2012年01月08日

埋もれた資料と研究

昨日,県立図書館の郷土資料部門で,部落史関係の資料を収集していた。

全解連系の岡山部落問題研究所が発刊している研究誌『部落問題 調査と研究』と同盟系の岡山部落解放研究所が発刊している研究紀要と所報がある。
今回,それらのバックナンバーをじっくりと調べて,必要資料のコピーを行った。

創刊号から調べながら驚いたことは,70年代〜80年代にかけて,史料の発掘と研究が精力的に行われていた事実と,それらに取り組んだ今は亡き諸先達の残した研究成果の貴重さである。感銘と感謝の気持ちでいっぱいである。

たとえ専門書であっても書籍になれば,史料も研究成果も「形」として残ることも世に知られることも,可能性としてはある。しかし,大学や研究機関が刊行する研究誌や研究紀要が一般の書店に並ぶことはほとんどない。まして所報などが関係者以外の目に触れることは皆無であろう。
それらの多くは,長い歳月の中で,やがて書庫の中で眠りについてしまう。まるでエジプトのピラミッドのように,誰かが発掘しない限り,どれほど貴重な資料や研究成果であっても埋もれたままとなってしまう。

著書の一冊も書き残さなくても,わずか数ページの記事であっても,重要な研究であり貴重な史料紹介である。

記事を書かれた研究者の多くは,今は亡くなっておられるかもしれない。
事実,かつて研究会で顔を合わせたり,貴重な教示をもらったりした先輩たちがここ数年の間に随分と亡くなっておられる。
彼らの名前をバックナンバーの中で見かけると,懐かしさと悔しさが思い出される。もっといっぱい,いろいろなことを教えてもらっておけばよかったと。いつでも会えると思う軽率さが,取り戻せぬ後悔を生んでしまった。

彼らの残してくれた「遺産」を引き継いでいくことが使命と,あらためて感じている。そして,我々の微々たる研究もまた次世代のための「遺産」となることを願っている。

私は名声とか地位とかを求めるものではない。他者を気にすることもない。


今回,解放令反対一揆,明六一揆について資料を確認する作業において,また参考先や引用元を資料から資料へと辿っていく中で,知らない資料や研究論文に出会い,それらを探して図書館に来たのだが,こうしてバックナンバーを丁寧に読んでいると,素晴らしい研究や資料,史実に出合う。

今まで可能な限り,江戸時代以降の備前藩・津山藩,岡山県に関する史料,特に部落史関連の書籍や古文書,研究紀要や論文を入手してきた。しかし,岡山にはまだ私の知らなかった未知なる史実や史料が多くあることを知った。当然ではあるのだが…。

今回,両団体の主義・主張のちがい,思想対立による歴史解釈の相違も強く感じる結果となったが,研究の進展という面から残念さと寂しさを感じる。史料や史実の分析や解釈に「思想的立場」が優先することは理解できるが,研究には多角的・多面的な視点が不可欠である。自由な研究上の論議がなされない思想対立を残念に思う。

貴重な史料や史実,重要な論考が野に埋もれてしまう,その原因が思想的政治的対立だけでなく感情的対立に起因することを,私は無念に思う。

目的が同じであっても,その手段が異なることで共同できないのは,実に口惜しく感じる。
「目的のために手段を正当化してはならない」は私に持論である。だからこそ,手段の相違を目的よりも優先してはならないと考える。

何よりも残念なことは,法が切れ,部落史の見直しのブームが去った今,これら貴重な資料が埋もれていくことであり,歴史研究において置き去りにされていく状況である。


科学技術の発達,情報システムの進歩の恩恵も大きい。
簡単に検索でき,必要な資料を手軽にコピーでき,スキャナでPCにデータとして保存できる。文具も多機能になり,ファイリングも随分と楽になった。

百数十ページにも及びコピーを前に,時代を感じる。20数年の歳月が積み上げた研究成果(論文や史料など)を瞬時に見ることができる。このことを素直に喜びたい。

今年は,長年の夢であった「明六一揆」研究に取り組みたいと考えている。まだまだノートに整理しながら考察している段階だが,積み上げてまとめたいと思っている。

posted by 藤田孝志 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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