2012年11月13日

教科書至上主義の弊害

教員向けの情報誌『社会科navi』(日本文教出版)に,藤井譲治氏の「ようこそ!歴史史料の世界へ」が連載されている。今号(2012 vol.2)では「慶安御触書」が取り上げられている。

「慶安御触書」は,2006年度版から帝国書院・教育出版などほとんどの教科書から姿を消し,大坂書籍(日本文教出版)では「百姓の御触書」,東京書籍では「百姓の生活心得」と改訂され「幕府が1949年に出したと伝えられる32条の触書」と注記している。

このように,もはや「慶安御触書」は「1649年に幕府が出した法令」とは認められなくなり,教科書から姿を消すか,注記されて記述されるようになったが,その経緯と理由を藤井氏は次のように簡潔にまとめている。

…この「慶安御触書」は,八代将軍吉宗が編纂させた幕府の法令集『御触書寛保集成』(1744年完成)にも,江戸時代前期の幕府法令集『御当家令条』にも,さらに当時の幕府法令を藩や村で書き留めた触留などにも見いだすことはできない。一方,「慶安御触書」の名でこの触書が姿をみせるのは1830年美濃岩村藩で版行された時のことであり,また1843年に完成する幕府の正史『徳川実紀』には「慶安御触書」の名はないものの当該触書が引かれ,典拠として「条令拾遺」が示されている。

…1999年に山本英二氏が『慶安御触書成立試論』(日本エディタースクール出版部)を上梓することでほぼ結論をえた。その主要な点を以下にあげよう。

@いわゆる「慶安御触書」は1697年に甲府藩が出した「百姓身持之覚書」を引き継いだもので,幕府の法令ではなく,1649年に出されたものでもない。
A「慶安御触書」は,『徳川実紀』の編纂を主宰した大学頭林述斎が,生家である美濃岩村藩を指導し,1830年に岩村藩で刊行させたもので,名はその時のものである。さらにこの時,この触書は「公儀」=幕府の出したものとされた。
B『徳川実紀』が,出典としてあげる「条令拾遺」は,『徳川実紀』の編纂過程で収集されたものであり,そこでの名は「百姓身持之覚書」である。
C岩村藩で刊行された「慶安御触書」は,その後,多くの藩で1649年に出された幕府法令として扱われ,領内の農政に利用された。

(藤井譲治 前掲)

このように教科書記述もまた歴史研究の成果によって大きく変化してきている。このことは歴史研究の進展によるものであり当然のことではあるのだが,教科書によって学習する現在の教育制度において,教科書至上主義の弊害という問題を露呈した実例の一つである。

長い間,「慶安御触書」は江戸時代の農民の生活実態,幕府による農民支配,さらには年貢収奪の根拠として,拡大解釈・誇張されながら教育現場で使われ続けてきた。貧しい生活・厳しい支配・冷酷な年貢収奪の証拠とされ,その結果,貧農史観が成立していった。そして,生徒の江戸時代及び江戸時代の農民,何より賤民のイメージは「暗黒の時代」「悲惨な生活」が形成されていくことになった。

ある小学校教師が「稗・粟・雑穀を食べ」の一文を基に,米をすべて年貢に差し出して「稗・粟」しか食べられないほど厳しい支配を受けて貧しい生活を余儀なくされている農民生活を実感的に教えるため,「稗・粟」に近い「鳥の餌」を買い求め,水に溶いてレンジでチンさせて食べさせようとした授業があったと聞いたことがある。

同様に,「渋染一揆」においても,農民の厳しい生活と厳しい農民支配を理解させるため「慶安御触書」がよく引用されてきた。

先ほどの小学校教師は,さらに「農民がこれほど悲惨な生活をさせられていたのなら,さらに低い身分の人々はどんな生活をさせられていただろう」と続けたという。この授業を受けた生徒がどのようなイメージを農民や賤民に対して抱いたかは想像に難しくはないだろう。

教科書を唯一絶対化させているのは,教師の責任でもあるが,入試制度という足枷に縛られた現状では致し方ない側面もある。ただ,教科書を盲信する危惧だけは発信し続けたいと思っている。

「教科書を教えるのではなく,教科書で教える」のが教師の立場であると私は思っている。

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2012年05月23日

「自分の言葉が軽い」−教師の立場と姿勢 

転勤の荷物の中から偶然にこぼれ落ちた薄い冊子を何気なく読み始め,いつしか引き込まれて時を忘れた。

差別のために文字の読み書きが出来ない環境におかれなければならなかった親。この親のもとに生まれた子どもたちを,教育が再び置き去りにしていることに気づかず,これを当たり前とする教育習慣を,人権の視点から見直さなければなりません。そのためには,教師自らが,差別にとらわれず,自立することが何よりも先決問題です。自立することを差別からの解放というんです。

教師という呼び名に3つあると言った人がいます。すなわち「教師,先生,教育者」の3つです。…「教師」とは,衣食住のためにするひとのこと。「先生」とは,教科指導のうまい人のこと。「教育者」とは,子どもの心に灯りを灯せる人のことを言うそうです。

先生方,自分の心の奥に,本当に部落差別はありませんか,一度自分に尋ねてみてください。本当は自分の中に差別する気持ちがあるのに,それを別に置いといて,「差別はいけません」と教室で言っているのと違いますか。それは,もうやめましょう。まず,先生自身の価値観から問い直していきましょう。具体的な差別の現実を抜きにした同和教育の実践は,「差別のばらまき」になります。

(坂口恵美子 1996年岡山県同教大会記念講演『子育ての四季』より)

講演で紹介された生徒の作文にあった一節にはっとし,自分自身をあらためて見つさせられた。

僕らを信じて打ち明けてくれてすごく嬉しかった。NやTがぼくとこ部落やって言ったとき,僕は「そんなん気にせえへんで」って言った。そやけど,気にせえへんでって言う自分の言葉がすごく軽い感じがしたんや。自分の気持ちを一生懸命伝えてるつもりやのに軽く響くんや。僕は去年,同和教育の集中授業もええ加減な気持ちで受けてた。自分とは関係ない話やと思ってた。二人の話を聞いて,初めて部落のことが自分の友だちのこと,つまりは自分の問題なんやって気がついた。そやから,気にせえへんでって言ったけど,心のどこかで,それだけでええんかっていう気持ちがあったんやと思う。それで自分の言葉を軽いと感じたんやと思う。


【教師である自分が,教室で生徒に向かって語る言葉に,教師自身の存在の重さがありますか。】
この問いかけに,どれほどの教師が自信を持ってうなずくことができるだろう。私には自信がない。「自負」している教師など一人もいないだろう。少なくとも私が知る限りでは,そのような教師にあったことはない。もし,そんな教師がいれば,相当の「自信家」か「自分が見えてない」かのどちらかだろう。(「教師批判」を書く元教師の評論家はいるけど…)

あらためて教師としての立場・姿勢・視点を考えさせられている。なぜ部落問題に関わり,人権教育を中核とした教育実践に取り組み続けているのだろうか。「生徒のため」という言葉を教師はよく使う。しかし,何が生徒のためであるかは,その教師の主観的判断でしかない。冷静な客観性が求められて当然でありながら,実は「思い込み」でしかないことが多い。教師ほど自己流が通用する世界はない。教師ほど権威主義的な高圧的態度が通用する世界もない。

【人権意識とは感性である】と私は思う。
感性は研磨されなければ鋭さは生まれない。人権問題の解決に対する第一歩は「気づき」である。気づくためには感性が鋭くなければならない。次に「判断」である。的確な志向性をもった判断をおこなうためには「判断力」が必要である。知識や理論は感性や判断力を身につけるために必要なのであって,単なる知識や理論だけで人権教育をおこなうべきではない。

価値観や生き方が多様化している現代社会において,旧態依然の教師像や教育方法は通用しない。今までは漠然とした目的意識や曖昧な教育理念であっても通用したであろうが,今後は明確な目的意識をもち,しかも多種多様な状況下にあっても決して揺らぐことのない信念に基づいた人権教育の実践ができる教師が求められている。

