2012年03月08日

ノートU

本棚の片隅にレーニンの『哲学ノート』(岩波文庫版)がある。この本は,確か高校時代に先輩から勧められた『国家と革命』に挫折しかけたときに本屋で見つけて買ったものだ。当時は,まだマルクス主義者が多かった。学生運動の残り火がまだ燻っていた。

私を見つけるとマルクスやレーニンを語る先輩がいて,彼女から借りて読んだのが初めてのマルクス主義哲学の入門書であった。その本は,日本共産党系の出版社が出している入門的なシリーズの一冊だったと記憶している。
その本には,几帳面な彼女らしく定規を使ったサイドラインが引かれていたり,小さな文字でコメントが書かれたりしていた。彼女独自の記号,たとえば「imp」(importantの略だろう)などもあり,本はこのように読解するのだと私は初めて知った。私の読解法の原点かもしれない。(私は今でも,彼女の記号を愛用している。)


ノートや手記からは,作家や学者,研究者の思索の背景を垣間見ることができる。彼らが読んだ本や学んだ学問,影響を受けた思想,論文や著書に至る思索,それらの足跡をたどるには,彼らが書き残したノートや手記,日記が最適である。

しかし,私は彼らのプライバシーや人間性を非難することを目的にはしない。まして個人攻撃のための「ネタ」にしようとなど論外である。他者のプライバシーを嗅ぎ回るなど,悪趣味でしかない。

ノートに興味を持ち始めて以来,多くの「ノート」と名の付いた本を買い求めてきた。完成された著書以前の断片的な思索,抜き書きと感想,書きかけの断章,覚え書き,それらがアットランダムに書かれている。

丸山眞男の『自己内対話』も興味深かった。彼の『日本政治思想史研究』や『講義録』『忠誠と反逆』から少なからず影響を受けた私としては,丸山の精神がいかに形成されたかの一端を見る思いだった。

また,ノートには彼らの思考や思索の方法論が隠されている。松岡正剛の「千夜千冊」でもレーニンの本書をそのように読んだと書いている。

残り少ない人生,思索の足跡を書き残すのもいいかもしれない。

posted by 藤田孝志 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ツール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

思考ツールと教育改革

ここ数年,学校現場においても「ビジネスツール」が援用されてきている。
例えば,PDCAサイクル,OJTなど学校経営では不足しがちな経営戦略的視点やマーケティング発想が取り入れられている。この背景には,多様な生徒の実態と時代に即応した学校教育の構想が求められているからだろう。端的に言えば,旧態依然の学校経営では時代後れということだ。

学校改革の必要性は十分に認識しているし,その方策としてビジネスツールの有効性も納得しているが,その一方で,学校組織独特の仕事慣行や教師独特の思考や行動を踏まえた改善でなければならないと考えている。

要するに,効果的な「思考ツール」を採用しようとも,それを使うのは「各個人」であり,その「個人」の考えが強く反映する。ツールはあくまでも使う人間にとってのツールでしかない。使いこなすことができ,活用することで成果が上がれば,いかなるツールでも構わない。
別に,これでないとダメだという類のものではないと思う。


今日の読売新聞に,東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫氏が岡田尊司氏の『なぜ日本の若者は自立できないのか』について書評を書かれていた。

いじめ,不登校,高校の中退,校内暴力の急増などは子どもの特性を無視した画一的教育システムに本質的問題があると筆者は問題提起している。
その結果,授業に付いていける子どもの割合がいわゆる七五三という小学で70%,中学で50%,高校で30%となっている。
多くの子どもたちが毎日苦痛と劣等感を抱きながら学校に通っていることがさまざまな問題を起こし子どもの自立を妨げている。実技科目が得意な子にはそれを選択させたり,授業についていけない子にはそれを救う方法をとってやるべきだという。

「画一的教育システム」の問題性は昔から指摘されてきたし,さまざまな教育改革・学校改革が試みられてきた。私も現在の「教育システム」に本質的な問題があると考えているし,現在の文科省が進めようとしている教育改革に対しても疑問をもっている。

岡田氏の本書を読んではいないが,他の著書から岡田氏の特別支援教育に関する理論と提言に共感したり示唆を受けたりはしている。個々の生徒に対する多角的な対応の必要性も十分にわかる。それを妨げているのが現在の教育システムであるという指摘もわかる。

だが,佐々木氏がまとめている岡田氏の提言を現行のままに実行できるとは思っていない。理想論とは思うが,すぐには不可能だろうし,子どもたちの個性や特性に特化した教育カリキュラムを個々の学校で対応しようとすれば,現在の教員定数の3倍の人材が必要である。財政難により教員数の大幅削減を進めてきた文科省や各地方自治体である以上,無理である。
また,特性に特化した教育を受けてきた子どもの進路保障に対応した高等学校の設置,さらに大学,企業という「受け皿」が整備できるだろうか。

