2010年11月26日

無責任

本日のYahoo!Japan「NEWS ポストセブン」に【セクハラサイコロ教諭に教え子「辞めないで」と千羽鶴と署名活動】という『女性セブン』(2010年12月2日号)よりの転載記事が載っていた。以下がその全文である。

埼玉県入間市の小学校で持ち上がった「セクハラサイコロ」騒動。59才のベテラン男性教諭・Aが手づくりした、1辺2〜3センチメートルの木のサイコロには,「キス」「ハナクソ」「ハグ」「ツバホッペ」などと書かれていた。

遅刻をしたり,宿題を忘れたりした児童にこのサイコロを振らせ,出た目によって,“罰”として教諭が児童にキスやハグをしたり,ハナクソをつけたりしていたと報じられた。ところが,あらためて取材してみると,聞こえてくるのは,児童たちの「先生,辞めないで!」という声だった。

A教諭の教え子だった卒業生が実情を打ち明ける。

「サイコロを振っても,書いてあるようなセクハラ行為をすることはなかった。例えば『ハナクソ』が出たら,先生が鼻を手で隠して鼻くそをほじっているフリをして,“もうやるなよ”というだけ。知り合いの弟がいま先生のクラスにいますが,実際にはキスもハグもないんです。そもそも今回騒ぎになったのは,別のクラスの子と保護者が,本当のことをよく知らないのに問題にして警察や学校に訴えたから。だから,ねじ曲がった形で広まってしまったんです」

騒動が報じられてから,教諭は体調不良を理由に学校を休んでおり,周囲との連絡を断っているという。しかし,卒業生や保護者らは,復帰を願う署名活動を行っている。そしてクラスの児童たちは,「先生が復帰しますように」との願いをこめて,千羽鶴を折った。

本誌がA教諭の自宅を訪れると,妻がこう答えた。「主人は“子供たちはわかってくれていると思うので,それだけで自分は充分だ”と話していました。生涯,現場に立って児童と向き合っていくのが夢ですので,いつごろになるかはわかりませんが,必ず現場に戻りたいといっています」

また,関連記事もいくつか紹介されていた。11月8日付の記事は,次のような内容である。抜粋しておく。

どうもおかしい。一連の報道と地元で拾った声がまったく正反対なのだ。

「あのニュースに、クラス中がショックを受けています。先生を辞めさせないで、戻ってきて!と、泣き崩れる女子児童もいました」(学校関係者)
「心配で、すぐに先生に電話しました。私の知っている先生と報道された先生があまりにも違ってましたから……。あんなに慕われていた先生はいません。報道直後に、元教え子の進学先の中学の音楽祭に先生が顔を出したんです。すると、100人以上の生徒が『先生、がんばって!』と拍手で励ましていました」(教諭の元教え子の保護者)

もともとこのサイコロは、教諭の名字をとって「××スペ」(××スペシャルの略)と呼ばれ、10年以上も前から教諭と生徒とのコミュニケーションツールになっていたらしい。
「担任になってすぐ、『悪いことしたら、罰としてこのサイコロを振らせるぞ』と先生が宣言したのです。実際やってみると、『ハゲうつし』とか『靴の臭いかがせ』とかあって楽しかった。男子は体をくすぐられたりしたけど、女子には一切、手を出しませんでした。セクハラなんて感じじゃなく、むしろ,あのおかげでクラスがまとまったという印象です」(現在19歳の元教え子)

卒業時にはこのサイコロをめぐって争奪戦もあったとか。
「思い出にサイコロが欲しいという生徒が続出して,子供たちはジャンケンで決めたそうです。もらえなかったコにも先生は手作りの消しゴム印鑑を配っていました。21歳になる私の息子も,いまだにその消しゴムを大切にしています」(前出・保護者)

実は,今回の一件を最初に訴えたのはこの教諭の教え子ではない。
「ふたつ隣のクラスの女子児童と,その友人でした。この女子児童の親御さんがサイコロの存在を聞きつけ,自分の子供のクラスのことでもないのに,教育委員会やマスコミに訴え出たんです」(別の元教え子)