端的に述べるならば,教師自身が人間として自らの生き様にどれだけの責任をもっているかが問われているのだと思う。生徒に「知識」や「対処法」を教えるのではなく,生徒が自らを見つめ考えると同じく,教師が考えなければならない。「自分にとって」を問い続ける姿勢,「自分には何ができるか」を追求する姿勢である。

立場とは,教師として人権問題の解決を自らの課題としているかどうかである。
徳島商業高校に長く勤務された岡本先生は,教師としての出発に際して,「学校の方を向いて仕事をするか,生徒の方を向いて仕事をするか」を命題として掲げた。簡単なことのように思われるが,いつしか薄れていく意識である。日々の教師生活に慣らされていく中で,自らに問いかけることが消えてしまい,惰性に流されてしまう。「生徒のため」と思い込んで語る言葉が,いつしか「軽く」なってしまう。

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2012年03月20日

出会い・別れ・再会

教師にとっての3月は,複雑な思いで過ごす特別な月である。
教え子が巣立っていく卒業の日があり,日々を過ごした職場である現任校と同僚との別れである転勤の時期がある。3月は「別れ」の時である。

教師の日々は,4月の出会いに始まる。新しい同僚,新入生との出会い,新しい1年間が始まる。そして,その日々は必ず1年間で終わる。なぜなら,必ず「別れ」が待っているからである。それは「宿命」である。


私にも,ついにその日が訪れた。転勤である。9年間という長い日々を過ごした現任校との別れである。在任教員の中で最も長く勤務している私であるから一応の覚悟はしていたが,いざ内示を受けると複雑な心境は否定できない。

「教師にとって最大の研修は,転勤である」と,以前にある方から教えられたことがある。その時は,その意味を十分には理解できなかったが,この9年間の月日の中で,そして今回の転勤に際して,少しはわかるような気がしている。


転勤に際して,今一度,教師として如何に生きるか,如何にあるべきか,自分に問い直してみたくなり,書棚から一冊の本を開いた。その中に,私が折に触れて読む「一文」が収録されている。

その一文とは,長く徳島県立徳島商業高等学校に勤務された岡本顕史郎先生の書かれた「Y子は獅子になった」である。

岡本先生が最初に赴任された高校で出会った女子高生Y子さんとの思い出を綴った一文であり,彼と部落問題との出会い,生涯を同和教育に賭したきっかけが綴られている。

幾度読み返したであろうか。その度に,私は私に立つ位置を確認することができた。

「私は勤めだした時,どちらを向いて仕事をすれば良いのでしょうか。」
「どういう事でしょうか,具体的におっしゃて下さい。」
「生徒の方を向いて仕事をすれば良いのか,それとも学校の方を向いて仕事をするべきなのでしょうか。」
「君はどう考えますか。どの様にしようと思っていますか。」
「いつも生徒の方へ顔を向けて仕事をしようと思います。」
「結構です。君の考えどおりにして下さい。教育は教師の自主性やロマンがなければ駄目だと思います。」

校長先生との面接の会話である。

教師を志す者は,誰もが共感するだろう。誰もが,岡本先生のような志で教育をしようと,生徒と向き合っていこうと思うだろう。

しかし,その志もいつしか立ち止まってしまったり,時に折れてしまったりする。生徒の方を向いているつもりが,いつのまにか学校の方を向いてしまっている。日々の生徒指導や雑務に追われ,生徒の方を向いているつもりでいながら生徒を見下ろしてしまっている。教師という「権力者」になってしまっている。高慢な人間になって,生徒をバカにし,生徒の個性や自主性を「教育」という大義名分で押さえ込んでいる。

同じ毎日の繰り返しの中で,いつの間にか惰性に流され,本来の「教育」を忘れてしまっている。自分を振り返ることもせず,自分の指導力不足や努力不足を棚に上げて,生徒のせいにして平気な教師になっている。

岡本先生のこの一文を読み返すたびに,恥ずかしさに顔を上げることのできない自分がいる。

森口健司先生に岡本先生を紹介してもらって,3人で夜遅くまで飲み語った路地裏の店でのひとときは決して忘れることのできない宝物だ。

岡本先生を慕って徳島商業高校を受検する生徒が何人もいると聞かされたが,そのとおりの先生だった。スポーツや芸術など部活動で指導力のある先生ならば,その先生に憧れて高校を選択する生徒も多くいるだろう。だが,人間として教師として,その先生を尊敬し,教えてもらいたくて,その先生のいる高校を選択する,そんな教師が何人いるだろうか。岡本先生に担任をしてもらいたいと願って高校を選ぶ生徒がいる。

教師という仕事は「教育」である。この自明のことを忘れてしまう。「教育」は生徒のためにある。決して国家のためではない。


転勤に際して少し不安になっていた私を救ってくれたのは,教え子だった。

明日,父親が手術を受ける。一昨日,入院に付き添い,病室にいたとき,担当の看護師が挨拶に訪れた。その若い看護師は,私が現任校で最初に教えた生徒だった。

別れもあれば,再会もある。偶然は必然であったのかもしれない。

彼女は,実に立派な看護師に成長していた。
私の教え子であることを聞いた医師が「君なら,さぞかし優秀な生徒だったんだろう」と言っていたのを母親が教えてくれた。

彼女が私の教え子であるだけで,入院・手術に対する恐怖と不安でいっぱいだった両親が安堵の表情に変わり,安心感で満たされていった。

教師のよろこびは教え子との再会だ。教師の得る財産は教え子である。

新たな赴任校でも,私が立つ場所は揺るぐことがなく生徒の前である。生徒の方に顔を向けて,教育をしようと心に決めた。

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2011年08月08日

不作為の犯罪人−主体者の自覚とは

今年もまた,日本人にとって決して忘れてはならない8月が訪れた。
8月は,広島・長崎への原爆投下,太平洋戦争終結の月である。

戦争を体験した世代が少なくなり,知らない世代の我々がほとんどを占めるようになった現在,原爆も戦争も人々の関心から消え失せようとしている。

学校現場,教育現場において「平和教育」がどれほどの内容で行われているだろうか。年々,その内容も重みも希薄になっているように感じている。教育の多様化と教育内容の増大から「平和教育」「人権教育」の実質的な時間と内容の削減が加速化しているようにも思える。学校が「教科」と「部活」の世界になってきている。


来年度から指導内容が改訂された新しい教科書となる。今夏,新しい教科書を見る機会があり,記述内容を検討してみた。

文科省,そして国家の統制下にある「教科書」がもつ「思想教化」という側面に危機感を抱かざるを得なかった。

私は「教科書を教えるのではなく,教科書を通して教える」立場を重視するが,しかし生徒にとって「教科書」は絶対的な「知識」である。教科書に記述されている内容を真実と思い込み,認識と思想の核としていく。そこに「思想教化」が「人民統制」につながる機能が隠されている。

【…戦争中時勢に迎合・便乗こそしなかったけれど,自分一個の良心を守るのに専念し,あの悲劇をくいとめるために何一つ抵抗らしい試みをせず,多くの同世代が悲惨な運命に陥るのを傍観したことに対し,深い心の痛手を負っている。いまふたたび執筆を放棄して,自分ひとりの良心を守ることで終わるならば,同じ後悔を繰り返すことにならないだろうか】(『教科書裁判』)

【…しかし社会が不幸になる方向に向かってころげ落ちようとするのをほかに見て,自分には専業の仕事がある,とすましているのが,はたして学問をするもののとるべき態度であろうか。太平洋戦争のあいだ,私は不自由−不自由というのは,役立たずの学者のことだと思いますが−となることによって媚びへつらう学者になることを免れた。私はいまになって自分が消極的意味での戦争犯罪人,すなわち戦争を防止するための義務を怠った不作為の犯罪人だったという自責の念に耐えない。私は今度こそはその後悔を二度としたくないと思う】(『形成』7月号)

