2010年10月25日

排除と支配

「人権研究ふくおか」の機関誌『リベラシオン』138号の巻頭提言に掲載されている「同和教育運動の形骸化を考える」(堀内忠)は,現在の人権教育・同和教育の問題点を的確に指摘している。わずか5ページの提言ではあるが,人権教育へと移行される中で忘れ去られた同和教育の本質,そして現在の学校教育が,そして我々教師が失いつつある教育の理念を見事に糾している。
最近の論考の中で,ここまで端的に核心を突いた示唆は読んだことがない。

…いじめの形態を詳しく分析すると「シカトとパシリ」の二つの形態に分類することが出来る。シカトは「排除」であり,パシリは「支配」の行動である。学校でのいじめは子ども社会の中での差別そのものである。「いじめは差別ではない」という教師の中には,部落問題の解決の取り組みを通じて,人権問題の解決という展望を明らかにする教育実践が見えてこない。同和教育運動は部落差別をなくすためのみの教育実践だと歪曲化して考えると,「エタ・非人」発言は部落差別につながるから差別発言であるが,いじめは部落差別と関係ないから差別ではないという考えに立った理論になってしまう。

私は住民啓発の中で,「全ての人間が人間らしく生きる権利」を人権と定義し,人間の生存権や尊厳を「排除や支配」という手段で侵すことを差別であると定義して問題提起している。元ハンセン病患者の人権問題,被差別部落の人権問題,外国人の人権問題の多くは「排除」という手段の差別であり,女性の人権問題や子どもの人権問題は「支配」という手段での差別であると考えている。また,人間の生存権や尊厳を侵す行為は犯罪であり,一つの「排除や支配」の理由を黙認することは,新たな「排除や支配」の理由を生むことになり,何時,どのような理由で自分が「排除や支配」の対象になるかわからない。

上杉聰氏が部落差別の形態を,奴隷と対比させて奴隷は「パシリ」(支配)であり,穢多非人は「シカト」(排除)の差別であると説明していたことを思い出した。確かに,いじめも差別もその形態から考えれば,「支配と排除」である。

そのちがいは「する側」(差別者)の意識による。差別者が対象者をどう思うかによって決まる。「シカト」するか「パシリ」として使うかによって,対象者の位置が決まる。これが差別の一方的な構造である。

「シカト」と「パシリ」は形態上は明確な相違があるが,それは固定化しているようで必ずしもそうとはいえない。差別者の意識(必要性)によって変化する。

江戸時代の役務では,穢多・非人身分は明らかに「排除」(シカト)の差別を受けていながら,他方で番人などの治安維持やキヨメ役などの祭礼において「支配」(パシリ)の差別を受けてもいる。

現代においては「排除と支配」の差別構造は,「いじめ」でもわかるように,関係性が日常において緊密になっていることで,対象によってどちらかに限定されることは少なくなっている。経済基盤や経済関係,あるいは日常生活の場が共通となっていることがその背景にある。

差別の形態,差別構造の解明には「排除と支配」という分析・考察の視点は有効であると思う。何が差別であるかを見抜くために重要な視点である。


最近の教育現場では,人権学習は部落の歴史を教えることであると考えている教師が多いことを知った。何のために部落の歴史を教えるのかをもう一度考えてもらいたい。部落を「排除」することがおかしいことを歴史的に明らかにするための部落の歴史であって,歴史教育ではない。部落の歴史以外に部落を「排除」することが不当であることを教えることが出来る教材があるならば,部落の歴史を教える必要がないと思う。何にために,何を知ってもらいたいために,どのような人間になってもらいたいために,人権教育でこの教材を学習するのかをもう一度考えてもらいたい。「排除や支配」の体制が教育現場にある状況で,身分制度を知識として学ぶと,その知識は「排除や支配」の道具として使われることがある。人権学習の後に起こる「エタ・非人」発言がその典型である。また,先輩の実践した教材を無批判に利用して授業をし,「私は人権学習をしました」という教師にはなって欲しくない。

同様のことを先月の講演で強く感じたので,この提言にはまったく同感である。

部落史を「知識」として教えることには昔から違和感を感じていた。学校はカリキュラムを重視するあまり,歴史的背景は社会科の歴史で教え,心情面は道徳の授業で考えさせるべきだと主張する教師は今も多い。特に社会科以外の教師に多い。
私は,この教科・領域制には反対である。学習指導要領に規制されて授業を構成すべきではないと思っている。教科の特性という面もあるが,学習指導要領を作成するための便宜上の分類のような気がする。生徒の「学び」からの発想ではない。

