2012年05月16日

風評

ここ数日,弊blogのアクセス数が急増している。検索ワードから私の友人に関する事件が要因であることがわかった。彼の事件については新聞報道で知ったが,内容や事実関係はそれ以上はわからない。


今回の件で,私が強く感じたのは「風評」の怖さである。

事件そのものに関しては,事実であるかどうか不確定な要素もあり,現時点では報道内容以上のことは判断できない。しかし,ネット上のblogなどに,彼の経歴や実績から憶測した悪意ある「風評」の記事やコメントが書き込まれている。そのほとんどすべてと言ってもいいだろうが,直接に彼を知らない人物,一面識もない人物が,報道内容から「中学校教師」「人権教育」「同和教育」をキーワードにして,彼の名前をネット検索して「ネタ」を見つけ出し,面白可笑しく中傷的な表現で書いている。

「犯罪行為」自体について批判・非難することを問題にしているのではない。被害者の人権を考えれば決して許されることではない。教師という職業や立場,生徒や学校関係者に及ぼす甚大な影響からもあってはならないことである。

私が「問題」にしているのは,短絡的な発想や飛躍した論理による誹謗中傷の記事である。そして,憂さ晴らしのようなコメントである。

たとえば,教師の「ストレス」を事件の要因に結びつけ,教師はストレスが多い職業であり,そのストレスを発散するために非常識なことや法に逸脱したことを行うのだと断定して,人間性や人格にまで踏み込んで書き,その根拠として著名な学者や教育評論家の本や説を都合のよい部分のみを援用して,自分の記事(悪意)を正当化する。
また,同和問題に批判的・否定的な人間は,同和問題に関係していることを「事件」と結びつけて「同和教育をしている教師だから…」というように,同和教育を行う教師に対して悪意をもって攻撃的に論評する。

このような「強引な三段論法」によって,特定の教師が,あるいは多くの教師がそうであるかのように書くことを私は問題にしているのである。
その人物に関して十分に知らないにもかかわらず,独断と偏見・先入観をもとに,一部の情報からの憶測や推測だけで,決めつけたりこじつけたりして,その人物の人格や人間性まで非難するのは妥当性を欠く言動であると思う。


弊blogに書いたとおり,彼は私の友人であり,人権教育について彼に教えられたことは多い。今は連絡することもできないが,これからも彼が私の友人であることは変わらない。私の大切な親友の一人である。

posted by 藤田孝志 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

誕生日

人は自分の誕生日を忘れることはないだろうが,その意味の受けとめ方は人それぞれだろう。それは,その時の状況によって大きく変化する。うれしいとき,悲しいとき,苦しいとき,辛いとき,その時の心の有り様で「誕生日」は異なる思い出を人生に刻むことになる。

だが,変わらぬ事実は,今を生きていることであり,生を授けてくれた父母の存在である。父と母の存在が「自分」という存在をこの世に生み出した。自分に生命をあたえてくれたのだ。
誕生日は,その父母を思う日でもある。

私の両親は高齢で病弱であっても生きていてくれる。同じ屋根の下で暮らすことができている。ありがたいことと,心から感謝している。
この歳になると,友人や知人のなかで親を亡くす者も多くなってきた。葬儀に参列するたびに,両親のことを思う。

人間の死は,誰にもいつか必ず訪れる。人間の人生は死への歩みである。

高校時代,後輩の死に強い衝撃を受け,死を意識するようになった。実存哲学や心理学に傾倒するようになった契機でもある。一時期はキリスト教にも心が動いたが,私は究極において宗教を信じることができない。否,神や宗教の教義を信じることはできるかもしれないが,それを語る宗教家や信仰者を信じることができない。
たぶん,信仰により人言的な魅力を備えた宗教者を知る一方で,胡散臭い宗教家も知ったからだろう。


今朝,「中津井騒擾・美作騒擾の教訓」パネル展を見てきた。

6日間という短い期間であっても,天満屋岡山店の地下タウンという買い物客などの往来が多いフリースペースでの展示は意義深い。

しかし,朝が早かったからだろうか,通行客も少なく,立ち止まってパネルに目を遣る人も少なかった。
そんな中で,小学生の子どもを連れたお父さんが真剣な表情でパネルを凝視していた。それからベンチに腰を下ろし,男の子にパンフレットを開いて説明していた。その子には内容までは理解できないだろうが,父の語る言葉に興味を持ってうなずく姿に,それだけでもパネル展は意義深いものであったと思う。

私も,幼い頃に父から聞いた話はよく覚えている。父が職場の同僚に関係する部落問題について語ってくれたことは,今も私の指標となっている。

posted by 藤田孝志 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

朋有り,遠方より…

「朋あり遠方より来る,また楽しからずや」(『論語』「学而編」)