この2つの文章の著者こそ,長年にわたり教科書裁判を闘い抜いた家永三郎である。

彼は,戦争中にあって自分が学究に終始したことに対して非常に強い自責の念を感じていたのである。だから,彼には「たかが教科書検定」とは決して思うことができなかったのである。

戦争へと国民を駆り立てた責任の一端を学者として痛切に感じていた彼にとって,教科書の記述内容によって再びあの惨禍が引き起こされるかもしれないという危惧があった以上,目をつむることはできなかったのだ。

「差別解消の主体者」とは,他の誰でもなく自らが意志と判断によって差別をなくしていこうとする言動を行う者である。
高橋和己は「知ったことに対する無関心は,罪ではなく人間の物化である」と言った。声を上げ,行動することでなければ変えられないことがある。防ぐことができないことがある。 

家永三郎の姿勢こそが「主体者の自覚」によって貫かれた生き方である。我々が持ち続けるべき自覚と姿勢である。

たかが教科書の記述としか思わない人間が「不作為の犯罪者」となり,「差別者」となるのだ。第2次世界大戦において京都学派の哲学者たちによって戦争肯定の「思想操作」が行われ,軍事教練の名目で軍人による偏向教育がなされた事実を忘れてはいけない。明治以降の学校教育こそが「思想操作」であったことを教訓として忘れてはいけない。

ハンセン病問題においても国賠訴訟によって国家の「不作為」が断罪された。
明治以後の近代史の流れを大観するとき,国家による「作為」の犯罪と同様に,人々や社会,国家の「不作為」もまた犯罪であったと痛感する。

価値紊乱の時代だからこそ,せめて「平和と人権を尊重し,差別をなくしていく」姿勢を価値基準として貫きたいと思う。

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2011年03月16日

卒業

本日は卒業式だった。
泣くまいと思っていたが,やんちゃ坊主の号泣する姿に,3年間の思いが溢れ出て,涙が止まらなくなった。走馬燈のように…とはよく使われる言葉だが,式の間中,一人一人のことが,一つ一つの出来事が思い出され,過ぎ去りし時の流れが二度と戻らないことを実感した。

答辞に込められた彼らの月日の想い出は,その一つ一つが私の思い出でもあった。

色紙に書かれた彼らからの感謝の言葉,手紙に綴られた一言一句が,彼らの本当の気持ちを伝えてくれた。

それらを読みながら,教師としての喜びと使命の重さを強く再認識した。

いつも色紙に書く座右の銘がある。【至誠は天に通ず】

人の思いは,真摯に念じ続ければ,必ず実現する。

裏切られようと,欺されようと,背を向けられようと,信念をもって決して諦めることなく,ひたすらに信じ続け,伝え続けることこそが教師の使命であると,あらためて教えられた気がする。


夕刻,校長と卒業した彼らのことをいろいろと話し合っていたとき,ふと脳裏を元徳島商業高校教諭の岡本顕史カ先生の書かれた『Y子は獅子になった』の一節が蘇った。

「私は勤めだした時,どちらを向いて仕事をすれば良いのでしょうか。」
「どういう事でしょうか。具体的におっしゃって下さい。」
「生徒の方を向いて仕事をすれば良いのか,それとも学校の方を向いて仕事をするべきなのでしょうか。」
「君はどう考えますか。どの様にしようと思っていますか。」
「いつも生徒の方へ顔を向けて仕事をしようと思います。」
「結構です。君の考えどおりにして下さい。教育は教師の自主性やロマンがなければ駄目だと思います。」

教師もまた,特に教師に対する管理が厳しくなり画一化した教育体制や教育方針がトップダウンで要求される現在の状況においては,生徒よりも学校の方を向いての教育が優先され,この大切な教師の姿勢が忘れられることがある。

生徒の多様な個性を「教育」「指導」という名目で抑圧しているのではないだろうか。

私は,果たして卒業生の色紙や手紙にあったような感謝される教師であったのだろうか。生徒から信頼を受ける教師であったのだろうか。

卒業生は,私に教育の原点を思い起こさせてくれた。

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2010年12月04日

視覚障害者用チョーク

チョークを使うたびに思い出すことがある。以前に書いた拙文を再掲する。


今朝,TVで「日本理科化学工業」が紹介されていた。この会社,障害者雇用の先駆けとなった会社である。会社のHPには,次のように書かれている。

昭和12年、当時白墨を使用している先生方に肺結核が多いとの指摘があり、アメリカにあった衛生無害の炭酸カルシウムを原料とした「ダストレスチョーク」の国産化に初めて成功し、設立しました。昭和28年、ダストレスチョークはわが国唯一の文部省あっせんチョークとして指定されました。

また、昭和35年より重度障がい者の雇用にチャレンジし、昭和50年、国の心身障害者多数雇用モデル工場1号を川崎に設置したのを機に「障がい者と社会をジョイントする」を経営方針に加え、障がい者の職域拡大として、精密部品のゴム、プラスチックの成形、そしてリサイクル事業部門を新設し、性能の高い機械、治具の工夫、生産工程の細分化と単純化などによって、品質・生産性・管理面で高い水準を維持することが可能であることを実証しています。

重度障害者多数雇用事業所とは、雇用労働者数に占める重度障がい者数の割合が10人を超えてかつ20%以上の事業所のことを一般に言います。

当社では従業員の50%以上の重度知的障がい者が働いています。従来の作業方法を彼等に教えるのでなく、彼等の能力にあわせて作業を改善すれば立派な労働力として活躍してくれています。

教師にとって最も重要なツールは「チョーク」です。そのチョークを作っている会社が障害者雇用に積極的に取り組んでいることを知り,うれしくなった。

その番組によると,50年前,まだ社会が障害者雇用に消極的だった当時,一人の養護学校の教師がその会社を訪れて生徒2人の雇用を頼んだ。断ると,次のように頼み込まれた。
「もし,会社が雇ってくれなければ,この子達は一生涯働くことを知らないままで終わってしまう」

2週間だけ試用期間として働かせることを承諾した社長は,その子達の一生懸命さにおどろいたと言う。そして,2週間が経ったとき,従業員達が社長に「あの子達を正式に雇ってください。できないところは私たちがやりますから」と頼みに来たそうだ。

社長はちょっとした工夫をすれば,障害者の目線に立てば,彼らは社会に役立つ仕事を十分にできると話す。例えば,時計が読めなければ,代わりに砂時計を用意すればいいのだと。

数年前,私は板書にわかりやすいように色チョークを多用するが,もっとインパクトのある色チョークがほしくて,業者に相談したところ,蛍光チョークを持ってきてくれた。生徒にも好評だったので,箱で注文したところ,その箱には「視覚障害者用チョーク」と書かれていた。なるほどと思うと同時に,そのような工夫もなされていたのだと感動したことを覚えている。以来,本校では多くの先生が愛用しながら,新入生にこのチョークの話をしている。


私は,1本のチョークに込められた彼らの思いを生徒に伝えていきたい。

posted by 藤田孝志 at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月26日

無責任

本日のYahoo!Japan「NEWS ポストセブン」に【セクハラサイコロ教諭に教え子「辞めないで」と千羽鶴と署名活動】という『女性セブン』(2010年12月2日号)よりの転載記事が載っていた。以下がその全文である。

埼玉県入間市の小学校で持ち上がった「セクハラサイコロ」騒動。59才のベテラン男性教諭・Aが手づくりした、1辺2〜3センチメートルの木のサイコロには,「キス」「ハナクソ」「ハグ」「ツバホッペ」などと書かれていた。

遅刻をしたり,宿題を忘れたりした児童にこのサイコロを振らせ,出た目によって,“罰”として教諭が児童にキスやハグをしたり,ハナクソをつけたりしていたと報じられた。ところが,あらためて取材してみると,聞こえてくるのは,児童たちの「先生,辞めないで!」という声だった。

