2011年03月16日

卒業

本日は卒業式だった。
泣くまいと思っていたが,やんちゃ坊主の号泣する姿に,3年間の思いが溢れ出て,涙が止まらなくなった。走馬燈のように…とはよく使われる言葉だが,式の間中,一人一人のことが,一つ一つの出来事が思い出され,過ぎ去りし時の流れが二度と戻らないことを実感した。

答辞に込められた彼らの月日の想い出は,その一つ一つが私の思い出でもあった。

色紙に書かれた彼らからの感謝の言葉,手紙に綴られた一言一句が,彼らの本当の気持ちを伝えてくれた。

それらを読みながら,教師としての喜びと使命の重さを強く再認識した。

いつも色紙に書く座右の銘がある。【至誠は天に通ず】

人の思いは,真摯に念じ続ければ,必ず実現する。

裏切られようと,欺されようと,背を向けられようと,信念をもって決して諦めることなく,ひたすらに信じ続け,伝え続けることこそが教師の使命であると,あらためて教えられた気がする。


夕刻,校長と卒業した彼らのことをいろいろと話し合っていたとき,ふと脳裏を元徳島商業高校教諭の岡本顕史カ先生の書かれた『Y子は獅子になった』の一節が蘇った。

「私は勤めだした時,どちらを向いて仕事をすれば良いのでしょうか。」
「どういう事でしょうか。具体的におっしゃって下さい。」
「生徒の方を向いて仕事をすれば良いのか,それとも学校の方を向いて仕事をするべきなのでしょうか。」
「君はどう考えますか。どの様にしようと思っていますか。」
「いつも生徒の方へ顔を向けて仕事をしようと思います。」
「結構です。君の考えどおりにして下さい。教育は教師の自主性やロマンがなければ駄目だと思います。」

教師もまた,特に教師に対する管理が厳しくなり画一化した教育体制や教育方針がトップダウンで要求される現在の状況においては,生徒よりも学校の方を向いての教育が優先され,この大切な教師の姿勢が忘れられることがある。

生徒の多様な個性を「教育」「指導」という名目で抑圧しているのではないだろうか。

私は,果たして卒業生の色紙や手紙にあったような感謝される教師であったのだろうか。生徒から信頼を受ける教師であったのだろうか。

卒業生は,私に教育の原点を思い起こさせてくれた。

posted by 藤田孝志 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。