先日,何年かぶりに友人と会った。
私は大阪府教育センターで行われた教育フォーラムに参加した後で,彼は滋賀県近江八幡での講演の後で,大阪にて待ち合わせ,楽しい酒を飲んだ。
彼,脇田学とは彼が大阪府同教を経て全同教の事務局を務める以前からの付き合いで,もう二十年近くになる友人である。

私にとって彼は人権教育の師匠であり,部落問題を考える指標でもある。

心を許すことができる,信頼に足る友人との語らいほど楽しいものはない。何年会わなくとも,変わることのない友情は至高の財産である。わずか数時間であっても,その時間は無限の至福を与えてくれる。

誰が互いを非難しようとも,そんなことで相手に対する信義が揺らぐことはない。そんな友人が何人かいれば,如何なる辛苦も,くだらぬ誹謗中傷も気にはならない。陳腐なことに煩わされることもない。

生きていれば,四苦八苦は避けて通ることはできない。「愛別離苦」もあれば「怨憎会苦」もある。自分から「火中の栗」を拾う気はないが,降りかかる火の気は払わなければならないだろう。
私は無神論者だから在りもしない神にすがって生きることも,神を隠れ蓑にして自己正当化を図ることも,自己批判を忘れて欺瞞に満ちた言動に終始することもしない。また,他人の言動に干渉して無意味な時間を費やすほど愚かではない。

正月,年賀状で知る友人や知人の近況ほど楽しみなことはない。それぞれが人生をしっかりと生きている。それぞれが自分のすべきことを一生懸命に取り組んでいる。それでいいのだと思う。

今夏,久しぶりに会った石瀧先生も意欲的に研究に専念されている。脇田さんも石瀧先生も私に勇気を与えてくれる。

私が尊敬する研究者は,自らのスタンスにしっかり立脚して,坦々と日々の研究や仕事を実践し,その成果を発表していく。その研究姿勢を私も学びたいと思っている。

文章表現にはその人の人間性が表れる。
特に,他者を駁撃する場合,その人間の性質や性格が表れる。イヤミや皮肉を多用する人間は,歪んだ性格や偏向した考えの持ち主だと思う。

彼らは決して自己を誇示するために,他者を引き合いに出して揶揄・愚弄することはない。批判検証と称して,他者の論考のみならず人格や人間性に至るまで,独断と偏見,憶測をもって扱き下ろし,見下すことで自己満足するような姑息さは,彼らにはない。
真摯な研究姿勢は,誠実さと謙虚さに裏付けられることを知っているからだ。他者が真摯に研究している成果を批判する際,その表現や言葉に配慮しない傲慢さは,人間としての品格を疑う。

脇田さんと別れ際に,自分の葬儀の時,多くの人間に参列してもらうことよりも,朋にこそ別れを惜しんでもらいたいと話した。そんな友を得たことを心より嬉しく思う。


私にとってのライフワークである「解放令反対一揆」の研究に着手した。

最近書いた文章を若干手直しして,別ブログに移行させた。今後は
「解放令反対一揆」の考察については【
我が心は石にあらず】に
「明六一揆」の考察については【
存在を問い続けて】に論述していくことにした。

拙ブログは,あくまでも「ノート」であるので,先々ある程度の論文にまとめることができればHPにて公開し,やがては本として出版したいと思っている。
また,部落史に関する授業実践用の教材として整理したいと思っている。

私は「解放令反対一揆」を単純に農民による「部落襲撃」という観点でのみ捉えてはいない。
江戸時代から明治時代へと移行する過渡期に際して,急激な制度・体制の変化に対応できない人々が旧体制への回帰を求めて起こした要求運動であり,過激化した騒擾事件である。そこには多くの矛盾が内包されている。国家による支配体制の確立とそれに対する民衆の抵抗,その背景にある対外関係からの強引な国内整備(内治政策)など,そして何よりもすべての基盤であった「身分制度」の解体が巻き起こした変化とその影響が大きい。

政治・社会の体制が大きく変貌するとき,民衆の意識はどのようになっていくのか。

私は明治維新という社会変革を,時代の変化として評価する。人間の歴史において進歩であったと思っている。だが,襲撃された部落をその犠牲者というとらえ方もまた一面的であると考える。明治維新という移行期における身分制度の解体と民衆意識の変化を総体的に考察していきたい。

posted by 藤田孝志 at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

自己実現

偶然にnet surfingの途中で見つけたのが「注目の人」というsiteだ。

無断での紹介だが,別に悪意あってのリンクではないから許してもらえると思うので,勝手に紹介させてもらう。

学校という世界は狭い。だから,生徒にはできるだけ広い世界・異種多様な世界を提示することが大切だと思っている。古今東西の出来事やエピソード,本の世界だけではなく,現在を生きている人々,特にTVや雑誌で活躍している人たちの別の側面であったり素顔であったりが,これから自己実現へと向かう生徒には貴重である。

その意味で,このsiteに登場する人たちが語る自己実現の道程はよい教材となる。


この「注目の人」に登場する人たちの人生行路を読みながら,すべての人間には「自己実現」という人生ドラマがあり,それは水平社宣言の説く「人は尊敬すべき」であるとあらためて思った。