A教諭の教え子だった卒業生が実情を打ち明ける。

「サイコロを振っても,書いてあるようなセクハラ行為をすることはなかった。例えば『ハナクソ』が出たら,先生が鼻を手で隠して鼻くそをほじっているフリをして,“もうやるなよ”というだけ。知り合いの弟がいま先生のクラスにいますが,実際にはキスもハグもないんです。そもそも今回騒ぎになったのは,別のクラスの子と保護者が,本当のことをよく知らないのに問題にして警察や学校に訴えたから。だから,ねじ曲がった形で広まってしまったんです」

騒動が報じられてから,教諭は体調不良を理由に学校を休んでおり,周囲との連絡を断っているという。しかし,卒業生や保護者らは,復帰を願う署名活動を行っている。そしてクラスの児童たちは,「先生が復帰しますように」との願いをこめて,千羽鶴を折った。

本誌がA教諭の自宅を訪れると,妻がこう答えた。「主人は“子供たちはわかってくれていると思うので,それだけで自分は充分だ”と話していました。生涯,現場に立って児童と向き合っていくのが夢ですので,いつごろになるかはわかりませんが,必ず現場に戻りたいといっています」

また,関連記事もいくつか紹介されていた。11月8日付の記事は,次のような内容である。抜粋しておく。

どうもおかしい。一連の報道と地元で拾った声がまったく正反対なのだ。

「あのニュースに、クラス中がショックを受けています。先生を辞めさせないで、戻ってきて!と、泣き崩れる女子児童もいました」(学校関係者)
「心配で、すぐに先生に電話しました。私の知っている先生と報道された先生があまりにも違ってましたから……。あんなに慕われていた先生はいません。報道直後に、元教え子の進学先の中学の音楽祭に先生が顔を出したんです。すると、100人以上の生徒が『先生、がんばって!』と拍手で励ましていました」(教諭の元教え子の保護者)

もともとこのサイコロは、教諭の名字をとって「××スペ」(××スペシャルの略)と呼ばれ、10年以上も前から教諭と生徒とのコミュニケーションツールになっていたらしい。
「担任になってすぐ、『悪いことしたら、罰としてこのサイコロを振らせるぞ』と先生が宣言したのです。実際やってみると、『ハゲうつし』とか『靴の臭いかがせ』とかあって楽しかった。男子は体をくすぐられたりしたけど、女子には一切、手を出しませんでした。セクハラなんて感じじゃなく、むしろ,あのおかげでクラスがまとまったという印象です」(現在19歳の元教え子)

卒業時にはこのサイコロをめぐって争奪戦もあったとか。
「思い出にサイコロが欲しいという生徒が続出して,子供たちはジャンケンで決めたそうです。もらえなかったコにも先生は手作りの消しゴム印鑑を配っていました。21歳になる私の息子も,いまだにその消しゴムを大切にしています」(前出・保護者)

実は,今回の一件を最初に訴えたのはこの教諭の教え子ではない。
「ふたつ隣のクラスの女子児童と,その友人でした。この女子児童の親御さんがサイコロの存在を聞きつけ,自分の子供のクラスのことでもないのに,教育委員会やマスコミに訴え出たんです」(別の元教え子)

セクハラサイコロ教師というレッテルを貼られ,優れた教師が葬り去られようとしているのなら,これほど不条理なことはない。

関連記事のリンクには,「産経新聞」による詳しい記事もあった。一部のみ抜粋しておくが,マスコミが報道しない事実もある。

■不可解な発覚の経緯

同小によると、校長と教頭がこのサイコロの存在を知ったのは10月14日。教諭とは別のクラスの児童の母親が知人男性を連れて、怒った様子で学校を訪れてきた。会議室に通すと、母親は2個のサイコロを校長と教頭、教諭の3人の目の前に突きつけ、説明を求めてきた。何も知らなかった校長と教頭は開いた口がふさがらず、母親の言い分に耳を傾けることしかできなかったという。
母親は退席するとき、いきなり「もうひとつあるでしょう」と残りのサイコロの提出を要求。ここで校長らは素直に渡してしまい、現物は学校に残っていないという。それにしても今後、教諭の処分問題に発展したときに重要な証拠物となるものを、なぜ言われるままに差し出してしまったのか。教頭は「冷静になってみれば、何であんなことをしたのか分からない」と繰り返すばかりだった。
3つのサイコロは、後日、このときのやりとりを録音したICレコーダーの音声とともに、テレビで全国放映された。実は、この日より前に教室に保管してあった3つのサイコロのうち、2つがなくなっていたという。誰が持ち出したのか、なぜ母親が持っていたのかは不明だ。

■涙の緊急保護者会から署名、折り鶴

報道後、同小は緊急保護者会を開いた。常識的に考えて、とうてい申し開きのできない不祥事だ。校長も教頭も緊張して臨み、謝罪と経緯の説明を行った。
学校関係者によると、教諭はこの席で、「私の軽率な行動で子供に不快な思いをさせたこと、保護者の方々にもご心配、ご迷惑をかけたことを深く反省し、おわび申し上げます」と謝罪した。
これに対し、保護者から出てきた意見は、学校側の予想を大きく裏切るものだった。

「手段はいけないが、先生の指導はよく行き届いている。これからも適切な指導をお願いする」
「うちの子は、先生に厳しくしかられたこともあるが、それで自分が悪かったとわからせてくれたと言っていた」
こんな言葉の数々に教頭は思わず目頭を熱くしたという。最後にある保護者が「先生がやったことはよくないが、本当にいい先生なんだから」というと大きな拍手が巻き起こったという。「担任は替わるのか?」との質問に教頭が「卒業までしっかりやらせます」と答えたところ、ほぼ満場一致で教諭の続投を支持したという。

問題発覚後、学校は児童たちにセクハラサイコロについてどう思うか、児童にアンケートをした。すると、全33人中、2人が「気持ちが悪い、いやだ」と答え、残り31人は「自分が悪いことをしたから仕方がない。サイコロを振らされないようにしたらいい」と答えたそうだ。教頭は「軽率な行動だったことには変わりない。子供たちの感覚もまひしている」と険しい表情を崩さないが、「まひしているものの、大勢の子供は楽しんでいた。子供たちが動揺せずに元の状態に戻ることを願うだけ」と祈るように話した。

教諭は報道翌日から「体調不良」を理由に学校を休んでいる。ある保護者によると、教諭の寛大な処分を求める署名活動を行ったり、教諭に手紙を書いたりする動きがあるそうだ。また児童たちも教諭が復帰したときに出迎える歌を考えたり、「体調不良」で休んでいる教諭に千羽鶴を作成したりしているという。