セクハラサイコロ教師というレッテルを貼られ,優れた教師が葬り去られようとしているのなら,これほど不条理なことはない。

関連記事のリンクには,「産経新聞」による詳しい記事もあった。一部のみ抜粋しておくが,マスコミが報道しない事実もある。

■不可解な発覚の経緯

同小によると、校長と教頭がこのサイコロの存在を知ったのは10月14日。教諭とは別のクラスの児童の母親が知人男性を連れて、怒った様子で学校を訪れてきた。会議室に通すと、母親は2個のサイコロを校長と教頭、教諭の3人の目の前に突きつけ、説明を求めてきた。何も知らなかった校長と教頭は開いた口がふさがらず、母親の言い分に耳を傾けることしかできなかったという。
母親は退席するとき、いきなり「もうひとつあるでしょう」と残りのサイコロの提出を要求。ここで校長らは素直に渡してしまい、現物は学校に残っていないという。それにしても今後、教諭の処分問題に発展したときに重要な証拠物となるものを、なぜ言われるままに差し出してしまったのか。教頭は「冷静になってみれば、何であんなことをしたのか分からない」と繰り返すばかりだった。
3つのサイコロは、後日、このときのやりとりを録音したICレコーダーの音声とともに、テレビで全国放映された。実は、この日より前に教室に保管してあった3つのサイコロのうち、2つがなくなっていたという。誰が持ち出したのか、なぜ母親が持っていたのかは不明だ。

■涙の緊急保護者会から署名、折り鶴

報道後、同小は緊急保護者会を開いた。常識的に考えて、とうてい申し開きのできない不祥事だ。校長も教頭も緊張して臨み、謝罪と経緯の説明を行った。
学校関係者によると、教諭はこの席で、「私の軽率な行動で子供に不快な思いをさせたこと、保護者の方々にもご心配、ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわび申し上げます」と謝罪した。
これに対し、保護者から出てきた意見は、学校側の予想を大きく裏切るものだった。

「手段はいけないが、先生の指導はよく行き届いている。これからも適切な指導をお願いする」
「うちの子は、先生に厳しくしかられたこともあるが、それで自分が悪かったとわからせてくれたと言っていた」
こんな言葉の数々に教頭は思わず目頭を熱くしたという。最後にある保護者が「先生がやったことはよくないが、本当にいい先生なんだから」というと大きな拍手が巻き起こったという。「担任は替わるのか?」との質問に教頭が「卒業までしっかりやらせます」と答えたところ、ほぼ満場一致で教諭の続投を支持したという。

問題発覚後、学校は児童たちにセクハラサイコロについてどう思うか、児童にアンケートをした。すると、全33人中、2人が「気持ちが悪い、いやだ」と答え、残り31人は「自分が悪いことをしたから仕方がない。サイコロを振らされないようにしたらいい」と答えたそうだ。教頭は「軽率な行動だったことには変わりない。子供たちの感覚もまひしている」と険しい表情を崩さないが、「まひしているものの、大勢の子供は楽しんでいた。子供たちが動揺せずに元の状態に戻ることを願うだけ」と祈るように話した。

教諭は報道翌日から「体調不良」を理由に学校を休んでいる。ある保護者によると、教諭の寛大な処分を求める署名活動を行ったり、教諭に手紙を書いたりする動きがあるそうだ。また児童たちも教諭が復帰したときに出迎える歌を考えたり、「体調不良」で休んでいる教諭に千羽鶴を作成したりしているという。

