2012年01月29日

誕生日

人は自分の誕生日を忘れることはないだろうが,その意味の受けとめ方は人それぞれだろう。それは,その時の状況によって大きく変化する。うれしいとき,悲しいとき,苦しいとき,辛いとき,その時の心の有り様で「誕生日」は異なる思い出を人生に刻むことになる。

だが,変わらぬ事実は,今を生きていることであり,生を授けてくれた父母の存在である。父と母の存在が「自分」という存在をこの世に生み出した。自分に生命をあたえてくれたのだ。
誕生日は,その父母を思う日でもある。

私の両親は高齢で病弱であっても生きていてくれる。同じ屋根の下で暮らすことができている。ありがたいことと,心から感謝している。
この歳になると,友人や知人のなかで親を亡くす者も多くなってきた。葬儀に参列するたびに,両親のことを思う。

人間の死は,誰にもいつか必ず訪れる。人間の人生は死への歩みである。

高校時代,後輩の死に強い衝撃を受け,死を意識するようになった。実存哲学や心理学に傾倒するようになった契機でもある。一時期はキリスト教にも心が動いたが,私は究極において宗教を信じることができない。否,神や宗教の教義を信じることはできるかもしれないが,それを語る宗教家や信仰者を信じることができない。
たぶん,信仰により人言的な魅力を備えた宗教者を知る一方で,胡散臭い宗教家も知ったからだろう。


今朝,「中津井騒擾・美作騒擾の教訓」パネル展を見てきた。

6日間という短い期間であっても,天満屋岡山店の地下タウンという買い物客などの往来が多いフリースペースでの展示は意義深い。

しかし,朝が早かったからだろうか,通行客も少なく,立ち止まってパネルに目を遣る人も少なかった。
そんな中で,小学生の子どもを連れたお父さんが真剣な表情でパネルを凝視していた。それからベンチに腰を下ろし,男の子にパンフレットを開いて説明していた。その子には内容までは理解できないだろうが,父の語る言葉に興味を持ってうなずく姿に,それだけでもパネル展は意義深いものであったと思う。

私も,幼い頃に父から聞いた話はよく覚えている。父が職場の同僚に関係する部落問題について語ってくれたことは,今も私の指標となっている。

posted by 藤田孝志 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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