いかなる人間であっても,いかなる人生であっても,それはその人間にとっての二度とない人生であり,かけがえのない自己実現である。
他者がその人の自己実現を安易に論じたり非難したりできるものではない。

また,自らの歩んできた人生を決して卑下すべきではないと思う。
人生行路において失敗や挫折があり,後悔や悔悟の思いがあったとしても,辛酸も悲哀も含めて,それも自己実現の糧であったと思う。

私は無神論者であるから,キリスト教徒や仏教徒のように神や仏に縋って赦しを請うことも,自己正当化の方便に使うこともしない。人間として如何に生きるか,如何に在るか,人と如何に接していくかを自らに問いかけながら生きる。

自分の言動を顧みることもせず,悪いのはすべて他者であるなどと自己正当化に終始することは烏滸がましくて,とてもできない。まして,自分を被害者のように,悲劇の主人公のように,同情や哀れみを引く言動を工作する卑怯な手法など取りたいと決して思わない。
なぜなら,自分自身が「偽っている」ことを知っているからである。その自己「欺瞞」を私は認められないからである。

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2010年12月30日

選択

中学3年生にとって新年を迎えるこの時期は進路を選択する決断の時でもある。どの高校を選択するか,将来の方向を決める時である。夢の実現に向けた試練の時でもある。


井上ひさしの『青葉繁れる』に,次の言葉がある。

ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ。

人間は誰もが,その人生において幾度かの大きな「選択」と,日々の生活の中で小さいけれど大切な「選択」を決断しながら生きている。その選択により,時に満足しながら,時に後悔しながら,次なる選択をして生きる。

「選択」の結果は必ずしも本人が望んだものではないかもしれない。プラスの結果を望んでもマイナスの結果に終わることもある。予期せぬ結果となり苦悩することもある。

この言葉にある「マイナスをすべて背負う」という覚悟ができるかどうかである。
何が生じるか,何が起こるか,予想できることもできないこともある。それらすべてを覚悟しなければ選択はできない。
自分だけではない。自分以外の反応も選択によって生まれてくる。好意的な反応も協力的な影響もあれば,反発も敵意も,邪魔も攻撃もあるかもしれない。それらマイナスもまた選択の産物であり,覚悟しなければならない。

振り返れば,多くの悔悟がある。まちがった選択もあったし,選択によって思いもよらぬ結果を招いたこともあった。後悔しても仕切れぬこともある。


今年も残り1日となり,1年を思い返せば,様々なことが蘇ってくる。新たな出会いもあれば,別れもあった。二度と会うことも適わぬ別れほど悲しく辛いことはない。
人間,いつしか死ぬものだが,残された者には思い出とともに,やり直せぬ悔いが心の奥底に沈む。

生きていればまたいつか会えると思っていたことが,どれほど軽薄で自分勝手な判断であったかを,死に際して思い知らされる。

その思いをあらためて痛感させられたのは,本年9月に逝去された好並隆司先生との別れである。
好並先生との直接の出会いは,もう十数年以上も前になる。確か,岡山部落解放研究所に資料を借りに訪ねたときにお会いしたのが最初ではなかったかと記憶している。そのとき,若林先生と好並先生が渋染一揆の「渋染」について議論をされていて,私にも意見を求められ,いろいろとお話をさせていただいたことを覚えている。

とても気さくな人柄で,誰に対しても温和に対応されたことが印象に残っている。探求心旺盛な学究肌で,地道に文献を読み込んで,一字一句から考察する姿勢は,さすが中国政治思想史の研究者と思った。

それ以来,岡山県同和教育研究協議会の解放令反対一揆研究会など部落史研究や部落問題に関わる会合や研究会,岡山部落解放研究所などで,親しく接していただき,多くの教示と助言をいただいた。

私が同和教育・人権教育の担当を離れ,県同教の活動からも離れて以来,また県解放同盟の分裂の余波もあって,お会いする機会がないままに数年が過ぎてしまい,突然の訃報を聞くことになってしまった。

聞きたいこと,教えてもらいたいことがたくさんあったが,今では多くの課題だけが残ってしまった。

posted by 藤田孝志 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

知的余生

歯医者の帰り,丸善書店にて目にとまったのが『知的余生の方法』(渡部昇一)である。

思想的には渡部昇一氏の考えに賛成できないところもあるが,彼の博学さと文献資料を読み込んでの考証学的論究からは多くの示唆をもらってきた。

渡部氏を知ったのは,やはり名著『知的生活の方法』であった。高校時代,恩師に紹介されて読んだ本であるが,学者の研究生活に憧れを抱いていたこともあり,とても刺激的な本であった。渡部氏の実体験に基づいてのアドバイスの数々,本を手元に置いて生活することのすばらしさなど,若い私にとって指標ともなった。