スポーツなどの実技科目に興味を示して取り組むが,普通教科の授業では騒ぐか爆睡する生徒に対応できない現状が克服できるとは思えない。

多様な特性を発揮できる教育現場が必要であると同時に,集団規律や社会秩序を維持できるだけの方策が求められている。個性という名目で勝手が許される自由を認めては学校という集団組織は崩壊するだろう。


さまざまな個性や特性をもつ生徒への対応,すなわち授業や行事,日常の生活において彼らを育成するための「ツール」として,学校や教師が身に付けて活用したり,学校改革・教育改革の方法論となるのが「思考ツール」である。

posted by 藤田孝志 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ツール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

議論U

今夕,先週に続いて,東京大学で行われた「ハーバード白熱教室」のサンデル教授による特別講義の後編が放映された。後半の講義テーマは「戦争責任」であった。

先週の前編以上に白熱した「議論」が行われ,時間が過ぎるのを忘れるほどに,若者と教授の対話に聞き入った。

前回と同じく,私の関心はサンデル教授の「議論」の導き方であり,彼が「議論」に何を求めているかである。若者に投げかける「質問」の的確さ,比喩として用いる具体例のわかりやすさ,それを「論証」として構築する論理力,どれもがさすがである。
若者の意見を「議論」へと発展させるため,彼は若者の意見を的確にとらえて「論点」を巧みに整理して,反論しやすくする。次に,背反する相互の意見を「議論」が噛み合うように「正対」させ,さらに第三の意見まで求める。実に見事である。


今回,最も心に残った言葉がある。講義終了後のインタビューで,サンデル教授の語った言葉である。

…たとえ意見が対立しても,「議論」を通して「学ぶこと」はできる。

意見の対立が感情的になり,互いを「敵」のごとく思い,離反していく人間は多い。自分の意見や主張のみを正当化して,対立する相手の意見や主張を一切認めず,ひたすら攻撃する人間も多い。
一方的に自己主張を繰り返し,自分の意見に賛同しない人間や相違する意見の人間を揶揄・愚弄する人間もいる。個人攻撃に終始る人間もいる。

そのような人間に「議論」はできない。

今回の講義もハーバードでの講義も,意見の対立が「議論」として成立していたのは,相反する意見の相手であっても,彼の主張や意見を「学ぶ」という意識から理解しようとしていたからだ。意見や考えの相違であって,相手の人間性や人格まで否定することは決してしないからだ。「議論」の最低条件を認めているからだと思う。

「議論」ができない人間は,なぜ「議論」ができないかを自らに問うべきだろう。自らの他者との関係性構築を振り返ってみるべきだろう。
なぜ「議論」ではなく「論争」でもなく「喧嘩」になるのか。その理由は,他者ではなく自分にあるのだと気づくべきだろう。独断と偏見,先入観でしか他者の意見を聞くことのできない人間には「議論」は不可能だろう。また,自説の正当化のみを主張したり,他説を批判するのみを目的にした人間では「議論」の先は平行線でしかない。


「あひる企画」と相談の上で,HPの再構築に取りかかることにした。HPをそのままに放置して早くも3年以上が過ぎた。内容では5年近くになるだろうか。
これほどに停滞させてしまったことを悔いている。自分でもバカバカしいことだと思っている。

サイトの再構築に伴い,ブログも再編成する。

posted by 藤田孝志 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ツール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

管理

知的生産に必要な3つの「管理」があるという。「情報管理」「思考管理」「時間管理」である。


「情報管理」は,情報データの「整理と保存」である。情報の重要度・必要度などに応じてcategorizeしておく。文献・文書・書類などの紙データの整理も大切だが,現代では情報のほとんどが電子データ化しており,作成した文書も電子データである以上,電子データの整理と保存は確実さが要求される。
事実,今まで幾度,PCクラッシュや操作ミスによりデータを喪失したことだろうか。泣くに泣けない思いで,もう一度文章を作り直したことも,二度と手に入らないデータの喪失に悔しい思いをしたことも…一度や二度ではない。そのたびに,データの保存とバックアップの工夫を重ねてきた。

現在は,家庭内Serverと無線LANによって複数のPCとデータの管理を一元化し,さらに自動バックアップをServerにとれるように設定している。また,定期的に複数の外部HDDに重要なデータは分類して保存するようにしている。画像や動画以外はそれほどの容量は必要としないし,最近の外付けのHDDは大容量でも安価で購入できる。半永久的に保存できるはずもない以上,最新のものに買い換えながら保存する方がベターと思っている。