このことは,サンデル教授の「白熱教室」を見て,より強く思うようになった。社会科の授業に道徳的な授業内容を含めてはいけないなどナンセンスと思っている。

授業は料理と同じで,生徒がおいしく食べて血肉とすることが目的であり,洋食や和食という便宜上の分類にこだわるべきではない。洋食に和食のテイストや手法を取り入れてもよい。
社会科の歴史的分野や公民的分野で部落史や部落問題を扱う際に,道徳的な内容を加味して授業を構成すべきだと思っている。他教科の授業で人権学習の教材に取り組み,道徳や社会科の要素を加味してもよいと思っている。専門性にこだわらず,内容を充実させて目的を達成すべきである。

あらためて「目的」を明確にした人権教育の実践が求められている。既存の授業案や教材を踏襲するだけの授業は考えものだが,実践しないよりはいい。
だが,今までの取り組みや教材集が見直され,よりよいものとして受け継がれていない現状もある。単なる「マニュアル」ではいけないが,料理のレシピ本のような指導書は必要なのかもしれない。


この「提言」の趣旨には賛成するが,次の一文については無批判に賛同はできない。
教育の本質という目的論としては同感であり,目指すべき教師の姿勢としてはそうあるべきと認識している。
しかし,この論理展開には,多様な現実の姿,生徒や親の多様な考えや実態を軽視した単純に二元論化した発想がある。二三十年前の教育現場であれば,この論旨の前提となった現状が見られたであろうし,そのような教師もいたであろう。だが,現在の学校を取り巻く状況,親や生徒の質的な相違は大きいのだ。

子どもの学力の向上のために(授業が正常に成立するためにとの理由で),腐ったリンゴを取り除くような教師になって欲しくない。そして子どもの荒れを子どもや親の責任にしてしまうような教師になって欲しくないのである。いくら静かに授業が成立したとしても,荒れた子どもたちを排除して成立した授業は,教育の本質から外れた差別教育である。…教師の指導に従わない子どもは悪者なのだという姿勢で,親や子どもに対応する姿勢が教師の中にあるとするならば,子どもや親に対しての「支配」そのものであり,「人質論」が親の口から出てくる。この「人質論」が出てくる時は,親や子どもの共感の下での教育実践は出来ない。同和教育運動は今までの上から目線での教育に対して,教育は子どものためのものであることを実践の中で提起した運動であった。教師の「支配」の姿勢でのぞむ教育実践は差別教育そのものである。

失礼な言い方だが,この批判は外から見た一面的な認識であり,机上の域を出ない主張であると思う。
誤解のないように書いておくが,私はこの論旨も提言も否定しているものではない。目指すべき理想像であり,追究すべき教育実践の目的であることは,そのとおりである。

だが,生徒の荒れの要因も実態も多様化し,親の考えも生き様も多様である。「人質論」を逆手にとって,教師に無理難題を平然と要求する「モンスターペアレント」もいる。正義が通用しない価値観をもつ生徒や親もいる。公正や公平といった価値観よりも自己中心的な価値観を重視する生徒や親もいる。
不合理で理不尽な言動を繰り返し,周囲への迷惑を一切考えず好き放題を平然と行う生徒と,それを容認する親もいる。

【…教師の指導に従わない子どもは悪者なのだという姿勢…】を批判する前提条件を堀内氏はどのように考えているのだろうか。上記したように逸脱した行為と周囲への無謀な言動を繰り返す生徒は「悪者」ではないのだろうか。(「悪者」の定義もむずかしいが…)
「荒れ」を一面的な理解で解釈しているように思う。数十年前の教育現場を現在に投影して解釈しているとしか思えない。

私は,この一文を一方向からの主張であると批判しているのだ。

「荒れた子ども」によって「授業が正常に成立しない」ために,授業が遅れ,学力が定着できずにいる子どもはどうすればよいのか。きれい事で済まされない現実がある。荒れた学校にもまじめな生徒はたくさんいる。真剣に学習に取り組みたいと思い,進学に夢を抱いている生徒もいる。
荒れた学校では,生徒は塾で勉強するという,一方の現実をどう考えるのか。