『知的生活の方法』が出版されて34年もの歳月が流れ,その後の指標ともなる本書が書かれたことが興味深く,買い求めた。

表紙カバーの裏書きに書かれている紹介文の中に,次の一文がある。

知的な生活を心がければ,素晴らしい人生を取り戻せる。「知的余生」とは,年齢を重ねても頭脳を明晰化し,独自の発想にあふれた後半生のことである。

【知的に生きることは,人生を何倍にも充実させる】
なるほど確かにそのとおりである。


本書には,ユングの言う「人生の午後三時」以後を生きるための「知恵」が書かれている。たた後半生を「生きる」だけでなく,創造的な充実感の中で「知的に生きる」ため方法が,豊富な教養と実体験から紡ぎ出された叡智として伝授されている。

少ニシテ学ベバ,即チ壮ニシテ為スアリ
壮ニシテ学ベバ,即チ老イテ衰ヘズ
老イテ学ベバ,即チ死シテ朽チズ

佐藤一斎『言志晩録』

…だが,こうして一生懸命に働いて定年を迎え,ではこれから何をやっていこうか,と考えた時,ハタと,何も学んでいなかったことに気づく。やることが思いつかない。仕事中に学んだことが,その会社や地位を離れた途端に,何の役にも立たないことに気づく。こういうことが多いのだ。これでは,壮にして学んだことにはならない。忙しく仕事をしているから,学んでいるように誤解しているだけで,決して学んではいない。仕事上の勉強を,自分自身の勉強と勘違いしただけなのだ。

耳に痛い言葉であるが,至言でもある。

教師の世界でも,本書に書かれているように,定年退職後に見事な第二の人生を生きている先輩も多くいるが,急激に老けてしまった方もいる。

私の恩師は,高校教師を退職後,専門の臨床心理学を生かして教師のためのカウンセリングセンターを開き,まるで松下村塾のように後進を育成されている。見事としか言葉がない。
彼を見ていると,私が高校生の時から自らの勉強を続けてきたのだと思う。「学歴」ではなく「学」の大切さを教えてくれた。このことは,本書でも渡部氏が「学歴は無用である」と力説している。


本書の大部分は,渡部氏の体験談や彼が見聞したり読んだりした古今東西の著名人から身近な人物までのエピソードを例として書かれている。これが実におもしろく,また例示として最適な引用である。だから,彼の提案が具体性を帯びて納得できるのだ。

健康・場所・時間・財産・人間関係など知的生活を支える環境的基盤について,英語などの語学力・読書法など知的生活を深化・発展させるためのツールについて書いてある。

特に「英語力」についての一文は,私が実感していることを述べている。現在の学校で教えている会話中心の英語ではダメだということだ。

中学校は教科担任制だから他教科の教科書はほとんど見ることもない。補習などで英語や数学を教えることもあるが,受験用の問題集やプリントを使うので教科書の内容をじっくりと読むことはなかった。

先日,あることで英語の教科書を見たのだが,その変わり様に些か驚いた。英語の授業のほとんどが会話中心とは見て知っていたが,その教科書のわかりにくさと文法を軽視した内容には愕然とした。
正直,中1の教科書に載っていた会話のフレーズを訳せなかった。あまりにも意訳してあるからだ。幾通りにも訳せるフレーズではあるが,はたして日常的に使うのだろうか,疑問も感じた。オーストラリア人のALTに聞くと,少ないとのこと。

中学生の学力低下は実感し続けている。この20年間,教科書内容と記述が簡略化するたびに,彼らの思考力と文章表現力は数段ずつ下がってきている。そして,それにともなって理解力が低下している。

教師に責任を求めるのは簡単だが,一概には言えないと思う。だが,教科書の内容は確かにひどい。改訂のたびに内容が薄っぺらになってきた。(だから,今回は大改訂なのだが)

渡部氏の嘆きは教師の実感である。
教師の誰が,教え子に現行の教科書程度の適当な学力をつけることで満足しているだろうか。限られた時間の中で,数十人もいる学力レベルのちがう生徒たちを相手に,少しでも学力を高めようとあらゆる工夫をしているのだ。教科書の補足だけでなく,独自のプリントや教材を用いて教え,個別な対応・多様な対応もしているのだ。


本書を一読して,いろいろと考えさせられた。確かに,これからの半生を考える時期がきたのかもしれない。
10年間の無為な日々を取り戻すには,10年間が必要だと思う。肉体的にも精神的にも改造の必要な時期だと思う。

本書の中程に時間についての考察がある。私が最も感銘を受け,納得した箇所でもある。哲学的な時間の概念に対して語源をもとにした時間の考え方を示し,「内なる時間」をとらえることの重要性を示唆してくれた。

若い頃の時間はゆっくりと流れる。しかし,年を重ねるとだんだんと速く流れるようになる。だから老化というのは,時間の流れを速く感じるようになることなのだ。
…年とともに時間の質が変わってくる。そしてシニアはこの質の変化にとまどう。あまりの速さについて行けず,結局は無為に時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。

