2013年02月05日

自惚れた大義名分…「三園長証言」

修学旅行の新たな訪問先に「沖縄愛楽園」を選定し,従来の平和学習に「ハンセン病問題」を組み込んで以来,「戦争とハンセン病」に関係する書物を読み深めている。その中の一冊,藤野豊氏の『戦争とハンセン病』は,戦前の隔離政策が戦後も継続した歴史的理由を明確に解き明かしており,ハンセン病の歴史的背景がよくわかる。

特に「三園長証言」における光田健輔の果たした役割の大きさに慄然とした。一人の権威(権力)を持つ人間が頑迷に自説に固執するとき,歴史において取り返しのつかない罪過を生み出す。自説に固執し,自己正当化を図るほどに,その罪過は大きくなる。まるで,嘘をごまかすために更なる嘘を重ねるように。

光田健輔は自らの虚偽に気づいていたのだろうか。彼ほどの勉強家であれば,最新の医学情報を知らぬはずはないだろう。私は,彼の言動の根底に,異常とさえ思えるほどの自負心を感じる。

光田は「三園長証言」において,ハンセン病の感染力の強さ,家族間の感染を強調することで自説である「強制隔離と断種」の必要性を強く述べ,さらにはプロミンの効能にも疑問を呈している。


戦後,アメリカからハンセン病の特効薬であるプロミンが入ってくると,ハンセン病の症状は劇的に軽快した。このプロミンの成果により,「不治の病」であったハンセン病が完治可能な病気となったことで,厚労省も「絶対隔離政策」の方針を転換する方向に動き出した。
しかし,これに猛反対したのが光田健輔である。

1951年11月8日,ハンセン病政策について審議していた第12回国会参議院厚生委員会に5人の参考人が招致され,その中に多摩全生園長林芳信,菊池恵楓園長宮崎松記,長島愛生園長光田健輔の三園長がいた。彼らの証言を「三園長証言」といい,この「三園長証言」によって戦後の絶対隔離継続が決定づけられたとされている。
藤野氏は,三人の発言は実際には異口同音ではなかったと分析し「林は,隔離強化を求めるとか,軽快退所に反対するというような発言はいっさいおこなっていない」「患者が自主的に隔離に応じるような療養所の改善の必要に言及していた」と,他の二人とは大きく異なるものであるという。私も「証言」を読んでみて同感である。宮崎や光田とは趣旨がちがっている。

林は,プロミンによる治癒を前提にした法改正を求め,宮崎と光田は治癒を否定して隔離強化のための法改正を求めた。三人の発言を「三園長証言」と一括することはできない。隔離強化のための法改正を求めて,宮崎は過去の戦争を,光田は現在の戦争を,それぞれの根拠とした。


私が問題としたいのは,光田健輔の頑迷さである。

光田が最終目的としたのは,「ハンセン病の根絶」である。そのために感染源であるハンセン病患者を収容施設(療養所)に「強制連行・強制収容」して「絶対隔離」する。そして,絶対に退所させない「終生隔離」を行う。光田健輔が推進してきた絶対隔離政策である。

さらに光田はハンセン病患者の徹底根絶のため子孫さえ認めぬ「中絶」「断種」を推進する。感染症であるハンセン病にあっても「罹患しやすい素質は遺伝する」と光田は考えていたからである。
光田は,1906年の論文で「癩病に犯され易き体質に寄生発育して数年の潜伏期を待ちて之の人を癩病たらしむ」と述べている。


時は流れ,ハンセン病医学も進歩し,治療薬プロミンが劇的な成果を生み出しても,光田の信念は変わることはなく,むしろより意固地になっているように思える。
光田には「韓国・朝鮮人に対する激しい民族差別の感情が根強く存在した」と,藤野氏は指摘する。

「三園長証言」のなかで,光田健輔が隔離強化の根拠としたのが,朝鮮戦争下の韓国・小鹿島からハンセン病患者が日本に流入しているという事実認識であった。

…光田がこうしたことに言及したのは,歴史的に多くのハンセン病患者が朝鮮半島から日本に流入しているという彼独自の思い込みによるものであった。

…光田が衆議院行政監察特別委員会でおこなった証言は,事実に基づかない思い込みや推測で述べたものに過ぎない。故意に事実ではないことを光田は吹聴し,絶対隔離政策維持の根拠としたのである。この証言は,絶対隔離政策維持のために故意になされた偽証に限りなく近いものであった。朝鮮戦争に乗じて「韓国癩」の恐怖を煽り,絶対隔離政策を維持させようとした光田の戦略であった。

藤野氏が引用している長島愛生園の金泰九さんの逸話は,私も直接に聞いて知っているが,光田のパターナリズムを象徴していると思う。

光田健輔にとっての大義名分は「ハンセン病の根絶」であり,そのためには「絶対隔離」も「中絶」「断種」さえも手段として肯定される。
目的のためにはいかなる手段も肯定される。事実に基づかない虚偽であっても,自説の正当化のためであれば平気で嘘を突き通す。国際会議の動向さえも自説に反する場合は徹底して無視する。

光田が出席した1923年の第3回国際らい会議において,世界の趨勢が家族内隔離に移行していることに対して「再発の恐れ」を理由に光田は隔離を主張して反対している。
さらに,1951年に日本を訪問した外国人医師との議論でも自説を頑強に主張し,翌年に東京で開かれた「国際ハンセン病化学療法研究会」においても外国人医師の研究成果に対して自説を主張して譲らなかった。
この頑迷さ,剛愎な性格,意固地さは,どこから来るのだろうか。ハンセン病研究の権威者としての自負心からだとすれば,自惚れも甚だしい。謙虚さを失った研究者に進歩はない。

光田の「ハンセン病根絶策」は実に単純である。
日本中の「ハンセン病患者」をすべて見つけ出して「強制収容」して一歩も外に出さない「絶対隔離」を行いながら,収容者の子孫を残さないように「中絶」「断種」を強要することで,日本国内を「ハンセン病患者」の存在しない「無菌状態」にする。そして,ハンセン病患者がすべて「死亡」することで彼の政策は完遂する。

光田の大義名分は,自説を狂信する「自惚れ」でしかない。その結果,多くの人間を絶望の淵に追い込み,人生を狂わせてしまった。それどころか,多くの人間を死へと追い込んでしまった。

光田のように自説に固執し,自説の正当化のためには手段を選ばず,勝手な大義名分を振りかざして攻撃する人間は,現在もいる。

posted by 藤田孝志 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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