2011年07月19日

原点回帰

ようやく長かった1学期が終了した。

昨年・一昨年と持ち上がった学年は何かと問題の多い学年であり,彼らとの日々に追われて自分の時間を十分に持つことができなかった。だが反面,彼らとの日々によって得ることも多かった。彼らを通して,教育とは何かをあらためて考えさせてもらった。彼らとの毎日が若き日を思い出させてくれた。その悔いを課題に,喜びを自信にして,新たな学年と学期に取り組んできた。その成果は確実に生まれてきていると思うが,さらなる前進のための夏季休業中としたいと考えている。

今年は「原点回帰」と自らを位置づけて取り組んでいる。

教育について,人権教育について,部落史・部落問題の研究について,自分にとっての教育と研究をしっかりと位置づけておきたいと思う。他者に左右されるのではなく,自分にとっての為すべき道を歩みたいと考えている。


教師の1年間など同じサイクルの繰り返しで,ともすればマンネリ化してしまいやすく,惰性に流されてしまいやすい。教える内容も学校行事もほとんど変化がなく,表面的には何事もなく無難に消化すればよいだけの毎日である。
教師の力量が問われる授業力や教育力にしても,勉強しない生徒のせいにすれば事足りる現実が見え隠れする。成果が給料に反映しない公立学校の現状では,教員評価もほとんど無意味である。

教育の荒廃,その最大の原因は教師である。心底,実感する。

しかし,日々を自己研鑽に努め,教師としての教育力・授業力・指導力を向上させようと努力し続けている教師も多くいる。夜遅くまで,生徒一人一人の顔を思い浮かべながらわかりやすい授業を考案し,プリントを自作している教師もいる。部活動を通して技術だけでなく精神面を鍛え,人としての礼儀作法を教える教師もいる。放課後に教室の片隅で生徒の悩みを受け止め,人としての生き方を説く教師もいる。

だが昔に比べて,真剣さを少なく感じるのはなぜだろうか。特に若い教師,ゆとり世代といわれる教師に,何か物足りなさを感じてしまう。
その一つが,職員室や飲み会での教育談義の質的低下である。私の若い頃は,先輩教師から教育のイロハを懇々と説かれた。放課後の職員室から始まり,場所を飲み屋に移し,深夜まで授業や部活動,教育方法や教育理念まで教えてもらったものだ。教師という仕事に誇りを持ち,生徒を愛し,自らが教える知識と認識に自信を持っていた。武勇伝ともいえる生徒との関わりを懐かしく語る教師が多くいた。教え子の成長を我が子のように語る教師がいた。

教育への情熱,そんなものが今の教師からはあまり感じられない。あまりにもきれいすぎる。教育現場の表面だけを単調な日々が流れていく。一抹の寂しさがある。


今夏の間に,部落史研究では「渋染一揆」を体系的に整理し,同様に「ハンセン病問題」では時代背景をふまえた近現代史を整理しておきたいと考えている。

「渋染一揆」については,8月に福岡で講演を依頼されていることもあり,またここ数年自分なりに考えてきたことをまとめたいとも思っていたので,途上ではあるけれども一つの区切りをつけたいと考えている。
特に従来から諸説がある「要因」に関しては時代背景なども含めて提起したいと思っている。なぜ「渋染」にこだわったのか,なぜ岡山全域の穢多身分の人々が立ち上がったのか,彼らが求めたものは何であったのか,当時の彼らが置かれていた社会的位置,彼らの生活はどのようなものであったのか,等々についても考えてみたい。
そして,何よりも「渋染一揆」の経緯を時系列で再度検証してみたいと考えている。

「ハンセン病問題」に関しては,中世から近世においての賤民身分との関係に焦点を当てながら考えてみたいと思っているが,その前に明治から現代に至る絶対隔離政策への経緯を時代背景や国家の動向と関連させながら,その要因について考察してみたいと考えている。
「ハンセン病問題史」といえるものだが,藤野豊氏の研究などをもとに自分なりにまとめてみたいと思っている。その際に,藤野氏の「国家の責任」という視点は重要であり,「差別の連鎖」という部落問題などとの関連の視点も重要である。そして最も私が興味をもっているのが,国家による民衆への意識操作であり,その理論背景ともなった光田健輔たちの考えであり,それらを無作為に受け入れた民衆の意識である。

この民衆の意識が「差別の連鎖」「差別構造の基盤」「差別解消の障壁」であると私は考えている。


同和教育・人権教育に関しても多様化しすぎて,むしろ拡散化して焦点が曖昧になっているように思える。さらには形式的・表面的な取組に終始して,義務化・行事化しているきらいもある。あれもこれもが人権教育の範疇として取り上げられ,まるで流行に乗っている感もする。

今一度,同和教育の原点へと回帰して「今」を見つめ直すことが,現在の教育現場には必要なのかもしれない。

今夏は,じっくりと考えてみたい。

posted by 藤田孝志 at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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