自己矛盾を呈するかもしれないが,荒れた生徒をも魅了する授業を構築し,彼らが居心地のよさを感じる学校や学級を作り出すことが教師の使命ではある。その一方で,進路保障という面から学習内容を毎回次へと進めなければならない。基礎学力がまったく身についていない生徒にとって,日々の学習は苦行である。積み上げ学習である英語や数学では,なおさらだろう。何を話しているかもわからない教室で時間を過ごすことは忍耐の限界を超えてしまう。エスケープか別のことをして時間をやり過ごすしかない。

授業妨害をする生徒を「排除」することと,その子どもを見捨てず関わり続けることは二律背反ではなく,まったく別のことであり,両立させることができることである。

【…荒れた子どもたちを排除して成立した授業は,教育の本質から外れた差別教育である。…】との決めつけには,私は決して納得できない。なぜなら,「荒れた子ども」を無批判に擁護する立場でしかないからだ。これは「弱者を聖化する」論理と同じである。マイノリティであれば何事も許されるのか。ちがうと思う。

かつての被差別部落は,差別ゆえに学習の機会を奪われて言動が粗暴化し,無教養で自堕落な生活を余儀なくされたという実態があった。だから,彼らの粗暴さや粗雑さの背景にある部落差別と闘わなければならない。それが「被差別の立場に学ぶ」ことだと同和教育運動は始まった。
その当時の子どもたちと,現在の子どもたちや親を同じに見てはいけない。「荒れ」の実態も背景も要因も異なっている。多様化しているのだ。

「荒れる生徒」から生徒を守るのも教師なのだ。一時的にせよ,荒れた生徒を「排除」しなければ「正常な授業が成立」しない現実もあるのだ。それでも「差別教育」というのかと,私は問いたい。

「荒れた子ども」の心情を理解し,家庭環境や要因の解決に尽力することと,学校における正常な学習環境を守ることは,どちらも大切な教育活動であり,教育の本質である。

一面的な理想論で一方的に教師批判を展開するのは簡単である。現場を垣間見る程度の現状認識で,教育問題を論じるのは軽薄である。
まず「荒れている子ども」は「弱者」であるかどうかを考察してほしい。彼らによって暴行を受けたり,恐喝されたりする生徒は「弱者」ではないのか。彼らによって「シカト」の標的とされた生徒,彼らによって「パシリ」にさせられた生徒,その生徒は「弱者」ではないのか。

簡単に「差別教育」などと「差別」という表現を使ってほしくはない。


極論かもしれないが,昔ワルであったとかやんちゃであったとか公言しながら今の成功や立ち直りを誇示して教育問題に提言される方々がいる。
例えば,ヤンキー先生と称され,教師や教育委員を歴任し,今は国会議員となっている義家弘介氏であるが,一度彼の講演を聴いたが,言っていることは正論だと思うが,生徒の側に立つを強調しての教師批判に終始し,やんちゃ生徒の代弁者を「正しい」と勘違いしているような内容であった。彼の著書も図書室にあって読んだが,彼のバイタリティーと生徒への愛情は事実だろう。教師への批判においても的確な面もある。
だが,彼らを見て思うのは,彼がやんちゃをしていた時の先生や同級生に対して「迷惑をかけた」という謝罪や償いの気持ちはあるのだろうかという点が気になって仕方がない。私が読んだ限り,そのような文章はなかった。どの程度のやんちゃか問題行動か知らないが,居直るようなことではないはずだ。

それが教師の仕事だとか指導が悪いからだとか言われながら,殴られたり器物を破損されたり,いったいどれほどの教師が悔し涙を飲み込んでいるか。暴力をふるわれたり恐喝されたり,いったいどれだけの同級生たちが辛く悲しい思いをしただろう。

そのような現状が学校現場にはあるのだ。「荒れる子ども」がいる一方で,その子どもたちに「迷惑をかけられている子ども」もいるのだ。振り回される教師もいるのだ。

プロボクサーにも同じ人間がいる。他のスポーツ選手や有名人にもいる。彼らの成功を誹るつもりはない。だが,彼らによって辛い思いや嫌な体験をした人間もいるという事実を忘れてはならない。

posted by 藤田孝志 at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 同和教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

「同和教育」再考

数年前に書いた拙文を再掲する。『週刊ポスト』に連載されている高山文彦氏の差別ハガキ事件に関する取材記事を読むにつれて,あらためて部落問題,そして同和教育について再考する必要を感じている。