これもまた当然なのだが,私のように1年のサイクルが変わることなく繰り返される教師は,時間の概念を忘れてしまう。学校という場所,授業内容と年間行事といった外的諸条件が変わらない以上,同じ「年」が同じように繰り返される。しかも相手の年齢は常に同じである。変化しても3年間である。
高校生や大学生,社会人となった教え子に,自分の加齢を気づかされる。

教師は職業柄,時間の概念に乏しいのかもしれない。麻痺してしまうと言った方が妥当かもしれない。
だから,自分の時間,将来を見据えた時間を考えるべきなのだと気づかされた。

知っていることが多いように思えたが,実は知っているだけで,その意味することがわかっていなかったことを教示されたのが,本書であった。

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2010年10月03日

議論

今夕,NHK教育テレビで「ハーバード白熱教室@東京大学「イチローの年俸は高すぎる?」が放映された。
人気番組「ハーバード白熱教室」の日本での特別講義で,一般公募で選ばれた人や東大生など約1000人が参加して行われた議論を収録した前半の放送である。

議論の内容も興味深かったが,何より「議論」をリードするサンデル教授の授業手腕とディベートの方法論に関心をもった。

サンデル教授は,日々の生活の中に題材を設定し「君ならどうするか?何が正しい行いなのか?その理由は?」と問いかけ,活発な議論を引き出し,その判断の倫理的正当性を考えていく。
彼の授業は,ソクラテス式教育の最高の実例と言われているが,若き頭脳たちのディベート能力や思考力を引き出し,論点を整理し,次の問いを投げかけることで,さらなる思考へと導く。その流れの中で,自然に哲学的対話が成立していく。弁証法的な高まりが「白熱」と呼ばれる所以だろう。実に見事である。


日本の学校教育に欠けているのは,思考力・言語表現能力だと言われるが,その要因の一つが一方的な知識注入方の授業である。講義式の授業,正答を要求し,それ以外を認めないテスト,それに慣らされた生徒は,極度に不正解を恐れ,自分の答えが正当かどうかを気にして,意見を言わなくなる。そのような生徒に育ててしまっているのだ。

サンデル教授が求めるのは,正答ではないし,正答かどうかの判断がむずかしい問いばかりを発する。つまり,「思考すること」=哲学なのである。

「議論」は,自らの思考や論理を「検証」し合うこと,互いの主張や意見,その根底にある「考え」を確認し合うこと,さまざまな理論を学び,それを実際に使いこなすことで自分の思考を深化・発展させていくことが,目的なのである。

「議論」を自己正当化や他者を論破することを目的にすれば,それは「論争」に終始することになる。「議論」と「論争」はちがうように思う。まして論破することを目的とした「論敵」と「議論の相手」は,相手に対峙する気持ちが大きく異なる。

特定のテーマを設定した「議論」を通して,新しい真理を追究していくことは可能である。部落問題でも部落史でも,ハンセン病問題でも,いかなる問題であろうと,議論は可能である。
「議論」の条件を守れる人間であれば,共同研究も可能である。それは,自己正当化に固執したり,相手を論破することに執着したりしないことである。弁証法的な議論を可能にするためには,相互理解である。他者を認められない人間には「議論」は向いていない。

「議論」もまた人間観,人間関係の構築ができるかどうかである。
つまり,他者を尊敬し認めることが必要である。感情が先に立つような人間には冷静な議論はむずかしいだろう。「議論」の場が自己正当化に終始するような感情的対立に支配されれば,理性的な思考と判断は消え去るだろう。だが,互いを認める中で進められる「議論」においては,より「理性」的な判断と思考によって深化・活性化したものになるだろう。
「議論」を可能にする能力や理性,人間性が自分に備わっているかであり,それもまた「議論」によって培われていくものである。偏狭な人間関係,生活圏に生きている限り育つことは少ないだろう。

「議論」ができるかどうか,しようとするかどうか,するための資質と能力を備えようと努めるかどうか,だろう。「議論」に適さないのは「独断」であり「偏見」である。自分の考えや主張を絶対化して聞く耳を持たぬ独善家に「議論」は不要であろう。

「議論」が熱を帯びてきても,根底に互いを尊重する精神があり,その目的が自己正当化でも論破することでもなく,真理の探究と知への敬慕であれば,理性的な対話は成立し続ける。サンデル教授の「白熱」のように。


研究のスタイルもさまざまである。書斎に籠もって文献や資料を相手に孤独な思考実験を繰り返すタイプもあれば,自分の研究成果を他者との議論の中で検証しながらまとめあげていくタイプもある。その他のスタイルもある。自分に適したスタイルで研究すればよいと思っている。

