者の定義さえもが国家的危機のもとでは曖昧にされてしまう。本当の意味での社会的弱者が見えなくなってしまっている。


実は,私もサイト自体を閉鎖し,ネット世界から撤退しようかと思い悩んできた。
意味あることではなく,無意味なことに振り回されたり,本来の目的から大きく逸脱したことに煩わされたりすることに辟易していたからである。瓦石に等しいことに貴重な時間を費やすほど愚かしいことはない。
当初に計画していた新しいHPを中心としたサイト構築も,次第に無力感が強くなって放置してしまう状態が長く続いていた。

そうした数年間を過ごし,今年の転勤を機に,今まで放置してきた問題に片を付けようと思い,暫定的ではあるが,サイトの再構築を試みた。ネット上の煩わしい動向は無視して,自分のすべきことを着実に進めていこうと決心した。
積み上げたままの書籍や収集したままの資料を整理しながら分析・考察に全力を尽くし,その過程の中で書いたものを公表していこうと思う。


旧HPには,語り尽くせぬ思いがあり,閉鎖を決断するまでには随分と悩んだ。
だが,どこかで区切りを付けなければならないという思いもあった。いつまでも過去にとらわれてもいけない。心を整えなければならないと決めた。死んだ後までも人目に晒すことは,私の心情にはない。私の心の中に残しておくだけでいい。

願いは必ずしも叶うものではない。大切なものを失うことも人生にはある。生涯に渡って後悔することもある。砂上の楼閣でしかなかったと思い知らされることもある。だが,それもまた「時分の花」と思う。人に人の人生があり,それぞれの「時分の花」があるように,私にとっての「時分の花」であったのだと,秘することもまた「花」である。


しかし,実際にBlog中心に構成してみると,本来の趣旨との違和感を強く感じるようになった。やはり,私の考える弊siteの展開は,HPの方が適していると思うようになった。

Blogが主流の中で,私も自分のBlogを立ち上げてみたが,私にはHPの方がいい。日記や雑文を時系列的に書くだけならBlogの方が簡単ではあるが,体系的な構成と内容を考えれば,HPの方がわかりやすく整理しやすい。見る方も見やすく,検索もしやすいだろう。
例えるならば,Blogは小説や評論であり,HPは辞典や全集である。どちらの方がよいとかではなく,それぞれに用途と目的によって選択すればいいと思う。私にとっては,BlogよりもHPの方が最適と思うに至っただけのことで,他者と比較する気はない。

blogは本来が日記のような書きっぱなしに向いているので,私のように内容を書き直したり論文を発表したりする形式には向いていないように感じている。もちろん,形式や方法の工夫で目的を達成できるのだろうけど…。思いつきを毎日ダラダラと書くのは好きではないので,私は別の用途に使いたいと思っている。

無意味なものや不要な文章群をいつまでも「記録」「足跡」のように残すつもりもない。私は個人的な日記などのように一度書いたものはそのままにしておくべきとは考えていない。個人的な日記だからなど理由にもならないと思うが,公開している以上は過去の記述であってもまちがったことや事実に反する内容については「訂正」「修正」「削除」すべきと考えている。同様に,自分にとって不要になったり気に入らない文章は,書き直したり消去したりするのは当然のことと思っている。

また,過ぎ去ったことや結論の出たことにいつまでもこだわる気はない。自分にとって関わりのないことに時間を割くよりも,自分にとって必要なことに時間を使いたい。


現在,「あひる企画」と相談して,以前のHPのままに内容を充実させながらの再構築をしようと準備をすすめている。今後は,内容を整理したりcontentsを再構成したりしながら自分が考えるHPに創り上げていくつもりだ。
特にcontentsに関してはジャンルなどわかりにくい点もあるので,site mapの構成も考え直してより見やすいものに変えていきたい。また,内容では,最近の研究成果や現在の私の考えと異なる文章もあり,いくつかの論文や指導案は修正が必要である。部落史学習や人権教育に関する指導案や授業実践の資料なども新しいものを公開したいと考えている。