「同和教育」という言葉さえも過去の遺物のような感がある現在,はたして同和教育が大切にしてきたものを人権教育は確かに継承しているだろうか。逆に,同和教育が一方に重きを置き過ぎたがために生じた「歪み」を総括できているだろうか。
時として,振り子が一方に振りすぎた反動が強くなって,今度は逆方向に振りすぎているようにも感じる。その「反動」や「歪み」が新たな差別を生み出している。

同和教育の弊害が今回の事件の要因にもなっているのではないだろうか。そんな気がして連載を読んでいる。


同和教育の弊害

角岡伸彦氏の『はじめての部落問題』を興味深く読んだ。部落解放運動や部落問題について,現在の状況と以前の状況とを比較・検証しながら,新しい世代の視点から今後の部落解放の方向性を提起していて示唆的である。1年半ほど前に出版された山下力氏の『被差別部落のわが半生』と共通している部分も多い。彼らの提起を参考に,現在の課題と新しい視点について若干の考えを述べてみたい。

同和施策に関する措置法が切れて以降,全国各地で様々な混乱が起こる中,行政における同和対策事業や教育現場における同和教育は人権問題に関する施策や人権教育の中に新たに位置づけられて取り組まれてきた。各地域・各学校においても,様々な試行錯誤の結果,この数年間で人権施策・人権教育としての方向性や取組の内容がある程度確立してきたように思われる。しかし未だに旧態依然の同和教育にこだわっている人々がいる。彼らの主張の根拠は,未だ部落差別は厳しく,社会問題としてより深刻化・陰湿化しているとの認識である。これは現状をどのように捉えて分析・考察するかの問題である。彼らが部落差別の深刻化・陰湿化の例とする「差別落書」を考えてみよう。

『同和中毒都市−だれも書かなかった「部落」2−』(寺園敦史)に,京都市作成の同和啓発教材「なくしたいこんなこと」の一文が引用されている。

(偏見は)特定の個人がたまたま抱いているという筋合いのものではありません。…社会にすでにある物の見方・考え方を反映したものだということです。偏見の持ち主が落書という行動に出て差別を具現した。そのもととなった偏見は書き手に限らずかなりの人が抱いているかもしれない。また,落書を仲立ちにして偏見の共有という作用も考えられる。

つまり「差別落書」とは,部落に対する社会全体がもつ偏見を具現化したものであり,落書の内容に対して多くの人々が内心において共感していると作者は思っている。しかも「落書」によって偏見を共有する作用が生まれると危惧している。だからよりいっそうの社会啓発が必要であると結論付けている。

この論理は一見正しいように思えるが,それはあくまでも「差別落書」に共感し部落に対する同じ偏見を共有する人間が「かなり」の人数おり,その彼らがもつ偏見は「社会にすでにある物の見方・考え方」であるという前提によってである。はたして現実社会において「差別落書」に共感したり,同じ偏見を共有したりする人間が「かなりの」人数いるだろうか。まして部落に対する偏見は未だに多くの人々にとっての(共通する)「社会意識」となっているだろうか。

確かに部落に対する偏見や先入観を根深くもっている人々はいる。まちがった理解と認識をもち続けている人々もいる。頭ではわかっていても拭い去れない偏見や実態のない世間体の目に縛られて「変われない」人々もいる。自らのストレスや不満などの捌け口の標的と部落差別を悪用する人々もいる。だが,それらの人々の絶対数は以前と比べてどうであろうか。

実態を正しく把握し考察しようとするならば,特定の主義・主張を合理化するための根拠として統計資料を解釈してはいけない。まして誇大解釈は尚更である。

部落民すべてが差別されているわけではない。ところが同和教育などで部落問題を伝えようとするとき,いかに差別が残っているか,厳しいかを強調する傾向がある。同和教育=被差別の現実を伝えること,と思い込んでしまっている。…部落民の話は,かつての悲惨な生活や被差別体験が中心になってしまいがちである。なぜなら教師だけでなく部落民も,部落問題を語る=いかに差別を受けてきたかを伝えるか,だと思っているからである。

(角岡伸彦『はじめての部落問題』)