■卒業生もネットで反論

報道後、この教諭の教え子を名乗る人たちが、ツイッターやミクシィなどネット上で続々と異論を唱え始めた。そのうち、2人から話を聞くことができた。

「先生は変態エロ教師なんかじゃない。今まで一番好きだった、尊敬する先生がこんなにばかにされていいのか」
都内の大学に通う男子学生(19)は10月26日の夜、ネットでニュースを見て、すぐにあの先生だと分かったという。いてもたってもいられず、実体験を交えて教諭を擁護する一文をミクシィの日記につづった。すると、「いい先生だったんですね」など驚いたような意見や、「子供たちは被害を受けたと思っていないよ」などと児童の保護者からの反響があったという。
教諭が男性の担任になったのは小6のとき。児童になじんできた4月のある日、「これ、オイスペって言うんだよ。前から使っている、オレ流の罰ゲームなんだ」といってサイコロを取り出したという。「オイスペ」とは教諭の名前に「スペシャル」をつけ加え、略したものだ。そのころから、目には「ハナクソ」「ハゲ移し」「恋人」などの文言はあったが、児童たちは「面白い先生だ」とおおむね好意的に受け入れたという。しかも、そのころからサイコロの目に書いていることはあくまで「やる振り」で、実際にやることはなかったと証言する。
クラス児童全員に消しゴムを彫って名前の入ったハンコを作ってくれたり、正月には数字が振ってある点をすべて結ぶと「あけましておめでとう」などの文字が浮き出る年賀状を送ってくれたり、手製のおもちゃを作ってくれたり…。男性には楽しい思い出ばかりが残っているという。
男性は卒業して中学に進学後、いじめにあったという。自暴自棄になり、警察の世話になり、2年のほぼ1年間、不登校になった。男性の母親は、通っている中学ではなく、この教諭に電話で相談。その夜、教諭は自宅にふらりと現れた。
「お前なら乗り越えられることだよ。そしたら何か見えてくるだろう」
シンプルだが、とても温かいこんな言葉に男性は救われ、転校した後、立ち直ったという。
男性は問題発覚後の2日後の早朝、教諭の自宅を訪ね、公園で小一時間話し込んだ。どうしても確かめておきたいことがあったのだ。なぜ、この教諭が「セクハラサイコロ」なるものを作るような“ぶっ飛んだ”先生だったのか。教諭の教育に対するポリシーとは何なのか−。
教諭はサイコロについて初めは男児にしか振らせていなかったが、男児から「女子用がないのはずるい」と言われ、児童たちと一緒に女子用も作ったこと、男児から「ハグってのも入れよう」と言われ、「ハグってどういう意味なんだ?」と尋ねながら書き込み、最終的に自分で「セクハラサイコロ」と名付けたことなどを明かしたという。
その上でこう断言したという。「自分とは異なる文化や人種を排除するような人間にはなってほしくない。だからおれは、変人でいながらも好かれるような教師でいないといけない」
その言葉に安心した男性は、「それにしても大変でしたね」と声をかけると、「大したことねえよ。オレは大丈夫だよ。自分のクラスの児童の保護者に信じてもらえたら、それでいいんだよ」と気丈な声が返ってきたという。
そんな振る舞いが、男性には心なしか寂しそうに見えたが、教諭は「ありがとう。ほかの教え子たちからも電話をもらっててな。助けられてるんだ」と言って笑顔で別れたという。
男性も「セクハラサイコロっていうネーミングはダメかもしれない」と苦言を呈する。それでもこの教諭を最後まで擁護したい気持ちは変わらない。
「金八先生みたいな先生はドラマの中だけだと思っていたが、先生に会って本気で驚いた。こんなに子供のことを考えている先生はいないよって」
それは卒業式で渡された最後の通知票の言葉だ。
「お前は好きなことに関しての集中力はすごいの一言だ。だから、好きなことをガンガンやれ。きっと何か見つかる」
好きなことには一心不乱で取り組む自身の性格を自覚しかけていた男性は、「本当に自分のことを分かってくれている先生だったんだな」と胸にこみあげるもの感じたという。現在、男性は大学で物理学を学んでいる。「この言葉を胸に抱いて、好きな数学や物理の勉強に没頭して、今の自分がある」