ここ数年,自分の納得できる研究や論考ができていない。

さまざまな要因があると思うが,意欲がわかない。興味や関心が薄らいだわけではないが,以前のような探求心というか追究心というか,そのような内面的な情熱が湧いてこない。
研究テーマが拡散してしまったことも原因とも思う。充電期間が長すぎて,あれもこれもと手を拡げてしまった感じがする。テーマを絞るべきとも考えている。

また,自分本来のスタンスに立ち戻る必要も感じている。原点を再確認すべきであると考えている。


今年は,部落史とハンセン病について今まで断片的に書いてきたものを,整理・追加・再編集してまとめることで総括していきたいと考えている。特に,渋染一揆と解放令反対一揆に関しては論考を論文にまとめておきたい。

また,部落史学習に関して指導案および教材集を作成したいと考えている。私は,マニュアル教材や,資料の使い回し,ワンパターンの授業実践を否定してはいるが,叩き台となる資料や教材が少なすぎる現状も感じている。だから,何年も何十年も前の教材や指導資料が使われ,もはや時代にそぐわなくなっている部落史が語られているのだ。

体系的に整理された部落史の教材集,歴史や社会が専門の教師でなくとも使える学習教材や指導集を作成するつもりだ。


あらためて「部落問題とは何か」「部落差別とは何か」を問いたいと思っている。
部落史を学ぶほどに,この語り尽くされてきたように思える問いが未だ解明されていないことを痛感する。長い歴史の中で,各時代によって様々な実相を見せてきた被差別民の姿を各時代の政治的社会的体制の中で複雑に絡み合う関係性において理解しようとするならば,画一的な捉え方ではなく多様な歴史像として捉える以外に総体としては理解できない。

今年は,各時代の実相としての部落史像を捉え直してみたいと思っている。部落史の概観を再構成することで,部落問題の変遷が見えてくると思う。特に,時代の移行期が重要となる。

posted by 藤田孝志 at 01:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月13日

教科書至上主義の弊害

教員向けの情報誌『社会科navi』(日本文教出版)に,藤井譲治氏の「ようこそ!歴史史料の世界へ」が連載されている。今号(2012 vol.2)では「慶安御触書」が取り上げられている。

「慶安御触書」は,2006年度版から帝国書院・教育出版などほとんどの教科書から姿を消し,大坂書籍(日本文教出版)では「百姓の御触書」,東京書籍では「百姓の生活心得」と改訂され「幕府が1949年に出したと伝えられる32条の触書」と注記している。

このように,もはや「慶安御触書」は「1649年に幕府が出した法令」とは認められなくなり,教科書から姿を消すか,注記されて記述されるようになったが,その経緯と理由を藤井氏は次のように簡潔にまとめている。

…この「慶安御触書」は,八代将軍吉宗が編纂させた幕府の法令集『御触書寛保集成』(1744年完成)にも,江戸時代前期の幕府法令集『御当家令条』にも,さらに当時の幕府法令を藩や村で書き留めた触留などにも見いだすことはできない。一方,「慶安御触書」の名でこの触書が姿をみせるのは1830年美濃岩村藩で版行された時のことであり,また1843年に完成する幕府の正史『徳川実紀』には「慶安御触書」の名はないものの当該触書が引かれ,典拠として「条令拾遺」が示されている。

…1999年に山本英二氏が『慶安御触書成立試論』(日本エディタースクール出版部)を上梓することでほぼ結論をえた。その主要な点を以下にあげよう。

@いわゆる「慶安御触書」は1697年に甲府藩が出した「百姓身持之覚書」を引き継いだもので,幕府の法令ではなく,1649年に出されたものでもない。
A「慶安御触書」は,『徳川実紀』の編纂を主宰した大学頭林述斎が,生家である美濃岩村藩を指導し,1830年に岩村藩で刊行させたもので,名はその時のものである。さらにこの時,この触書は「公儀」=幕府の出したものとされた。
B『徳川実紀』が,出典としてあげる「条令拾遺」は,『徳川実紀』の編纂過程で収集されたものであり,そこでの名は「百姓身持之覚書」である。
C岩村藩で刊行された「慶安御触書」は,その後,多くの藩で1649年に出された幕府法令として扱われ,領内の農政に利用された。