この一文は,従来の同和教育が陥ってきた弊害を端的に述べている。例えば道徳で「結婚差別」の授業をおこなう場合,その教材が両親や親族の反対をいかに根気強く説得し最後には理解してもらって結婚できた内容であっても,また部落に対する根拠のない偏見がいかに愚かしいことであり,部落差別が人間をいかに不幸にすることであるかを述べていたとしても,現在の実態を正しく伝えないかぎり,未だに部落民は厳しい結婚差別を受け続けているという印象は強く残ってしまう。差別され続ける部落民という固定概念を生み出すことにつながる。

社会科における部落史学習で特に注意すべきは,差別の歴史ではなく「差別克服の歴史」「人権拡大の歴史」を教えることである。現在の小中学生の多くは「時代感覚」が十分に育っていないように思える。時代の流れや歴史過程を十分に把握するまでには至っていないように思う。このことは,当然,我々教師の責任ではある。だが,それ以上に,現行の教科書記述の基準となっている「学習指導要領」を作成している文科省の責任も大きい。

そのため,江戸時代の被差別の実態を現代の実態にオーバーラップさせてしまう危険性は大きい。

社会啓発においても同じで,同対法以前と以後,この数十年間の歴史過程を的確に説明しているだろうか。「厳しい」「悲惨」という差別を形容する言葉で安易に語りすぎてはいないだろうか。「厳しい」という内容も受けとめ方も時代によってちがうことをわかっているだろうか。尺度も度合もちがうのだ。被差別体験にしても「厳しかった」「つらかった」と過去のことにしようとも,一体いつのことを指しているかは語る人間によっても異なるのだ。その時代の社会意識,価値観,社会状況など時代背景を分析・考察した上で的確な表現をしなければ正しくは伝わらない。

同和教育はえてして結論を押し付けてしまいがちである。大事なことは考えることであり,講師はとりあえず,その材料を提供するだけである。…自分の知らない現実や考え方を知ることで自分がゆさぶられたり,世間にある常識や価値観やそれらに影響されている自分を,一度じっくり考えてみる。その過程が大事だと私は思う。

(前掲書)

まったく同感である。「差別はいけません」という抽象的な結論からは何も生まれはしない。「なぜいけないのか」という自明のことをあえて問い直すことが自分の生き方やあり方を生みだしていく。部落問題は今も残存し続けている。しかし確実に解消の方向を歩んでいる。しかも加速度的に人権意識は広がり高まってきている。部落という垣根も社会意識において随分と低くなってきている。だが,なお残存している。どこに解決の糸口があるのか。部落差別とは何かをあらためて整理すべきではないかと考えている。


同和教育の原点

本校は授業改善の研究指定を受け,本年度より研究に取り組んでいる。一学期から夏季休業中にかけ,校内研究・研修を重ねてきたが,私自身はどこか違和感を感じていた。それは,ここ数年の研究指定のほとんどが文科省の全国学力状況調査(学力テスト)の結果を反映したものであり,要するに子どもの学習能力としての学力を向上させ,勉強のできる子をつくるために,教師が授業力・指導力を高める研究であることへの抵抗感でもある。

近年出版された関係図書も幾冊か読んだし,先進校の実践例も調べた。だが,技術論・技巧論か専門的な分析論かのどちらかで,参考にはなっても,違和感は消えなかった。そんなとき,偶然に古書店で手に取ったのが,関東授業を考える会編『生徒の心にとどく授業』である。買い求めて家に帰り,一気に読み終えた。

この本は,都立南葛飾高校定時制の教師たちの実践記録(報告)である。「はじめに」として,申谷雄二氏は次のように書いている。

教室の中で寂しい思いをしている者に光があたる,このことをとおして生徒が,クラスが変わり,学校が変わる。そこにこそ,本当の教育はある。…部落出身生徒,在日朝鮮人生徒,「障害」を持った生徒への自立をうながす私達の取り組みは,世間が負とするものに向かってそれを正とする真実を見る,このことをのぞいては当の生徒の心のゆがみを糾すことができないし生徒の自立を実現することもできない。しかし,これは当の生徒に,この日本の社会の中で「目先の利益ではなく人としてそのように生きないか」という呼びかけだった。この営みは拒絶にあいながら執拗にくりかえされることが多かった。生徒にそのように呼びかける時,教師達も自らを問われ生徒と生涯歩き続ける覚悟も必要とした。

申谷氏を中心に,授業創造に取り組み始めて十年の成果,「教師達が生徒によって救われ導かれ,変わることができた」「生徒の心に授業をとどかせた記録」を読み終えて,懐かしい感動を覚えている。