小5のときに教諭のクラスだったという女性(21)も教諭の眼力を評価する。 いわゆる優等生タイプだったというこの女性は、「幼いながらに先生にこびる方法を知っていて、大人にちやほやされていた」と振り返る。しかし、この教諭はそんな女性を決して特別扱いはしなかったという。
「私の性格を見破られた衝撃は大きかった。でも自分のことをちゃんと見てくれているんだという実感が強く、以来、ずっとお慕いしている」と話す。
「セクハラサイコロ」については、この女性は「少なくとも私がお世話になった間は、セクハラとかロリコン趣味とかを感じたことはなかった」と断言した。「若干表現がオーバーで、女子からはブーイングを受けることもあったが、嫌がる子への気配りやフォローも怠っていなかった」と証言する。
「私は先生の言葉や教えを胸に、大人になってきた。なのにこんな事件になってしまって…」と悔しさをにじませた。


断っておくが,彼の方法論について擁護する気はない。「殺人を問題にした」教師と同じく配慮を欠いた実践方法であったと思う。誤解を招く行為であった。

私が問題としたいのは,最初の報道以来,マスコミ各社及びコメンテーター,教育評論家といわれる人々が彼を「セクハラ教師」と断定し,教員の不祥事の「象徴」として,あるいは教員の品格低下の「象徴」として非難し続けてきたことである。

そして何よりも腹立たしいのは,マスコミ報道を鵜呑みにして,現在の教育現場をよく知りもせずに,すべての学校現場でセクハラが日常茶飯事に行われていると自己流誇大解釈をして教師批判をネット上に書いて何とも思わぬ人間がいることだ。
同様に,本の中に書かれていることを無批判に信じて思い込んだり,学者の言説を自分に都合よく解釈して引き合いに出したりする人間もいる。

いったい学校現場の何を知っているというのか,その教師の何を知っているというのか…。マスコミの報道責任も大きいが,その報道を無批判に受け入れて教師批判の「ネタ」にすることの方が問題は大きい。

「流言飛語」に自らが踊らされていることに気づかない愚かさを恥じるべきである。そして自らもまた「デマ」を振りまく無責任な言動をしていることに気づくべきである。


私は思う。学校は実社会の縮図である。それも狭い空間に凝縮されている。その中で日々を過ごす。いろいろな教師もいれば,いろいろな生徒もいる。相性もある。意見の相違もある。理解し合えないこともある。同じ解釈ばかりではない。寛容さにも限度がある。

だが,生徒のことを思わない教師は少ない。教師の多くは,自分の選んだ仕事に誠意をもって取り組んでいる。問題行動,学力低下,特別支援の必要な生徒,学級崩壊など学校現場の現実は多くの課題に謀殺されている。それらの課題に真摯に向き合って解決を図ろうと教育実践に,自己研鑽に一生懸命に教師は取り組んでいるのだ。

そして何よりも目の前の生徒の育成こそが教師にとっての最大の仕事(役務)なのだ。この教師のように誤解されることもあるが,関わった生徒が彼をどう評価するかである。
一切の関係もなく,面識すらなく,直接的に何ら接点のない人間に,彼の何がわかるというのか。彼の日常の仕事,生徒との関わり,授業などを一切見聞したこともないにもかかわらず,非難の片棒を担ぐなど,あまりにも無責任である。

善意の第三者を装っての「知ったかぶりの批判」ほど無責任なものはない。一部の教師の不祥事を「利用」して,すべての教師や学校現場がそうであるかのように非難する手法は,「部落がこわい論」と同質の卑劣な論法である。

「坊主憎ければ…」式の自己満足な批判からは,健全な解決など生まれるはずもない。姑息な人間が悪意をもって自分の意に反する人間を扱き下ろすだけの非難は,無責任であり,流言飛語の加担者でしかない。

私も自らの教育実践において配慮を欠いた言動やまちがいもある。反省すべきことも多い。だが,一面的な解釈や独断と偏見で物事を見るのではなく,公平公正な視点だけはもちたいと思っている。

posted by 藤田孝志 at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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