ただし,カントでもヘーゲルでも,気むずかしいウィットゲンシュタインでも「議論」は重視している。

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2010年10月02日

何を残すか

ハンセン病療養所に入所されている方々は,芸術や文学の世界に素晴らしい作品を多く生み出している。その高い芸術性と感性の豊かさ,独特の表現力は,ハンセン病文学(芸術)と呼ぶにふさわしい独自の世界がある。
また,長い歳月を闘ってきた自治会活動,裁判闘争などを通じて残された多くの記録文章や活動そのものをみても,その学問的・政治的能力の高さに驚歎する。

世間には,衣食住に不自由なく,生活に困らず,自由な時間があるから好きなことが好きなだけできるんだと揶揄する人間もいる。ハンセン病患者が歩んだ辛酸の道を知らないから言えるのだ。
国賠訴訟の提訴準備中に入所者から発せられた言葉がある。

請求金額については,同じく人生を奪われたと訴えた薬害エイズ訴訟の請求額1億円が基準となった。ただ,誰にでもわかりやすかった薬害エイズの健康被害に比べて,本件の隔離被害は目に見えにくい。国民世論の共感は得られるのか。
弁護団が悩んでいるそのとき,堅山は口を開いた。
「弁護士さんたち。1億円で私の人生と代わっていただけますか」

この言葉は重い。この言葉だけで人生・人間を考える授業ができる。


神谷美恵子「島の精神医療について」(『人間をみつめて』)に,次の一文がある。

長島というのはかなり広い島で,同じ島の光明園の人も入れればそこに二千二百余人もの患者さんがちらばって暮している。たまに行く精神科医とは顔をあわせたこともない人が多いので,私は決して彼らの生活や意識をよく知っているわけではない。いろいろな意味で今なお,時どきびっくりするような人に会うことがある。たとえば昨年のことであったと思う。ある日,まだ三十代と思われる男の人によびとめられた。
「先生,ちょっとぼくのやっている翻訳をみてくれませんか」
みると,少し不自由な手で,分厚いフランス語の本を胸に圧しつけるようにして抱いている。むつかしい歴史の本である。びっしりときれいな細かい字で記した大学ノートの訳文とつき合せてみると,ほとんどまちがいがない。この人は少年の頃,発病して入園しているはずだ。

「どうやってフランス語を勉強したの?」
「ラジオで何年も独学して,答案も放送局へ送って添削をうけたりしました。テレビも利用します」
あっさりと彼はいう。しかし集団生活の中で,これがどれだけの意志力を必要とすることか。大学生たちがフランス語をやっても,たいていものにならないことを思うと,私は彼の肩を叩いて激励したくなった。

「べつに出版のあてがあるわけではありません。ただ,いったい,自分のやっていることがまちがいないか,それが知りたかっただけです」
彼のにこにこした顔をみて思った。要するに金や報酬や名誉の問題ではないのだ。自分のいのちを注ぎ出して,何かをつくりあげること。自分より永続するものと自分とを交換すること。あのサン・テグジュペリの遺著『城塞』にある美しい「交換(エシヤンジュ)」の思想を,この人はおそらく自分では知らず知らずのうちに,実行しているのだ。その後も彼はあいかわらずせっせとこの仕事をつづけ,私には答えられないようなむつかしい問いをためて,時どき聞きにくる。

長島愛生園に入所されていた中原誠さんのことである。

北条民雄など一部を除いて,入所者のほとんどが最初から作家や芸儒家になりたかったわけではない。中原さんのように,ハンセン病療養所で生きなければならない自らの人生を何か形あるもので残そうと思ったのだろう。あるいは,自らの語り得ぬ苦悩と悲哀,生きなければならない「自分というもの」を見つけるためであったように思う。

「何を残すか」―それは,人として誰もが思うことだ。

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2010年09月20日

秋を感じながら

朝に肌寒さ,夕に日暮れの早さを感じ,秋の訪れを実感している。日中は残暑の厳しさを感じはするが,それも吹く風の心地よさが和らげてくれる。私は,季節の中で秋が最も好きである。読書やスポーツの秋といわれるが,思索にとっても最適な気候である。

これからの時期,冬にかけて多くの研究発表会が開催される。1年間あるいは2年間,研究してきた成果を発表する。私もこの2年間,社会科部会の研究に携わってきて,研究経緯,成果と課題を紀要原稿にまとめ,11月の研究発表会を待つのみとなった。
新しい学習指導要領の完全実施まで2年,移行措置は来年度より始まる。今回の改定は十数年前以来の大幅改訂であり,特に地理的分野は基本的な考え方や指導内容が大きく変わった。果たしてどちらがよいのかは現段階ではわからないが,様々なアプローチや深化の可能性としては十分にあると思っている。

歴史的分野においては指導内容と時間数が増えたことにより,教科書記述も詳しくなったり広がったりしていると思うのだが,実際はどうなのだろうか。
法が切れて以降の教科書改訂では「部落史の見直し」の成果が反映されてきた反面,部落史など人権に関係する内容は簡略化されたりテーマ学習に移行されたりしてきた。そのため簡単に済ませてしまうことも可能となり,教師によっては教えない場合もある。