■卒業生もネットで反論

報道後、この教諭の教え子を名乗る人たちが、ツイッターやミクシィなどネット上で続々と異論を唱え始めた。そのうち、2人から話を聞くことができた。

「先生は変態エロ教師なんかじゃない。今まで一番好きだった、尊敬する先生がこんなにばかにされていいのか」
都内の大学に通う男子学生(19)は10月26日の夜、ネットでニュースを見て、すぐにあの先生だと分かったという。いてもたってもいられず、実体験を交えて教諭を擁護する一文をミクシィの日記につづった。すると、「いい先生だったんですね」など驚いたような意見や、「子供たちは被害を受けたと思っていないよ」などと児童の保護者からの反響があったという。
教諭が男性の担任になったのは小6のとき。児童になじんできた4月のある日、「これ、オイスペって言うんだよ。前から使っている、オレ流の罰ゲームなんだ」といってサイコロを取り出したという。「オイスペ」とは教諭の名前に「スペシャル」をつけ加え、略したものだ。そのころから、目には「ハナクソ」「ハゲ移し」「恋人」などの文言はあったが、児童たちは「面白い先生だ」とおおむね好意的に受け入れたという。しかも、そのころからサイコロの目に書いていることはあくまで「やる振り」で、実際にやることはなかったと証言する。
クラス児童全員に消しゴムを彫って名前の入ったハンコを作ってくれたり、正月には数字が振ってある点をすべて結ぶと「あけましておめでとう」などの文字が浮き出る年賀状を送ってくれたり、手製のおもちゃを作ってくれたり…。男性には楽しい思い出ばかりが残っているという。
男性は卒業して中学に進学後、いじめにあったという。自暴自棄になり、警察の世話になり、2年のほぼ1年間、不登校になった。男性の母親は、通っている中学ではなく、この教諭に電話で相談。その夜、教諭は自宅にふらりと現れた。
「お前なら乗り越えられることだよ。そしたら何か見えてくるだろう」
シンプルだが、とても温かいこんな言葉に男性は救われ、転校した後、立ち直ったという。
男性は問題発覚後の2日後の早朝、教諭の自宅を訪ね、公園で小一時間話し込んだ。どうしても確かめておきたいことがあったのだ。なぜ、この教諭が「セクハラサイコロ」なるものを作るような“ぶっ飛んだ”先生だったのか。教諭の教育に対するポリシーとは何なのか−。
教諭はサイコロについて初めは男児にしか振らせていなかったが、男児から「女子用がないのはずるい」と言われ、児童たちと一緒に女子用も作ったこと、男児から「ハグってのも入れよう」と言われ、「ハグってどういう意味なんだ?」と尋ねながら書き込み、最終的に自分で「セクハラサイコロ」と名付けたことなどを明かしたという。
その上でこう断言したという。「自分とは異なる文化や人種を排除するような人間にはなってほしくない。だからおれは、変人でいながらも好かれるような教師でいないといけない」
その言葉に安心した男性は、「それにしても大変でしたね」と声をかけると、「大したことねえよ。オレは大丈夫だよ。自分のクラスの児童の保護者に信じてもらえたら、それでいいんだよ」と気丈な声が返ってきたという。
そんな振る舞いが、男性には心なしか寂しそうに見えたが、教諭は「ありがとう。ほかの教え子たちからも電話をもらっててな。助けられてるんだ」と言って笑顔で別れたという。
男性も「セクハラサイコロっていうネーミングはダメかもしれない」と苦言を呈する。それでもこの教諭を最後まで擁護したい気持ちは変わらない。
「金八先生みたいな先生はドラマの中だけだと思っていたが、先生に会って本気で驚いた。こんなに子供のことを考えている先生はいないよって」
それは卒業式で渡された最後の通知票の言葉だ。
「お前は好きなことに関しての集中力はすごいの一言だ。だから、好きなことをガンガンやれ。きっと何か見つかる」
好きなことには一心不乱で取り組む自身の性格を自覚しかけていた男性は、「本当に自分のことを分かってくれている先生だったんだな」と胸にこみあげるもの感じたという。現在、男性は大学で物理学を学んでいる。「この言葉を胸に抱いて、好きな数学や物理の勉強に没頭して、今の自分がある」

小5のときに教諭のクラスだったという女性(21)も教諭の眼力を評価する。 いわゆる優等生タイプだったというこの女性は、「幼いながらに先生にこびる方法を知っていて、大人にちやほやされていた」と振り返る。しかし、この教諭はそんな女性を決して特別扱いはしなかったという。
「私の性格を見破られた衝撃は大きかった。でも自分のことをちゃんと見てくれているんだという実感が強く、以来、ずっとお慕いしている」と話す。
「セクハラサイコロ」については、この女性は「少なくとも私がお世話になった間は、セクハラとかロリコン趣味とかを感じたことはなかった」と断言した。「若干表現がオーバーで、女子からはブーイングを受けることもあったが、嫌がる子への気配りやフォローも怠っていなかった」と証言する。
「私は先生の言葉や教えを胸に、大人になってきた。なのにこんな事件になってしまって…」と悔しさをにじませた。


断っておくが,彼の方法論について擁護する気はない。「殺人を問題にした」教師と同じく配慮を欠いた実践方法であったと思う。誤解を招く行為であった。

私が問題としたいのは,最初の報道以来,マスコミ各社及びコメンテーター,教育評論家といわれる人々が彼を「セクハラ教師」と断定し,教員の不祥事の「象徴」として,あるいは教員の品格低下の「象徴」として非難し続けてきたことである。

そして何よりも腹立たしいのは,マスコミ報道を鵜呑みにして,現在の教育現場をよく知りもせずに,すべての学校現場でセクハラが日常茶飯事に行われていると自己流誇大解釈をして教師批判をネット上に書いて何とも思わぬ人間がいることだ。
同様に,本の中に書かれていることを無批判に信じて思い込んだり,学者の言説を自分に都合よく解釈して引き合いに出したりする人間もいる。

いったい学校現場の何を知っているというのか,その教師の何を知っているというのか…。マスコミの報道責任も大きいが,その報道を無批判に受け入れて教師批判の「ネタ」にすることの方が問題は大きい。

「流言飛語」に自らが踊らされていることに気づかない愚かさを恥じるべきである。そして自らもまた「デマ」を振りまく無責任な言動をしていることに気づくべきである。


私は思う。学校は実社会の縮図である。それも狭い空間に凝縮されている。その中で日々を過ごす。いろいろな教師もいれば,いろいろな生徒もいる。相性もある。意見の相違もある。理解し合えないこともある。同じ解釈ばかりではない。寛容さにも限度がある。

だが,生徒のことを思わない教師は少ない。教師の多くは,自分の選んだ仕事に誠意をもって取り組んでいる。問題行動,学力低下,特別支援の必要な生徒,学級崩壊など学校現場の現実は多くの課題に謀殺されている。それらの課題に真摯に向き合って解決を図ろうと教育実践に,自己研鑽に一生懸命に教師は取り組んでいるのだ。

そして何よりも目の前の生徒の育成こそが教師にとっての最大の仕事(役務)なのだ。この教師のように誤解されることもあるが,関わった生徒が彼をどう評価するかである。
一切の関係もなく,面識すらなく,直接的に何ら接点のない人間に,彼の何がわかるというのか。彼の日常の仕事,生徒との関わり,授業などを一切見聞したこともないにもかかわらず,非難の片棒を担ぐなど,あまりにも無責任である。

善意の第三者を装っての「知ったかぶりの批判」ほど無責任なものはない。一部の教師の不祥事を「利用」して,すべての教師や学校現場がそうであるかのように非難する手法は,「部落がこわい論」と同質の卑劣な論法である。

「坊主憎ければ…」式の自己満足な批判からは,健全な解決など生まれるはずもない。姑息な人間が悪意をもって自分の意に反する人間を扱き下ろすだけの非難は,無責任であり,流言飛語の加担者でしかない。

私も自らの教育実践において配慮を欠いた言動やまちがいもある。反省すべきことも多い。だが,一面的な解釈や独断と偏見で物事を見るのではなく,公平公正な視点だけはもちたいと思っている。

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2010年09月05日

生徒間のトラブルに思う

人間関係の縺れに起因する生徒間のトラブルにおいて,自分に非がないことを証明するために,あえて自分が「されたこと」を強調することで自分を「被害者」「弱者」の立場に置こうとするケースに出会うことがよくある。
「言った」「言わない」から始まり,相手が自分に対してしたこと(言ったこと)の「ひどさ」を列挙しながら,いかに自分が傷ついたかを繰り返し述べることで,自分を「被害者」にし,相手を「加害者」とすることで,自分の非を打ち消して自己正当化をはかろうとする。
時に,明らかに作為的な誇張も感じられる。両者から事情を聞く中で,どっちもどっちだと思える場合がほとんどだが,執拗に自分が受けた「被害」ばかりを強調して,まったく聞く耳を持たず,いつまでも相手の非ばかりを詰り,いっこうに解決をさせない生徒もいる。まるで「被害妄想」に酔っているかのような生徒もいる。このような場合,その生徒の方がいつまでも根に持ち,執念深く相手の生徒に敵愾心や恨みまで抱いて,自分がしてきたことやしていることを正当化して,自分を顧みることもせず,逆に悪質な嫌がらせを繰り返すこともある。
また,周囲に対しても,相手の行為によって自分が受けた被害ばかりを,随分と時間が過ぎているにもかかわらず,いつまでも言いふらすことで同情を引き,相手に対する自分の行為を正当化する方便に使うことも多い。なんとも姑息な手法を使うのかと思うのだが,当の本人は客観的な判断すらできないほどに,被害妄想による自己正当化や,被害者・弱者を聖化する発想に酔いしれている。周囲の同情や共感,相手に対する周囲の非難の視線が心地よいのかもしれない。相手にされなかったり,無視されたりすると,余計に向きになって意固地になり,振り向かせようと躍起になり,泥沼化していく。冷静にみれば,独り相撲でしかなく,相手は「無視」しているだけで,関わりたくないと避けているのだが,そのことを本人はわかっていない。わかっていても,それがまた気にくわないのだろう。なぜ相手にされず無視されているかを顧みることもせず,自己正当化に終始する。そんな相手に対して,生徒がよく使う最近の言葉が「うざい!」である。

