2012年03月20日

出会い・別れ・再会

教師にとっての3月は,複雑な思いで過ごす特別な月である。
教え子が巣立っていく卒業の日があり,日々を過ごした職場である現任校と同僚との別れである転勤の時期がある。3月は「別れ」の時である。

教師の日々は,4月の出会いに始まる。新しい同僚,新入生との出会い,新しい1年間が始まる。そして,その日々は必ず1年間で終わる。なぜなら,必ず「別れ」が待っているからである。それは「宿命」である。


私にも,ついにその日が訪れた。転勤である。9年間という長い日々を過ごした現任校との別れである。在任教員の中で最も長く勤務している私であるから一応の覚悟はしていたが,いざ内示を受けると複雑な心境は否定できない。

「教師にとって最大の研修は,転勤である」と,以前にある方から教えられたことがある。その時は,その意味を十分には理解できなかったが,この9年間の月日の中で,そして今回の転勤に際して,少しはわかるような気がしている。


転勤に際して,今一度,教師として如何に生きるか,如何にあるべきか,自分に問い直してみたくなり,書棚から一冊の本を開いた。その中に,私が折に触れて読む「一文」が収録されている。

その一文とは,長く徳島県立徳島商業高等学校に勤務された岡本顕史郎先生の書かれた「Y子は獅子になった」である。

岡本先生が最初に赴任された高校で出会った女子高生Y子さんとの思い出を綴った一文であり,彼と部落問題との出会い,生涯を同和教育に賭したきっかけが綴られている。

幾度読み返したであろうか。その度に,私は私に立つ位置を確認することができた。

「私は勤めだした時,どちらを向いて仕事をすれば良いのでしょうか。」
「どういう事でしょうか,具体的におっしゃて下さい。」
「生徒の方を向いて仕事をすれば良いのか,それとも学校の方を向いて仕事をするべきなのでしょうか。」
「君はどう考えますか。どの様にしようと思っていますか。」
「いつも生徒の方へ顔を向けて仕事をしようと思います。」
「結構です。君の考えどおりにして下さい。教育は教師の自主性やロマンがなければ駄目だと思います。」

校長先生との面接の会話である。

教師を志す者は,誰もが共感するだろう。誰もが,岡本先生のような志で教育をしようと,生徒と向き合っていこうと思うだろう。

しかし,その志もいつしか立ち止まってしまったり,時に折れてしまったりする。生徒の方を向いているつもりが,いつのまにか学校の方を向いてしまっている。日々の生徒指導や雑務に追われ,生徒の方を向いているつもりでいながら生徒を見下ろしてしまっている。教師という「権力者」になってしまっている。高慢な人間になって,生徒をバカにし,生徒の個性や自主性を「教育」という大義名分で押さえ込んでいる。

同じ毎日の繰り返しの中で,いつの間にか惰性に流され,本来の「教育」を忘れてしまっている。自分を振り返ることもせず,自分の指導力不足や努力不足を棚に上げて,生徒のせいにして平気な教師になっている。

岡本先生のこの一文を読み返すたびに,恥ずかしさに顔を上げることのできない自分がいる。

森口健司先生に岡本先生を紹介してもらって,3人で夜遅くまで飲み語った路地裏の店でのひとときは決して忘れることのできない宝物だ。

岡本先生を慕って徳島商業高校を受検する生徒が何人もいると聞かされたが,そのとおりの先生だった。スポーツや芸術など部活動で指導力のある先生ならば,その先生に憧れて高校を選択する生徒も多くいるだろう。だが,人間として教師として,その先生を尊敬し,教えてもらいたくて,その先生のいる高校を選択する,そんな教師が何人いるだろうか。岡本先生に担任をしてもらいたいと願って高校を選ぶ生徒がいる。

教師という仕事は「教育」である。この自明のことを忘れてしまう。「教育」は生徒のためにある。決して国家のためではない。


転勤に際して少し不安になっていた私を救ってくれたのは,教え子だった。

明日,父親が手術を受ける。一昨日,入院に付き添い,病室にいたとき,担当の看護師が挨拶に訪れた。その若い看護師は,私が現任校で最初に教えた生徒だった。

別れもあれば,再会もある。偶然は必然であったのかもしれない。

彼女は,実に立派な看護師に成長していた。
私の教え子であることを聞いた医師が「君なら,さぞかし優秀な生徒だったんだろう」と言っていたのを母親が教えてくれた。

彼女が私の教え子であるだけで,入院・手術に対する恐怖と不安でいっぱいだった両親が安堵の表情に変わり,安心感で満たされていった。

教師のよろこびは教え子との再会だ。教師の得る財産は教え子である。

新たな赴任校でも,私が立つ場所は揺るぐことがなく生徒の前である。生徒の方に顔を向けて,教育をしようと心に決めた。

posted by 藤田孝志 at 16:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。岡本顕史郎の身内の者です。先日5月11日に顕史郎は徳島市内の病院にて永眠致しました。享年76歳でした。このようなブログを書いて頂いていて家族として本当に感謝しております。ありがとうございました。
Posted by ケンシロウJr. at 2017年07月30日 13:38
岡本先生のご家族の皆様,突然の訃報に言葉がありません。
ここ十数年,徳島の地にはご無沙汰しております。いつの日にか再びお目にかかって,美味しいお酒をご一緒したいと思っていました。その機会が来年には訪れるかと密かに思っていました。
私ごとですが,来年が退職となりました。振り返れば,私が管理職や教委を向くことなく,一教師に徹することを貫徹できたのも岡本先生の後ろ姿に学ぶことができたからだと思っています。この道を選んだことで,この歳になるまで多くの生徒たちとの深い交わりを続けることができ,かけがえのない財産をいただきました。人生の糧とは人との交わりであり,教師はその糧を生徒からいただくことができる職業と思います。

今日,ある研修会にて島根県の中村清志先生の講演を聞きました。その中で,心に残った言葉です。

学校の先生とは,目の前の子どもの命を,命を懸けて,体を張って守る人のことだ。子どもをして,あの先生のような大人になりたいと言わしめる人のことだ。

良い先生は生徒にわかりやすく教える 優れた先生は生徒に考えさせる 偉大な先生は生徒に火をつける。

船を造りたかったら,人に木を集めてくるように促したり,作業や任務を割り振るのではなく,彼らに果てしなく広大な海を慕うことを教えよ。

人の生命はいつの日にか必ず終わりを迎えます。しかし,人の思いは人から人へと生き続けるのだと改めて思います。
岡本先生とはたった1度の邂逅でしたが,私の胸には残り続けています。そして,私から生徒へと伝わっていると信じています。

先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

Posted by 藤田 孝志 at 2017年07月31日 23:30
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