マニュアル的な指導書が必要なのかもしれないが,結局は意欲の問題だと思う。専門性に対する不安もあるだろうが,自分で調べて教材化することで十分に対応できるとも思うのだが…。


この数年の無駄にした時間を取り戻すべく,自分のすべきことに専心することにした。そのために,自分の研究の整理をすることにした。優先順位も必要である。あれやこれやと手を拡げすぎたために,拡散して収拾がつかなくなっている現状がある。

まずは,ハンセン病史をまとめることから着手しようと思う。ついで,部落史について今までの研究成果をまとめ,教材集の作成をおこないたいと思っている。

ようやく無意味なことに煩わされずに,自分の仕事や研究に専念できると思うと,随分と気が楽になった。

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2010年08月29日

善意と誠実

光田健輔の自伝を読みながら,彼の考えと行動を軸に,日本のハンセン病政策−絶対隔離政策の歴史的背景をまとめる作業を進めているが,あらためて人の人生とは何だろうかと考えてしまう。
光田健輔は「現在」を知らずに亡くなっている。彼が亡くなった当時は,彼の思うハンセン病政策が継続していた。絶対隔離政策によって国内のハンセン病患者はほぼ完全にハンセン病療養所に収容され,彼がハンセン病撲滅を決意する契機となったような浮浪患者はいなくなっていた。
晩年の光田は,自らが考え実行した「絶対隔離によるハンセン病撲滅」政策に満足していたことだろう。

彼の目には,死んでいった多くの患者たちは「解剖のための実験材料」であり,彼(や彼に同調する所長たちの方針)に反発して「監房」や「重監房(特別病室)」に入れられた患者たちは「不良患者」であって,彼らの死に心痛めることはなかったのだろう。


光田の自伝(『愛生園日記』)には,彼の本質がよくわかる文章が記されている。ある意味,彼は正直な人物であった。

…どこの療養所も彼らにとっては,終生の住み家なのである。

この無期囚人にひとしい人たちを扱うためには…

善意と誠実でやることだ。勇気を出さなくては,何事もできるものではない。私が告訴されれば刑務所へ行くまでのことだと覚悟をきめた。

二十一才ではじめてライ患者に接触以来,八十二才の今日まで,この仕事一途に没頭してきて,いまさら仇敵呼ばわりされるのは,さびしくないこともないが,それがライ医学者の宿命だと,私は思っている。しかしたとえライ患者から仇敵といわれようと,時世を知らぬ頑迷固陋とののしられようと,私は一歩も退くことはできない。私は社会をライから守る防波堤となって,堤がきれたら自分のからだを埋めて人柱となろうという,命がけの決心で暮らしてきたのだ。

これらの言葉をどのように受けとめればよいのだろう。
一面では彼自身が言う「善意と誠実さ」を感じるが,他面では自ら認めるように「頑迷固陋」そのままである。
しかし,この開き直りとも思える彼の頑強な独善性のために,どれほど多くの患者や家族が苦しんだことだろう。


「善意と誠実」という美名の影に「自己正当化」「独善性」が加味されるとき,偏狭な教条主義に化ける恐ろしさを,教訓として学ぶ必要がある。

「ハンセン病の撲滅」という美名の影で,あるいは「療養所の治安維持」という大義名分の下で,絶対隔離が正当化され,懲戒検束権という超法規的措置が公認され,断種・中絶・解剖などが非合法であっても公然と繰り返され,患者は家畜のように飼い殺しにされてきた。

光田健輔ひとりの責任を追及するつもりはないが,彼の功罪は問われなければならないと思う。だが,それ以上に,彼に同調して従った人たち(光田一派)や,あるいは彼や彼の一派が創り上げた療養所やハンセン病対策のシステムを疑うことなく実行した人たちもまた問われなければならないと思う。

彼らの「善意と誠実」と思い込んだ行動について,今までなぜ検証されなかったのだろうか。
その結果,手段が目的のために正当化されたのだ。「目的」の正しさが「手段」を正当化することはない。

懲戒検束権の行使も,特別病室への送致も,当初の目的から逸脱し,「手段」だけがその効果に比してエスカレートしていったと考えられる。「頭を冷やしてくるか」「草津に送るぞ」等々の威しが目的とした効果を生むだけでなく,患者を従順にさせる以上の優越感や支配感を満足させたと思う。軍国主義の悪しき命令服従関係や力による制圧が有効手段と認められていた時代が背景にあった。