生徒間のトラブルを解きほぐしていくと,上記のような構図が見えてくることが多々ある。しかも,両者ともにそのように思っている場合は少なく,片方は早々と切り上げてしまい,何とも思っていなかったり,そのような相手に呆れたりして,いつまでも相手にすることをバカらしく思って距離を置いている場合の方がはるかに多い。たいがいの場合は,事情を明らかにしながら相互について客観的な判断を下しつつも,本人の問題点を指摘していく教育的指導を行うが,思い込みの強く,自己防衛本能の強い生徒の場合,自分の非を認めようとはしない。
逆に攻撃は最大の防御とばかりに,自分を守り自分の行為を正当化するためには,これしかないのですと改めることをなかなかしない。いつしか周囲も客観的な判断からおかしさに気づき,遠ざかっていき,孤立化していくのだが,そうなると更に意固地になって,相手にされないこと・無視されていることに苛立ち,ますます自己正当化のための被害妄想を拡大させていく。そして攻撃性か執拗化されていく。かつて突然,何の予兆もなく殴りかかった生徒がいたが,やられる前にやらないとやられる,と思い込んでしまった結果だった。聞けば,いつも相手のことが気になって仕方なくなり,気がつけば思いだし,思い起こし,相手のことを考えていて,段々に妄執が強くなったとのことだった。


「僕は悪くない」「私は悪くない」「うちの子は悪くない」は,相手に対する憎悪にも似た感情さえも正当化させ,逆に自分の非を矮小化させていく。これも自己防衛本能の一つであり,無意識のうちに身についた習性でもあるから,なかなか本人は認めない。特に,孤立化傾向が強く,周囲との人間関係をうまく構築できないままの生い立ちを経てきた生徒には顕著な特性である。

以前に,「僕は悪口を言われた」と事あるごとに言う生徒がいた。「いつのこと」と聞けば,「あいつは,幼稚園の時に…」と,十数年前のことを繰り返し語っていたのだが,相手は記憶にさえ残っていなかった。本人には許し難いことであったのだろう。気持ちはわかるが,その後の執拗な行為もまた許されることではない。「僕は謝ってもらっていない。僕の中では解決していない」と,繰り返し相手を非難する理由を語る。「謝った」「謝っていない」の水掛け論が延々と続き,結局は平行線のままで終わった。こうなると,本人の考え方・生き方の問題となってくる。両者共に気の毒としか思えないが,解決は難しい。なぜなら,彼は相手との人間関係を修復する意志がなく,相手を貶めて困らせることが目的だからである。
十数年前のことを自己正当化の楯にして,要するに気にくわない相手を攻撃して,嫌がらせをしているにすぎない。なぜなら,関係性がほとんどないにもかかわらず繰り返すのは,相手を下げることによって自分を上げる手段であったり,気にくわない相手に嫌がらせをして溜飲を下げて喜ぶ歪んだ自己満足であったりと,その程度のことでしかない。メリットもデメリットもほとんどないにもかかわらず,執拗に相手に嫌がらせをする,あるいは悪口を言われたと言い続ける理由は,そんなものである。普通は,いつしか溶解していく人間関係の歪みだが,時として極端に固執する生徒の場合,なかなか納得しない。数年にわたってノートに恨み辛み,相手の言動を書き続けていた生徒もいた。


ここ数年,人権教育やキャリア教育の中で,あるいは新しい学習指導要領の中でも強化された教育目標に「コミュニケーション能力の育成」があるが,その必要性は確かに痛感する。会話が不成立であったり,一方的な主張ばかりに終始して相互理解を深める努力を放棄する傾向が強かったり,何よりも互いの人間性を尊重するという価値観が欠如していたりする生徒が増えてきている。逆に,自己の不安感やストレスを他者を攻撃することで解消しようとしたり,被害者・弱者を装うことで周囲の同情と共感によって自己正当化を得ようとしたりする生徒も多くなっている。共に,自尊感情が低く,コンプレックスを心の奥に抱いており,他者からの自分に都合のよい評価・賞賛への要求が強く,自己顕示欲も強い。自分を自分の思うように評価してもらえない場合,自分を省みて改善するよりも,つまり自分の責任ではなく他者の責任として,他者を責めたり攻撃したり,自分を理解できないのは相手が悪いからだと思うことで自己満足感・自己充足感を得ようとする。しかし,それが空しき独りよがりであることを心底では感じているはずなのだが,決して認めようとはしない。

少し誇張気味に書いたが,このような傾向の生徒や保護者が増えてきたのは事実である。対人関係の構築が下手・苦手な生徒に共通する要因でもある。生徒間のトラブルの多くは,どちらが悪いとも言えないことが多い。先か後かの問題で正当化される問題でもない。自分がどこで決着をつけるかでしかない。

いつまでも続く「イタチごっこ」のような自己主張と相手への非難,「勝ち負け」へのこだわり,「被害者になりたがる」(負けたふりをして周囲からの同情を引くと同時に,周囲が相手の方が悪いと思い込ませようとする)姑息な手段を駆使しての自己正当化,これらが日々繰り返されていく。そんな底の浅い姑息さで周囲の歓心を買おうとしても,本性はすぐに見抜かれ,誰も相手にしなくなる。相手にしない理由が学力でも成績でも,運動能力でも,まして容姿でもなく,単に性格の悪さだということに気づくべきなのだが,素直に認めず,あれこれと独りよがりの理屈をつけたがる。しかも「個性ですから」「性格なので」等々の屁理屈としか思えない開き直りで,自らの非を認めない。相手を非難する際は,相手の細かなミスや問題点を取り上げて執拗に,しかも陰湿な手法で攻撃しながらも,自分自身は一向に改めようとしない。集団から無視され疎外されていることも,自分は悪くなく相手が悪いと決めつけて,自分の協調性については問題にしない。


自分の非を認めたがらない症候群とでもいうような現象が確かにある。自分の言動を顧みることはせず,一方的に相手を攻撃する。「好き・きらい」の二分化で感情を表現する生徒も増えてきている。そして何よりも寛容さや中庸という精神のバランスを整えられない生徒も増えてきている。
勉強や学力でしか価値観を構築できない生徒,自己存在と同様に他存在を容認できない生徒も増えてきている。これらも教育課題なのだろうが,屁理屈や悪知恵ばかりが頭を駆け巡り,他者との人間関係を構築することより,孤立化しようと他存在を攻撃し,いたぶり,からかうことを楽しいと思う生徒に,人間らしさを説き続けることは,時に空しささえ覚える。他者を非難することでしか自分を主張できず,自己存在をアピールできない生徒にはいったいどう対処すればいいのかと途方に暮れることもあるが,生徒である限り向き合い続けたいと思う。


部落問題だけでなく人権問題に関わる場合,その目的をはき違えてはいけないと思う。部落問題だけが解消(解決)されることを目的にしていては,逆に部落問題の解消など決してされることはない。<目的が手段を正当化してはいけない>とは埴谷雄高の言葉だが,部落問題の解消という<目的>のために,他の人権問題を放置したり自分の人権感覚や人権意識を顧みることをしなかったり,まして他者を愚弄・揶揄したりするような<手段>は正当化できない。