懐かしさの理由は,本書が1985年出版ということで,報告された先生たちの実践が1970〜80年代であり,15人の教師それぞれの実践が私に同和教育の世界を示してくれた先輩たちの実践と重なるとともに,若き日の私自身の実践とも重なるからだろう。本書に登場する生徒たちの姿は,私自身が関わってきた生徒たちの姿であった。幾人もの教え子の姿,彼らとの日々が走馬燈のように蘇ってきた。

また,15人の教師たちに深い影響を与えたのが,林竹二氏であることも本書に惹かれた理由かもしれない。

文科省の全国学力状況調査が実施され始めて,現場での研究会や研修会が変わってきたように感じる。授業改革・学力向上に関するテーマが多くなってきた反面,同和教育や人権教育に関する研修会は,県や市の単位で行われる講演会が多くなり,実践交流会や実践発表会などが少なくなっているように思う。一昔前,特に法が切れ,同和教育から人権教育へと移行していく前までは,各学校や地域・地区での実践的な取り組み,部落問題学習の実践事例研修会などが頻繁に行われていた。ここ数年,通り一遍の部落問題や人権問題に関する知識理解だけの若い教員が増えてきているように思う。新採用研修・初任者研修,さらには5年・10年の経年研修もあるが,部落問題に関して,どの程度の研修が行われているか疑問に感じる。

同和教育の重要な柱として「進路保障」「学力保障」があった。それは,現在のように「学習能力」の向上をめざすだけのもの(本当はそうではないのだが,そのように感じてしまう)ではなかった。低学力の生徒や授業に気持ちが向かない生徒,教室には入れない生徒,粗暴な生徒…そんな生徒たちの<生活背景>こそを課題として受けとめ,そこに積極的に関わることで「進路保障」「学力保障」を目指そうとした。「一番しんどい子」を中心(福岡では「検証軸」と呼んでいた)とした授業を構成する。ただ「わからせる授業」ではなく,「わかろうとする授業」「学びたい授業」を作り上げようと取り組んできた。

本書の最後に,「私たちの歩みと授業創造への模索」と題した武藤啓司氏の一文がある。本書に集録された実践報告を総括するものであるが,まさしく同和教育の原点(出発点)がここに書かれている。

…学校というものがすでに子どもたちの生きられない場となっていることから,その解決を政治的,社会的な変革に強く求めていたといえるでしょう。しかしそれは,体制変革,教師の権利の擁護や確立,自己解放は志向されても,現実,目の前にいる教育のなかで切り棄てられ,差別の底に追いやられている子どもたちの姿を見ることができずその痛みに気づくこともできないでいました。自分自身の解放と子どもの解放とを実践的に重ねる意識が抜け落ちていたということができると思います。

…しかしさらに私たちが,それまでの子どもや生活にかかわる姿勢や見方を,理念として悔い改めることによって,そこからすぐに子どものかかえている現実や閉ざされた心の奥が視えてきたかといえば決してそんなものではありませんでした。

目の前にいるもっとも気になる子,クラスのなかでもっとも重い生活を強いられている子を徹底して追いかけ,彼の生活の現実を識るためにその家庭に足をはこぶところから,私たちはその歩みを始めたといえるでしょう。

…「今どき,部落だ,差別だといってやがるのはどんな野郎だ」とつめよられるということもありました。

これは部落を隠さねばなお生きていけないという現実の反証でしょう。部落差別から解き放たれるということは,「部落」や「差別」ということばが使われなくなれば済むということではないのです。むしろ,自分が部落民であることを堂々と名乗り出られること,部落民であることが誇れることではないでしょうか。そのような部落の側の主体的力量と,それを受け入れ,対等に結び合い,支え合える周りの状況をつくり出すことが,同和教育=解放教育の仕事だと考えているのです。それには,どんなに拒否されようと,やはり足を運びつづけなくてはならないのです。

私が同和教育に関わり始めたとき,先輩教師から教えられた自分たちの取り組みの姿と重なる。同様の話は,林力先生からも全同教結成までの歩みとして聞かせてもらった。全同教のスローガンである<被差別の現実に深く学ぶ>は,このような先輩たちの実践から確信されたものである。