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2010年08月15日

我が心は石にあらず

高橋和巳は私の最も好きな作家であるが,彼の「我が心は石にあらず」と題する作品は,その題名をこの詩の一節からとっている。

我心匪石       我が心 石に匪ず
   不可轉也         轉がす可からざる也

我心匪席       我心 席(むしろ)に匪ず
   不可卷也         卷く可からざる也

わが心は石ではないので 転ばして変える事はできない

 我が心は席(むしろ)ではないので 巻いて丸めることはできない

『詩経国風:邶風篇』

この詩そのものの意味内容も解釈も諸説あるようだが,私はこの一節が好きだ。

私は人それぞれが,それこそ必死で学び研究し,真剣に考えに考えて,その時の最善を尽くしている考察と論考を尊重したいと思っている。だから,私は自分の考えや思想を人に対して強引に押しつけたり,賛同しない人に対して愚弄したり扱き下ろしたりはしない。また,自説を守るために人を「攻撃」するような愚かな行為はしない。人を批判(非難)することが目的の研究などしたいとも思わない。

人から何を言われるか気になって仕方がないような,あるいは些細なことで人の揚げ足をとって優越感に浸るような,さらにはちっぽけな勝ち負けにこだわるような,そんな愚かしい行為を日々繰り返して何になるというのだろうか。
貴重な時間を,人を揶揄・愚弄して人に不快感を与えて喜ぶことに費やすなど,よほどに捻くれた性格の人間と私は思っている。世の中には,実にさまざまな人間がいる。自分の範疇では理解しがたい人間もいる。それだけのことでしかないと思っている。

自分の考えや意見の中にまちがいがあれば正せばいい,修正すればよい。たとえ小さなことであろうとも,そこにわずかでも誤りがあれば,意固地になって固執せず,素直に認めて誠実に修正・変更すればよいのだと思っている。私は,偏狭さこそが自らの考察や研究を曇らせてしまうと考えている。

ただし,私は不当な批判や非難に関しては,自分の信念に従って生きていこうと思っている。

その意味で,この詩の一節は私の覚悟だと思っている。


現在,5つのブログを立ち上げている。それぞれにテーマを決めて運営していこうと考えている。「部落史・部落問題」「ハンセン病問題」「岡山の部落解放史」「教育・社会・人生」「歴史」の各分野に関する私見・私論をまとめていこうと思っている。
今までの記事のうち,残しておこうと思うものがあるので,それらはまとめて公開しておく。

HPの改造が随分と遅れている。「あひる企画」が他の仕事に専心しているので,無理も言えない。その間に,私は自分のすべきことをしておこう。

posted by 藤田孝志 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

教え子の死

昨夜遅く携帯電話が鳴ったようだが,疲れて寝込んでいて気がつかなかった。教え子の一人からの4年ぶりの電話だった。朝気づいて,何事かと妙な胸騒ぎと不安で電話したがつながらない。昼過ぎ,別の教え子から電話があり,彼らの同級生が死んだことを知った。確か33か34歳になった学年だと思う。

数年前,この学年が同窓会を開いたとき,仕事を終えて車を飛ばして,それでも間に合わず遅れて駆けつけてきた彼と朝まで飲み明かしたことが思い出される。中学校卒業後の日々を言葉少なに語りながら,彼独特のはにかんだ表情が鮮明に蘇ってくる。その表情と姿がいつしか中学校の頃の彼になり,やんちゃだった彼との日々が走馬燈のように脳裏を駆け巡る。
同級生の誰からも好かれた彼だったから,突然の訃報に皆が一様に深い悲しみに沈んでいると聞く。私も絶句するほかなかった。

部落に生まれて育ち,学習会にも通ってきた。口数が少なく,上手く自分を表現できないことから周囲や教師と衝突することもあったが,男気と情に厚い人柄ゆえに憎めなかった。いろいろとあったように聞いていた。理不尽な差別も受けたようである。挫折もいっぱいしたそうだ。悔し涙も流した。彼の親しかった友人が話してくれた。

くも膜下出血,病院に運ばれたときは手の施しようもなかったとのこと。無神論者の私は神に祈ることはなく自然を受け入れるのみだが,それでも「なんで死んだ」と人間の運命を思わずにはいられない。

彼の同級生が昨年死んだ。1年もしないうちに2人も,しかも仲の良かった2人が相次いで死んでしまった。彼女と最後に語り明かしたのも同じ同窓会だった。幼い子を残して逝った彼女もまた,離婚後に苦労を重ねていた。学習会で勉強を教え,悩みを聞き,将来を語り,高校受験を乗り越えた2人を,なぜに同じ時に失ってしまうのか。


教師にとって,教え子の死ほど辛く悲しく,無念を感じることはない。一体,幾人の教え子の死を見つめてきただろうか。若い死は,あまりにも残酷だ。これからと思う矢先の死は,希望を瞬時に絶望に変えてしまう。そして,言葉すら失ってしまう。

毎年,教え子を送り出し,新しい教え子を迎える。そして1年が過ぎ去り,教え子は成長して巣立っていく。3月は別れの時,春は別れと出会いの季節。だが,死んでしまった教え子には二度と会うこともできない。その後の人生を聞くことも,これからの人生を見ることもできない。早く逝くな,私よりも早く逝くな。

posted by 藤田孝志 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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