私にとっての部落問題・部落史の研究と実践は,人権教育と同じく「自分自身」のためである。自分の感性と言動を磨くためであって,人を非難するためのものではない。部落問題・部落史の「知識」がなくとも,生徒の人権意識や感性を見事に磨き上げている教師を何人も見てきた。

今年退職されたある女性先生だが,長年の経験に裏打ちされた自信と信念が毅然とした態度をつくりあげ,何事にも動じない。しかも限りなく暖かい。一生涯を生徒共に過ごすと決められ管理職など見向きもせず,退職されるその日まで担任を貫き通された。生徒からの信頼は絶大なものだった。その先輩と過ごせた5年間,私は多くのものをいただいた。感謝している。


このことは必ずしも生徒だけに限らない。(還暦も過ぎた)大人の中にも,そのような人はいる。自分の非を認めない意固地な人間は,同じような対人関係上のトラブルを繰り返す。なぜ人から相手にされなくなるのか,なぜ人から同じようなことを言われるのか,その場合に自分を内省せず相手のせいにする人間は,いつまでも同じ轍を踏み続ける。しかし,自分に非はないと思い込み,相手を批判する。そして,相手にそっぽを向かれる。
自分の人間性にこそ問題があることに気づかない人間は不幸である。否,相手こそが不幸だ。

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2010年09月04日

林力先生の教え

先生は教え方に責任がある

数年前,朝読書の時間に林力氏の著書を読んでいたときのこと,わずが10分間の読書なので僅かなページしか読めないのだが,時としてそれが1ページ,数行で留まってしまうことが度々ある。1つのエピソードや1の文節が,1つの言葉が重いのである。自分の実践を振り返り,日常生活でのあり方を問わざをえない思いに駆られる。今読んでいる『若き教師たちへ』もずっしりと重い言葉が次々とあらわれて,ページが先に捲れないこともある。

「先生は教え方に責任がある」…この言葉にしても当然のことだでは片付けることができなかった。この一文の中に,被差別部落の識字学校で聞いた一人のお母さんの話が紹介されている。自分の息子ができが悪く,いつも「×」ばかりのテスト用紙を持って帰る。ある日,また×ばかりと思って見ていたら,大きな×の字がいっぱい書いてある中に,かげに隠れて恥ずかしそうに小さな「○」が一つ付いていた。なんと小さな○かと思って見ていたら,だんだんと腹が立ってきたいうのである。

以下,原文をそのまま書き写す。この言葉を自戒として今も心に刻んでいる。

「…先生ちゅうのは,受け持ちの子がみんなわかること,百点ばとるごとすることがしごとじゃなかとですか。みんなに百点とるごと教えんならん者が,子どもができそこのうたとき,どうして,あげん大きな×はつけんならんとやろうか。自分の教え方に責任がありゃしないか。今度どう教えたらよかとじぁろうか,思うたら,恥ずかしいやら心配やらで,×の字は小そうなるじぁなかろうか。反対にたった一つでも○があったら,うれしゅうて,もっとがんばれよってゆうて,○の字は二重や三重の大きな○になるのじぁなかとでしょうか。…」と問われたことがある。

たかがテストの○付けとしか思っていなかった私は唯々恥じ入るしかなかった。<テストの結果は教師の指導に対する評価である>と聞いたことがあるが,その意味をわかっていたであろうか「こんなこともわかっていないのか」「何回も同じことを教えたのに…」などと,×を付けながら思っていた私の何と高慢なことかと,本当に情けなかった。その後におこなった冬休みの課テスト,自分の教科指導と指導法,生徒との関わりを意識しながら,一人一人の顔を思いながら採点をした。採点時間は倍以上もかかったが,生徒一人ひとりを身近に感じることができた。自の指導法に不足していたものに気づくこともできた。テストは<教師に対する評価である>をあらたて実感した。

人の欠点やまちがいを探して批判することほど簡単なことはない。まして自分を安全な地点において,何のリスクも負わず,一方的に批判だけする人間や,批判することでしか自己の正当性を主張できない人間の信用性など取るに足らないものだ。

続けて林氏は次のように書いている。

「同和」教育運動は圧倒的多数の教育を受けられなかった人びととのかかわりを通じて,教師が問われ,教師が変えられていく側面をもつ。たんに部落の子どもをどうする,社会への啓発をどうするということだけではない。そのことを「事実と実践で勝負する」とか「差別の現実に深く学ぶ」と表現してきたのである。

このことを勘違いをしている教師や同和教育に関わっていると自認している人々が多いような気がする。

同和教育・人権教育は「部落の子」「被差別の立場の子」を救済するための教育ではない。教育の本質を問い続ける教育の営みであり,すべての子どもの人権を保障すると同時に人権の大切さを学び合う教育実践である。そして,この対局に「差別と人権侵害」があり,「同和利権」「えせ同和」があるはずなのに…。 

イスラエルや中国の言い伝えに【おなかがすいた子どもに,一匹の魚を与えれば,その日だけの食べ物にしかなりません。しかし,魚のとり方を教えれば,一生の食べ物をあげたことになる」がある。同和教育の目的は後者であるべきと思う。


権威と権力

教師の立場,教師の都合,学校の校則や秩序というものをふりかざし,どれだけ子どもの真実を黙殺し,人間としての願いをふんづけてきたことか。そのとき,わたしは子どもや親にとって,権威者,権力者としての存在であった。でも「よか先生」と思いこみ「民主的教師」と胸を張っていたのだ。子どもたちは,教師を選択する立場にはない。人間同志だから,子どもにとって不幸な出合いもある。教師との出合いは宿命的ですらある。だから,教師はせめて子どもの前に立つとき権力者であってはならない。子どもの前の権力者であったとき,例え彼が労働者であることを誇りにしていようと,すぐれた組合活動者として反権力の闘いを展開していようとも,つまり彼の主観的意図や客観的立場を超えたところで,彼は子どもや親にとって差別者以外の何でもなくなってしまう。それは恐ろしいことなのだ。いま,漸く,それが分かる。

(林 力『差別認識への序章』)

「立場が人を変える」と自分の変わり身を正当化した教頭がいる。だが,それは自分自身への言い訳にすぎない。「立場」によってではなく,自分が「立場での言動」を選択したのだ。いかなる「立場」であろうとも,決して自分の本質を変えることなく職務を遂行していく者もいる。「場」に付随する「権威」を自分が生み出したと勘違いし,「権力」を行使する者はその愚かさに気がつきさえしない。

管理主義教育の弊害は,生徒を管理する以上に教師を管理することによって生まれる。その根本的な要因は,管理職が「権威者」と自らを錯誤することから生まれる。それらは日常の職場で「指示・伝達」いう命令と,「報告」という義務の形で「目に見えぬ抑圧」となって,管理職の存在自体を高慢にし,教職員を束縛していく。「生徒のため」という大義名分を題目のように利用しながら,彼らの視線は「生徒」ではなく,クレームを言うかもしれない「保護者」の方にしか向いてない。教育委員会の忠実な代理人となり,自らの保身のみを考える。このような教育こそが管理主義教育である。

「最近の教員には情がないね」と,同僚の先輩女性教師が漏らした言葉が心に突き刺さっている。確かに,若き日に出会った先輩には「情」があった。生徒に注ぎ続ける深い愛情と親身になって関わる姿勢に多くのことを学んだ。体裁ばかりを取り繕う教師,規則や規律を押しつける教師,ただ無難に職務を遂行するだけの教師が増えている。教師から「情」を奪い,「事勿れ」を優先させているのも管理主義教育と思う。

「権威」は「立場」によって得られるものではなく,周囲が認めることで付与されるものだ。「立場」によって与えられるものは「権威」ではなく「権力」である。「権力」の行使に満足を得る人間が歴史を歪めてきた事実を忘れてはならない。

同様に,いかなる管理主義者がいようとも,無批判に追随してはならない。林氏の至言にあるとおり,教師は権力者であってはならない。このことだけは自戒し続けなければならない。