林竹二先生の名を初めて耳にしたのは,高校時代の恩師から1冊の写真集と数冊の本を見せられたときだった。高校生の時か,教育実習生として母校に帰った時か,記憶が定かではない。高校の時は教師になりたいとはまったく思っていなかった。大学に残って研究者になることを志望してその道を歩んでいたから,恩師の影響を受けて教師を志した後のこと,研究室にいた時かもしれない。とにかく,林竹二氏との出会いは恩師の紹介であった。その写真集は,確か神戸の湊川高校での授業風景を写したものではないかと思うが,何よりも生徒の眼に惹きつけられた。すべてを「眼」が物語っていた。真実への渇望,自分自身への問いかけ,学ぶこと・考えることの喜び…強烈だった。恩師に借りた数冊の本を読み耽り,自分でも本屋で買い求めた。『授業・人間について』『教育の再生を求めて』『教えるということ』『学ぶということ』などが今も書棚にある。だが,教師となって,いつしか手に取ることもなく忘れていた。

…「いい授業」「うまい授業」というものも何回か観たり,読んだりしてきました。しかし,そのほとんどが,クラスの最底辺におかれている子を視野に入れ,彼の心をとらえようとして行われるというようなものではなく,教える側に教えるべきもの,教えたいものが先行してしまうと言うのがほとんどでした。林先生のいわれるように「授業研究に熱心な先生はたくさんいます。だが,その熱心は,授業研究の中にもっぱら教師の救いをもとめているので,子どもの救いを求めているのではない」といったものでした。

私が違和感を感じたのは,このことであった。小手先だけの授業改善では本質的な解決には結びつかない。知識の伝達だけでは,魂が揺さぶられることはない。

武藤氏は,「授業にかかわる基本的なあり方」を,次のように提起している。

授業の創造で目指されるものは,充分に学問的な成果と検証を踏まえたものであるだけでなく,一回の授業が終わればそれで教師のあり様と無縁になるといった外在的なものであってはならないということ。

生徒たちが学ぶことで,一つの新しい力が引き出され,新たな未知の世界に生徒が入っていくそのことによって,生徒が自分の中に新しい課題や力が存在することを発見し,生きるよろこびや意欲が引き出されるようなものであること。

その授業のなかで,教師が一方的な教え手としてではなく,生徒と共に学習し,共に高まるというようなものでなくてはならないということ。

当たり前のことではあるが,この当然のことが実践できているだろうか。ここ数年の同和教育から人権教育へと移行するなかで拡散化・浅薄化されてきた部落問題学習にその事実を見る。それゆえ,授業改善ではなく授業改革の必要性を感じる。授業は誰のためか,この教育の原点を忘れたがゆえの学校崩壊であり生徒の授業離れ,学力不振なのだと思う。学力だけなら塾で十分という声も聞く。改めて,授業とは何か,真剣に問い直すべきだと実感する。

私たちは自暴自棄に堕ちこみ荒れている子どもたちの多くが,自分を生んでくれた親を恨み,出自や家庭を呪い,己の生きる意味を見出せないでいるのをみてきました。

そうした子どもたちが,優しく,しかも堂々と胸をはって生きるよう変容していくとき,そこには必ず,両親を恨んでいた自分を恥じ,親の背負ってきたものを認め,それを受けとめようとする姿がみられました。

刻印されてしまった自分の歴史的,社会的存在規定性を,ひとまず事実として受け入れ,担いぬく決意を固めることによって,自分や自分につながる人々をいとおしい存在と素直にいえるようになるのだと思います。

私自身は一度も両親を恨んだことも軽蔑したこともない。父親の職業を恥ずかしいと思ったのは,友人の目・世間の目を気にしたからであり,そのような世間の目(職業に対する貴賤観)をまちがっていると思いながらも気にしていた自分こそを恥ずかしいと思い,家族のために働く父親に感謝と尊敬の念を抱いていた。私がスポーツや勉学に励んだのは,むしろ父親への感謝と恩返し,愛情に応えようとする気持ちからであった。しかし,世間は必ずしも私の気持ちをそのようには受けとめはしなかった。私に対して,職業に対する貴賤観から蔑んで見るか,逆に憐れんで見るか,私の本心など知りもしないでわかったかのように説教するかだった。そんな自分自身を解放してくれたのが同和教育であった。だから,上記の一文がとてもよくわかる。

本書に登場する申谷雄二氏ら15人の南葛飾高校定時制の教師たちの実践は,まさしく同和教育の原点と確信する。

posted by 藤田孝志 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 同和教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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