2012年11月13日

教科書至上主義の弊害

教員向けの情報誌『社会科navi』(日本文教出版)に,藤井譲治氏の「ようこそ!歴史史料の世界へ」が連載されている。今号(2012 vol.2)では「慶安御触書」が取り上げられている。

「慶安御触書」は,2006年度版から帝国書院・教育出版などほとんどの教科書から姿を消し,大坂書籍(日本文教出版)では「百姓の御触書」,東京書籍では「百姓の生活心得」と改訂され「幕府が1949年に出したと伝えられる32条の触書」と注記している。

このように,もはや「慶安御触書」は「1649年に幕府が出した法令」とは認められなくなり,教科書から姿を消すか,注記されて記述されるようになったが,その経緯と理由を藤井氏は次のように簡潔にまとめている。

…この「慶安御触書」は,八代将軍吉宗が編纂させた幕府の法令集『御触書寛保集成』(1744年完成)にも,江戸時代前期の幕府法令集『御当家令条』にも,さらに当時の幕府法令を藩や村で書き留めた触留などにも見いだすことはできない。一方,「慶安御触書」の名でこの触書が姿をみせるのは1830年美濃岩村藩で版行された時のことであり,また1843年に完成する幕府の正史『徳川実紀』には「慶安御触書」の名はないものの当該触書が引かれ,典拠として「条令拾遺」が示されている。

…1999年に山本英二氏が『慶安御触書成立試論』(日本エディタースクール出版部)を上梓することでほぼ結論をえた。その主要な点を以下にあげよう。

@いわゆる「慶安御触書」は1697年に甲府藩が出した「百姓身持之覚書」を引き継いだもので,幕府の法令ではなく,1649年に出されたものでもない。
A「慶安御触書」は,『徳川実紀』の編纂を主宰した大学頭林述斎が,生家である美濃岩村藩を指導し,1830年に岩村藩で刊行させたもので,名はその時のものである。さらにこの時,この触書は「公儀」=幕府の出したものとされた。
B『徳川実紀』が,出典としてあげる「条令拾遺」は,『徳川実紀』の編纂過程で収集されたものであり,そこでの名は「百姓身持之覚書」である。
C岩村藩で刊行された「慶安御触書」は,その後,多くの藩で1649年に出された幕府法令として扱われ,領内の農政に利用された。

(藤井譲治 前掲)

このように教科書記述もまた歴史研究の成果によって大きく変化してきている。このことは歴史研究の進展によるものであり当然のことではあるのだが,教科書によって学習する現在の教育制度において,教科書至上主義の弊害という問題を露呈した実例の一つである。

長い間,「慶安御触書」は江戸時代の農民の生活実態,幕府による農民支配,さらには年貢収奪の根拠として,拡大解釈・誇張されながら教育現場で使われ続けてきた。貧しい生活・厳しい支配・冷酷な年貢収奪の証拠とされ,その結果,貧農史観が成立していった。そして,生徒の江戸時代及び江戸時代の農民,何より賤民のイメージは「暗黒の時代」「悲惨な生活」が形成されていくことになった。

ある小学校教師が「稗・粟・雑穀を食べ」の一文を基に,米をすべて年貢に差し出して「稗・粟」しか食べられないほど厳しい支配を受けて貧しい生活を余儀なくされている農民生活を実感的に教えるため,「稗・粟」に近い「鳥の餌」を買い求め,水に溶いてレンジでチンさせて食べさせようとした授業があったと聞いたことがある。

同様に,「渋染一揆」においても,農民の厳しい生活と厳しい農民支配を理解させるため「慶安御触書」がよく引用されてきた。

先ほどの小学校教師は,さらに「農民がこれほど悲惨な生活をさせられていたのなら,さらに低い身分の人々はどんな生活をさせられていただろう」と続けたという。この授業を受けた生徒がどのようなイメージを農民や賤民に対して抱いたかは想像に難しくはないだろう。

教科書を唯一絶対化させているのは,教師の責任でもあるが,入試制度という足枷に縛られた現状では致し方ない側面もある。ただ,教科書を盲信する危惧だけは発信し続けたいと思っている。

「教科書を教えるのではなく,教科書で教える」のが教師の立場であると私は思っている。

posted by 藤田孝志 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月12日

差別に関する断想T:「理由」の否定

我々は,<差別の理由>を否定しているのか,それとも<差別>を否定しているのだろうか。

今までの部落史研究は,<差別の理由>を<差別>の根拠と考え,その<理由>を批判・否定することが「差別問題の解消」となると信じ,<差別の理由>をさがしてきた。

部落差別の原因を「近世身分制」に求め,「賤民」「穢れ」に求めてきた。
なぜ当時の社会や政治,人々が特定の人間を<差別>したのかと,その<理由>を探って研究を続けた。
<差別の理由>が明らかになれば,そして<差別の理由>を否定できたならば,<差別>は解消できると信じて,特定の人間を<差別>した<理由>を探してきた。