先日,あるサイトの「掲示板」に次のような書き込みをした。

ある講演録を読んでいて,なるほどと思うことがあった。○×の世界観っていうんだけど,二元化して物事の価値を判断する傾向が現代人には強いそうだ。これも教育の弊害,共通1次世代・TVクイズ世代に多い。つまり「できる・できない」「強い・弱い」「やれる・やれない」という価値判断によって物事を見ている。このような価値観だと,できない子は×,強くない子は×となってしまう。これに「正義」とか「正当」とかいう理屈がくっつくと,「差別」にしても極論になってしまう。はたしてそうだろうか?人間ってそれほど単純ではないような気がする「差別をする・しない」「差別を許す・許さない」ってね。現実社会において,そんなに強い人間ばかりではない。強くなくても,できなくても,一生懸命に生きようとする子もいる。いっぱいいる。差別を許せないけど,そこまで強く言動できない子もいる。ハンセン病訴訟のとき,私は原告にはならないけど,あんたらの言いたいことはわかるし応援をしている。がんばってなと言ってくれた同じ入園者が支えになったって言ってた原告の方がいる。できなかったら,できる人がすればいい。できない者をできる者が批判するのは簡単だし,まして排除するのはたやい。

がんばれ,がんばれの言葉が重荷になることもある。心配しているという言葉が負担になることもある。頻繁な励ましが苦痛になることもある。かつて不登校の生徒が担任の家庭訪問や電話が一番苦痛だったって言ったことがある。人間関係は一方通行であったらいけない。相手のことを思いやる場合,自己中心的になってはいけない。そっと見守ることが適切なこともある。

以前にはこのようなことは思わなかっただろう。「差別者」は決して許さず,また「傍観者」を許さなかった。「差別と闘う子」を育てることが同和教育と思ってもいた。確かに,これは一の「真理」ではある。しかし,「差別と闘う」立場だからといって,自分の判断で一方的に「差別」と決めつけて,その言動だけでなく,その人間をも否定することに疑問も感じてきた。「差別と闘う」言動ができない者は「差別者」なのだろうか。「傍観者」は「差別者」なのだろうか。「差別」を受けたことがないから「痛み」がわからず,そのような甘いことを言うのだ,という批判もあるだろう。

だが,「差別」はちがう。「差別を受けた者」が他の場面では「差別者」となることもある。その逆もある。このことからも重要なことは,「差別者」を糾弾することではなく「差別」をなくしていくことだと思う。「差別者」の責任追及や批判をすることが「差別」をなくすことになっているように思える。さらに「差別者」を批判することによって,自分が「差別をなくす立場」に立っていると思い,しかも「差別者」ではないことが証明されたとでも思ってる。「差別者」を「敵」としか思えずに批判し,排除さえする者が,自分を問わずに「差別」をなくすことなどできるはずもない。

「権威」ある者と思いこむことの恐ろしさは,「差別者」と決めつけて指弾する者と同じだ。人間が幸せに暮らすことができる社会を実現するために「人権」がある。「人権」が認められる社会を実現するために「差別」をなくさなければならない。すべての人間が住みよい社会であって,一部の人間のためであってはならない。まずは自らを問うことだとあらためて考えさせられた。

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2010年09月03日

教育の原点

河田光夫氏の「切り捨ての流れの中で」という小文に,次の一節がある。

…十分に勉強が出来る条件を持った優等生を模範にするのではなく,差別や貧困や,身体・精神の障害などの困難な状況を背負った生徒ががんばっている姿をクラスの中心に,学校の中心に,そして教育の中心にすえようとしてきた。そうした生徒や親の願い・訴え・主張・努力の中に,すべての生徒が学ぶべき人間的な輝きが現れるからである。また,教師が,彼らと必死に関わった中に,教育の本質が示されたのである。

しかし,正直に言って,今,解放教育は押し流されつつある。社会運動全体の低迷の中で,切り捨て主義の政策が強圧的にのしかかり,児童・生徒の中にも,いじめに典型的に現れる切り捨てや差別の意識が強くなっている。また,差別・貧困など苦しい状況を背負った生徒達は,そうした「暗い」ものを意識の中で切り捨て,目をつむり,そんなものを持っていない風を装って「明るく」生きようとする傾向が,ますます強くなってきた。「中流意識」の害毒である。…それだけに,いっそう,苦しい状況を背負った者が,そのような状況にいることを自覚し,それを基点として自己の解放と社会の変革を目ざすべきであり,そのように生きる姿の中で,他のすべての人々が学ぶべき人間的な輝きが現れるはずだと,今も,しつこく考えている。

この小文は,昭和60年(1985年)に発表されたものであるから,今から24年前,四半世紀も経っているが,色褪せるどころか,まさに現在の教育状況を的確に表していると思う。

学力の低下が問題視されていながら「ゆとり教育」や「多様化・個性化」を目指した「総合学習」が推進されてきた。数年前の世界的規模の学力診断で日本の順位が下がったことを理由に「全国学力調査」が実施された結果,学力実態の低さが浮き彫りになるや,「ゆとり教育」が見直され,総合学習や選択教科の時数が減って,逆に五教科の授業時数を増加させるという新学習指導要領が施行されるに至った。しかしながら,習熟度別授業の推進と中高一貫校の増設にみられるエリート養成の方向は加速されている。まさに「学力重視」の美名の下で,教育現場における弱者「切り捨て」が容認されるようになっている。河田氏の危惧がより現実のものとなっている。

不景気と財政難は教育現場を直撃している。教育予算・学校予算の減額は一般には知られていないが,この十年で半額ほどに激減している。その最たるものが教員数の減少である。教員数は学校規模による定数と加配教員数によって決められるが,人件費削減のため加配教員はほとんど引き上げられてきている。その影響は教員の負担よりも生徒への皺寄せの方がはるかに大きい実態を生み出している。きめ細かい指導など教員数と比例するのは自明のことであるが,数だけを非常勤講師で埋め合わせている。

そして何よりも,教育改革の柱が「学力向上」を目的とした授業改革になっていることで,人権教育や道徳教育などが「説明と説諭」に終始してしまうことを危惧する。「教育格差」という言葉が「学力格差」と同義に使われ,「学力向上」によって改善されると考える短絡さでは,ますます教育現場は混乱し,格差は拡大するだろう。

しかし一方で,河田氏が「教育の本質」と指摘する同和教育が大切にしてきた実践を継承・発展させようとする教師たちもまた多くいる。また,何も解放教育や同和教育,人権教育の範疇に限定せずとも,日々の授業や生徒との関わりにおいて,河田氏と同じ視点と方向性で教育実践をおこなっている教師も多くいる。一部の教師たちを見て,それを一般化させて全体がそうであると決めつけることは,何も教師だけでなくすべてのことにおいても愚かしいことである。

河田氏が「中流意識」と分析した時代は,確かに高度経済成長によって人々の暮らしが格段に向上したことを背景に人々の意識も変わっていった頃である。誰も彼もが「中流階級」を目指し自認することが社会志向であった。だが,バブル景気と崩壊,長き経済の低迷期を経て,格差社会を迎え,さらに現在の世界同時不況である。「中流」が上下に分化していき,格差がより拡大されていく時代にあって,教師は自らを問うことを求められるだろう。どちらの側に立って教育を行うのかと。


「あの先生がいるから,あの高校に進学したい」と言わせた高校教師がいた。一度だけお会いして楽しいひとときを過ごしたが,その方が大学卒業後,勤務する高校に最初に赴任した日,校長に次のように聞いたそうである。

「私は学校の方を向いて教育をすればよいのか,それとも生徒の方を向いて教育をすればよいのか」

校長は「あなたはどうしたいのですか」と逆に問いかけた。

その方は「私は生徒の方を向いて教育をしたい」と答えた。校長は「それでよろしい」と言ったそうであるが,以来,その方は定年退職直前まで三十数年にわたり担任を続けた。

教材開発や授業展開などの技巧に優れた教師は多い。しかし,人間的な関わりにおいて生徒の信頼を得ることのできる教師は少なくなった。河田氏の教育実践に学びながら,明日から心新たに教育実践に向かいたいと思う。

posted by 藤田孝志 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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