(藤井譲治 前掲)

このように教科書記述もまた歴史研究の成果によって大きく変化してきている。このことは歴史研究の進展によるものであり当然のことではあるのだが,教科書によって学習する現在の教育制度において,教科書至上主義の弊害という問題を露呈した実例の一つである。

長い間,「慶安御触書」は江戸時代の農民の生活実態,幕府による農民支配,さらには年貢収奪の根拠として,拡大解釈・誇張されながら教育現場で使われ続けてきた。貧しい生活・厳しい支配・冷酷な年貢収奪の証拠とされ,その結果,貧農史観が成立していった。そして,生徒の江戸時代及び江戸時代の農民,何より賤民のイメージは「暗黒の時代」「悲惨な生活」が形成されていくことになった。

ある小学校教師が「稗・粟・雑穀を食べ」の一文を基に,米をすべて年貢に差し出して「稗・粟」しか食べられないほど厳しい支配を受けて貧しい生活を余儀なくされている農民生活を実感的に教えるため,「稗・粟」に近い「鳥の餌」を買い求め,水に溶いてレンジでチンさせて食べさせようとした授業があったと聞いたことがある。

同様に,「渋染一揆」においても,農民の厳しい生活と厳しい農民支配を理解させるため「慶安御触書」がよく引用されてきた。

先ほどの小学校教師は,さらに「農民がこれほど悲惨な生活をさせられていたのなら,さらに低い身分の人々はどんな生活をさせられていただろう」と続けたという。この授業を受けた生徒がどのようなイメージを農民や賤民に対して抱いたかは想像に難しくはないだろう。

教科書を唯一絶対化させているのは,教師の責任でもあるが,入試制度という足枷に縛られた現状では致し方ない側面もある。ただ,教科書を盲信する危惧だけは発信し続けたいと思っている。

「教科書を教えるのではなく,教科書で教える」のが教師の立場であると私は思っている。

posted by 藤田孝志 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

差別に関する断想T:「理由」の否定

我々は,<差別の理由>を否定しているのか,それとも<差別>を否定しているのだろうか。

今までの部落史研究は,<差別の理由>を<差別>の根拠と考え,その<理由>を批判・否定することが「差別問題の解消」となると信じ,<差別の理由>をさがしてきた。

部落差別の原因を「近世身分制」に求め,「賤民」「穢れ」に求めてきた。
なぜ当時の社会や政治,人々が特定の人間を<差別>したのかと,その<理由>を探って研究を続けた。
<差別の理由>が明らかになれば,そして<差別の理由>を否定できたならば,<差別>は解消できると信じて,特定の人間を<差別>した<理由>を探してきた。

しかし,<差別の理由>が否定されたからといって,<差別>は解消・解決するだろうか。

「賤民」である(とされた)から<差別>されたという<理由>が否定されることで,部落差別は解消するだろうか。
「賤民」でない者を「賤民」として<差別>したのだから,「賤民」であることを否定すれば,「賤民」ではなかったことを証明すれば,部落差別は解消し,部落問題は解決するのだろうか。

(その時代の)人々は,彼らが「賤民」であるから<差別>したのだろうか。


確かに,何らかの<理由>はあったのだろう。その<理由>が非科学的なものであり,作為的につくられたものであったとしても,それを迷妄する者によって<理由>として正当化されていったのだろう。

その一つが「穢れ(ケガレ)」であった。

「ケガレ」を迷信であると否定することは,<差別の理由>を否定することである。
しかし,それだけでは<部落差別>は解消・解決することはない。

なぜなら,<差別>そのものが否定されないからだ。<差別>それ自体を否定する人間の生き方・在り方・考え方が必要とされている。

<差別の理由>を理解・認識しても,<差別>をするかしないかは別である。

<理由>を否定することと,<差別>を否定することは,同じでなければならない。


…ハンセン病っていうのは,必ず隔離とか差別・偏見につながるものです。もし治療できなかったら差別していいのか,偏見をもっていいのか,個条書きになっている文章を否定してみたらよくわかるんですね。うつる病気だったら差別していいのか,よくないですね。遺伝病であれば差別しても問題はないのか,…

