2012年01月21日

「中津井騒擾・美作騒擾」パネル展

今月25日(水)〜30日(月)まで,天満屋岡山店地下タウンにて「中津井騒擾・美作騒擾」パネル展が開催される。

私のライフワークである「解放令反対一揆」研究,その核心である「明六一揆」のパネル展である。
現在,今まで少しずつ考察してきた研究を整理しながら,弊ブログにてその一端を論考として公開しているところなので,今回のパネル展も楽しみにしている。

この忘れられた郷土の史実を,少しでも多くの人に知ってもらいたいと願っている。この史実から学ぶべきことは多岐にわたって多く,貴重である。
郷土の歴史においては「負の遺産」である一方,決して目を伏せてはならない「教訓の遺産」である。


今から26年前の1985年5月8日,リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領は,敗戦40周年にあたるこの日,ドイツ連邦議会で演説を行った。

罪の有無,老幼いずれを問わず,われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており,過去に対する責任を負わされております。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために,老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり,起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危険に陥りやすいのです。

『荒れ野の40年』より

【過去に目を閉ざす者は,結局のところ現在にも盲目となります】(Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind fur die Gegenwart)

歴史を学ぼうとする者は,この言葉を決して忘れてはならない。


明六一揆の関係資料を収集する中で,あらためて痛感したのは,郷土の歴史について知らないこと,曖昧な知識の多いことだった。調べれば調べるほど,史実は複雑に相互に関係し合っていることがわかってくる。一つの史実の背景には,多くの史実が歳月を越えて間接的に影響している。

三省堂の『日本民衆の歴史 地域編』シリーズが企画・刊行されたのは,1984年である。約30年前の企画であるが,その趣旨には今も深く共感する。

歴史がはじまって以来,今日まで,歴史を支えてきたのは,その名も明らかでない,多くのわたしたちの祖先たち,“民衆”である。政治や経済・社会のしくみがどのような道筋をたどって進んでこようとも,民衆の労働と生活とは,たゆみなくつづけられ,真実の意味での歴史をすすめてきた。
そのような民衆の労働と生活は,“地域”を拠りどころとして営まれてきた。…
“地域”とはなんだろうか。それはたんなる場所ではなく,その地方に住み,働く人びとの,共通した風土と歴史性とによって培われた,共通した個性をもつ人間像や人間関係のまとまり,あるいは,共通した文化的・社会的個性をもつ人びとのまとまり―ともいうことができよう。そのまとまりや個性は,その地方の民衆が歴史的に創り出してきたものであり,また創り出しつつあるものである。人びとが,自らの解放のために,母胎とし,また変えていかなければならない社会関係が地域である。

それぞれの地域が担っている課題を明らかにすることは,その課題を解決する方途を明らかにすることでもある。その課題そのものがもっている歴史性と,その課題と立ち向かっている人びとの歴史的力量とを,科学的に解明することが,どうしても必要となる。

このシリーズの第1巻として刊行されたのが,ひろたまさき・坂本忠次編『神と大地のはざまで−岡山の人びと』である。近世から近代にかけての岡山の民衆運動を,近世の不受不施派信徒の抵抗・美作の百姓一揆・幕末維新期の民衆闘争・美作民権の軌跡・明治から大正期の農民運動・昭和恐慌下の小作争議をそれぞれのテーマとしながら,通史的に概観している。

「不受不施派」については浅学でしかなく,興味はあっても部落史とは直接的な関わりは少ないと思い,後回しにしてきたが,本書を読み,その考えの誤りに気づいた。
不受不施派と非人との深い関わり,それは「両山非人内信事件」によって明らかであった。岡山の非人を研究するとき,不受不施派の動向も研究する必要を強く感じた。
また,県北の「非人騒動」も同様である。なぜ,百姓は一揆に際して「非人拵」(非人の身なり=非人姿)になったのか。このときの百姓の意識はどのようなものであったのか。さらに,「文政非人騒動」(1825年)の約50年後,同じ美作で「明六一揆」が起こり,部落が襲撃されている。

歴史の流れは,史実を単体として研究するだけでは見えてこない。さまざまな連環によって総体的にとらえなければならない。

そして,民衆運動史を解明する重要な視点は“日常生活”である。

…民衆はつねに運動しつづけているものではなく,なによりも日常において生産に従事し生活をいとなむ存在なのである。その日常生活基盤に民衆運動はまきおこり,そして終われば日常の生産へと立ちもどる。

民衆宗教を重要な素材としたのは,そこに民衆の日常生活における意識を探ることができるのではないかという問題意識からであり,また百姓一揆や近代の農民の小作争議の究明のなかからも日常生活の具体的ありようを探ろうとした。

一揆や騒擾を,その過激さや運動という面から考察するのではなく,百姓や農民の日常生活との関係から考察する必要がある。
美作騒擾,明六一揆にしても,鎮圧後のきびしい追究により15名の処刑,懲役・杖罪・罰金など公式に処罰された者が一揆参加者約3万人のうち2万7千人にも及ぶにもかかわらず,彼らは“日常生活”にもどっている。
あれほどの惨劇があった加茂谷も,生き残った津川原村も,彼らを襲った周辺の村々も日常の日々へと帰って行った。

この視点が騒擾の背景と,今に伝える教訓を明らかにしてくれると思っている。

posted by 藤田孝志 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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