しかし,<差別の理由>が否定されたからといって,<差別>は解消・解決するだろうか。

「賤民」である(とされた)から<差別>されたという<理由>が否定されることで,部落差別は解消するだろうか。
「賤民」でない者を「賤民」として<差別>したのだから,「賤民」であることを否定すれば,「賤民」ではなかったことを証明すれば,部落差別は解消し,部落問題は解決するのだろうか。

(その時代の)人々は,彼らが「賤民」であるから<差別>したのだろうか。


確かに,何らかの<理由>はあったのだろう。その<理由>が非科学的なものであり,作為的につくられたものであったとしても,それを迷妄する者によって<理由>として正当化されていったのだろう。

その一つが「穢れ(ケガレ)」であった。

「ケガレ」を迷信であると否定することは,<差別の理由>を否定することである。
しかし,それだけでは<部落差別>は解消・解決することはない。

なぜなら,<差別>そのものが否定されないからだ。<差別>それ自体を否定する人間の生き方・在り方・考え方が必要とされている。

<差別の理由>を理解・認識しても,<差別>をするかしないかは別である。

<理由>を否定することと,<差別>を否定することは,同じでなければならない。


…ハンセン病っていうのは,必ず隔離とか差別・偏見につながるものです。もし治療できなかったら差別していいのか,偏見をもっていいのか,個条書きになっている文章を否定してみたらよくわかるんですね。うつる病気だったら差別していいのか,よくないですね。遺伝病であれば差別しても問題はないのか,…

(邑久光明園名誉園長牧野正直『ハンセン病市民学会年報2011』)

なぜハンセン病患者は隔離・排除され,差別されてきたのか。

長くハンセン病は「遺伝病」「天刑病」「伝染病」として,人々から偏見と差別の目で見られ,社会から排斥され,国家によって離島などに隔離され続けてきた。
その理由は,「遺伝」「伝染(感染)」である。

ハンセン病問題に関する啓発では,この2つの理由を否定することが中心であった。「遺伝病」ではない。「感染」力は非常に弱く,うつらない病気である。

<理由>を否定することにより,ハンセン病問題は解決すると考えてきた。

確かに「病気」という観点からは,完全に治癒できる,感染力が非常に弱い,遺伝病ではないという「まちがった知識の改訂」「認識の改善」は,ハンセン病への偏見をなくす効力はあった。人々の認識から「こわい病気」ではなくなった。

しかし,<理由>を否定することは,別の<理由>を肯定することになる。

ハンセン病は「感染力が弱い」「遺伝病ではない」から<差別>してはいけないという論理は,「感染力が強い」あるいは「遺伝病である」ならば,<差別>してよいという論理を導くことになる。

「病気」である以上,感染力が強ければ「隔離」は当然である。感染することを恐れるのも当然である。人類あるいは社会を守るという観点に立てば,隔離もまた必然である。

では,ハンセン病が解明されていなかった時代に行われた隔離政策も人々の偏見・差別も仕方がなかった(当然のこと)であったのだろうか。

「隔離」と「差別」は根本的に別のことである。この認識があるかないかであろう。


部落差別の理由を「賤民」であったかどうかに求めるのは,部落が「賤民」であったことを「理由」に差別されている場合に有効であるが,他の「理由」が要因であれば効果的な方策とはならないだろう。

部落問題は複雑な構造をもち,差別の要因も多様であると考える。

一つの要因を否定しても,他の理由があり,かつ新たな要因が発生する限り,差別の解決には至らないだろう。


<本来「賤民」でないにもかかわらず,特定の人間を「賤民」として差別してきた>は,賤民肯定論である。
<本来「賤民」は存在しないにもかかわらず,特定の人間を「賤民」として差別してきた>は賤民否定論である。

前者は,「賤民」という存在がいたことが前提となる。つまり,「賤民」でなければ差別されない(差別されなかった)のである。では,「賤民」であれば差別されてもよいのだろうか。差別は「賤民」であるかどうかで決まったことになる。

後者は,「賤民」そのものが存在しなかったことが前提となる。存在しない「賤民」という存在をつくり,差別の対象とした人間や社会の在り方が問われなければならない。

私は「同じ人間」を「賤民」と規定し,差別の対象とした人間や社会,そうした賤民肯定論そのものを否定する立場に立つべきと考える。

同様に,「身分」などあるべきではないにもかかわらず,「身分」「身分制度」を創造し,肯定した人間及び社会,学問を否定する。

祖先の「末裔」ではなく,祖先の「身分の末裔」を声高に言うこと自体が時代錯誤である。祖先が「百姓身分」であろうが「穢多身分」「非人身分」であろうが,「武士身分」であろうが,身分・身分制を否定して成立している現代社会においては時代に逆行する考えである。
祖先を誇りに思うのは当然であるが,祖先の身分を持ち出して,その身分の「末裔」だから誇りを持たなければならないなど,身分肯定論でしかない。ナンセンスな話だ。

祖先の「身分」が現在の人間を規定しているなど,それこそ「部落差別」の温床であろう。
松本治一郎の言葉「貴族あるところ賤族あり」と同じである。

posted by 藤田孝志 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 差別論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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