(邑久光明園名誉園長牧野正直『ハンセン病市民学会年報2011』)

なぜハンセン病患者は隔離・排除され,差別されてきたのか。

長くハンセン病は「遺伝病」「天刑病」「伝染病」として,人々から偏見と差別の目で見られ,社会から排斥され,国家によって離島などに隔離され続けてきた。
その理由は,「遺伝」「伝染(感染)」である。

ハンセン病問題に関する啓発では,この2つの理由を否定することが中心であった。「遺伝病」ではない。「感染」力は非常に弱く,うつらない病気である。

<理由>を否定することにより,ハンセン病問題は解決すると考えてきた。

確かに「病気」という観点からは,完全に治癒できる,感染力が非常に弱い,遺伝病ではないという「まちがった知識の改訂」「認識の改善」は,ハンセン病への偏見をなくす効力はあった。人々の認識から「こわい病気」ではなくなった。

しかし,<理由>を否定することは,別の<理由>を肯定することになる。

ハンセン病は「感染力が弱い」「遺伝病ではない」から<差別>してはいけないという論理は,「感染力が強い」あるいは「遺伝病である」ならば,<差別>してよいという論理を導くことになる。

「病気」である以上,感染力が強ければ「隔離」は当然である。感染することを恐れるのも当然である。人類あるいは社会を守るという観点に立てば,隔離もまた必然である。

では,ハンセン病が解明されていなかった時代に行われた隔離政策も人々の偏見・差別も仕方がなかった(当然のこと)であったのだろうか。

「隔離」と「差別」は根本的に別のことである。この認識があるかないかであろう。


部落差別の理由を「賤民」であったかどうかに求めるのは,部落が「賤民」であったことを「理由」に差別されている場合に有効であるが,他の「理由」が要因であれば効果的な方策とはならないだろう。

部落問題は複雑な構造をもち,差別の要因も多様であると考える。

一つの要因を否定しても,他の理由があり,かつ新たな要因が発生する限り,差別の解決には至らないだろう。


<本来「賤民」でないにもかかわらず,特定の人間を「賤民」として差別してきた>は,賤民肯定論である。
<本来「賤民」は存在しないにもかかわらず,特定の人間を「賤民」として差別してきた>は賤民否定論である。

前者は,「賤民」という存在がいたことが前提となる。つまり,「賤民」でなければ差別されない(差別されなかった)のである。では,「賤民」であれば差別されてもよいのだろうか。差別は「賤民」であるかどうかで決まったことになる。

後者は,「賤民」そのものが存在しなかったことが前提となる。存在しない「賤民」という存在をつくり,差別の対象とした人間や社会の在り方が問われなければならない。

私は「同じ人間」を「賤民」と規定し,差別の対象とした人間や社会,そうした賤民肯定論そのものを否定する立場に立つべきと考える。

同様に,「身分」などあるべきではないにもかかわらず,「身分」「身分制度」を創造し,肯定した人間及び社会,学問を否定する。

祖先の「末裔」ではなく,祖先の「身分の末裔」を声高に言うこと自体が時代錯誤である。祖先が「百姓身分」であろうが「穢多身分」「非人身分」であろうが,「武士身分」であろうが,身分・身分制を否定して成立している現代社会においては時代に逆行する考えである。
祖先を誇りに思うのは当然であるが,祖先の身分を持ち出して,その身分の「末裔」だから誇りを持たなければならないなど,身分肯定論でしかない。ナンセンスな話だ。

祖先の「身分」が現在の人間を規定しているなど,それこそ「部落差別」の温床であろう。
松本治一郎の言葉「貴族あるところ賤族あり」と同じである。

posted by 藤田孝志 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 差別論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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