2012年05月16日

風評

ここ数日,弊blogのアクセス数が急増している。検索ワードから私の友人に関する事件が要因であることがわかった。彼の事件については新聞報道で知ったが,内容や事実関係はそれ以上はわからない。


今回の件で,私が強く感じたのは「風評」の怖さである。

事件そのものに関しては,事実であるかどうか不確定な要素もあり,現時点では報道内容以上のことは判断できない。しかし,ネット上のblogなどに,彼の経歴や実績から憶測した悪意ある「風評」の記事やコメントが書き込まれている。そのほとんどすべてと言ってもいいだろうが,直接に彼を知らない人物,一面識もない人物が,報道内容から「中学校教師」「人権教育」「同和教育」をキーワードにして,彼の名前をネット検索して「ネタ」を見つけ出し,面白可笑しく中傷的な表現で書いている。

「犯罪行為」自体について批判・非難することを問題にしているのではない。被害者の人権を考えれば決して許されることではない。教師という職業や立場,生徒や学校関係者に及ぼす甚大な影響からもあってはならないことである。

私が「問題」にしているのは,短絡的な発想や飛躍した論理による誹謗中傷の記事である。そして,憂さ晴らしのようなコメントである。

たとえば,教師の「ストレス」を事件の要因に結びつけ,教師はストレスが多い職業であり,そのストレスを発散するために非常識なことや法に逸脱したことを行うのだと断定して,人間性や人格にまで踏み込んで書き,その根拠として著名な学者や教育評論家の本や説を都合のよい部分のみを援用して,自分の記事(悪意)を正当化する。
また,同和問題に批判的・否定的な人間は,同和問題に関係していることを「事件」と結びつけて「同和教育をしている教師だから…」というように,同和教育を行う教師に対して悪意をもって攻撃的に論評する。

このような「強引な三段論法」によって,特定の教師が,あるいは多くの教師がそうであるかのように書くことを私は問題にしているのである。
その人物に関して十分に知らないにもかかわらず,独断と偏見・先入観をもとに,一部の情報からの憶測や推測だけで,決めつけたりこじつけたりして,その人物の人格や人間性まで非難するのは妥当性を欠く言動であると思う。


弊blogに書いたとおり,彼は私の友人であり,人権教育について彼に教えられたことは多い。今は連絡することもできないが,これからも彼が私の友人であることは変わらない。私の大切な親友の一人である。

posted by 藤田孝志 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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