収集したり作成したりしたデータは分類して整理しているが,手作業では時間も相当かかるので,最近は半ば自動割り振りのソフトでデータ管理をしている。

なお私は,不要なデータは「消去」している。自分にとって「無意味」と断定したデータにいつまでも固執し保存することはしない。また,「消去」したはずのデータが次から次へと「コピー」として出現してくるような「保存」はしない。


現在の私の課題は「時間管理」だと思っている。昔からの悪癖で「時間管理」ができない。スケジュール管理も同じで,直前にならないとできないし,優先順位は守れない。目先のことにとらわれてしまい,先へと延ばして後悔する。困ったものだと自分でも思うが…。

スケジュール管理は「Outlook」がよいとのことだが,他のソフトも検討している。以前は手帳を使っていたが,面倒くさいと思うようになって,最低限の予定のみを書いている。これがよくないのだと思う。

スケジュール管理のソフトは「スケジュール図」(Justsystem)を試験的に使っている。なかなか便利な機能もあり,見やすさも気に入っている。ただ入力するまでが面倒と思うからいけないのだが…。

きちんと計画を立てて時間を調整して日々の仕事や研究をおこなわないと,現在の「沈滞」した状況から脱出できそうにない。

本務の仕事も忙しく,毎月の行事を確認しながら日々の仕事を処理しているのが現状である。自由な時間ばかりで,ほとんどの時間を自分の好きなように使えるようになれればいいのだが…それでは生活できないし,そんな生活を羨ましいとも思わない。決まった仕事の中で他者と関わりながら達成感と充実感を味わっていきたい。責任の必要のない生活は魅力を感じない。人はそれぞれだから,別に他人の人生を「批判」する気はない。


「思考管理」について,最近思うのは「共同研究」「共同実践」の大切さだ。文系の研究などはほとんど個人の思考活動だが,そこには思考の限界と独善性の罠が横たわっているように思う。推測と検証を繰り返す作業において,思い込みが強すぎると歪曲した解釈や独断的な結論を導きやすくなる。これは一人(自分)では気づきにくい。

欧米の大学や研究所では,至る所で「議論」や「対話」が行われている。分野のちがう人間とサロンで会話したり食事をともにしたり…そんな中で「検証」「確認」作業が行われているのだと聞いたことがある。彼らは,教授・研究者・学生など関係なく,常に多様な会話を楽しんでいる。そして,知識だけでなく自らの人間性や対人関係性を磨いている。

最近のビジネス雑誌を読んでいると,共同研究・共同実践が主流である。組織の活性化と個人のスキルアップが相補的に営まれている。これは現在の学校現場にこそ必要なことだと痛感する。


今夏は暑さに負けて思うような仕事ができず,少々後悔している。残りわずかの夏季休業において何ができるか心許ないが,スケジュール調整をしてできることをしておこうと思っている。

posted by 藤田孝志 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ツール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

ノート

そういえば,この一連のBlogも「ノート」と題しているように,私にとっては「ノート」のつもりである。「つもり」というのは,必ずしも「ノート」の形式をとっているわけではないし,また通常のノートのように書けるわけでもないからである。
たとえ閲覧者が少数でも「公開」している以上,私的な内容であっても,何でもかんでも好き勝手なことを自由に書くことが許されるものではないと思っている。


『東大合格生のノートはかならず美しい』の続編『東大合格生のノートはどうして美しいのか?』を書店で見つけ,関連書と合わせて数冊を買った。

全国学力・学習状況調査においても,ノート整理と学力の相関関係が明らかになっているが,実際に生徒のノート状況を見ていると,ノートを工夫してオリジナルノートを作成している生徒は少ない。ほとんどの生徒が黒板を丸写しにして,そのままである。この現状を克服するために,ここ数年の授業実践の一つとして「ノート整理を中心とした学習方法」に取り組んでいるが,両書は実に示唆に富んでいて,生徒に示すノート整理術だけでなく,私自身のノート作成にも大いに参考となっている。本務の教材研究や教育関係を整理するノート作成はもちろん,部落史や部落問題に関して専門書を読み込みながら要点をまとめたり,文献を整理したりする際のノート作りに応用している。


原則として,私は2種類のノートを使い分けている。ルーズリーフと普通のノートである。両方とも「ドット入り罫線シリーズ」を使用している。ルーズリーフは資料をまとめたり文献整理に使っている。バインダーに,自由に増やしたり差し込んだり,項目ごとの分類に重宝している。キャンパスノートの方は,論文の下書きや覚え書き用に使っている。バインダーも十数冊になったが,情報整理には最適の方法と思っている。
PCに取り込んだ資料などをプリントアウトして綴じることもできるし,関係項目ごとにノートを分類し直すこともできるのがいい。最近のプリンターは印字もきれいだし,両面印刷が可能なので,打ち出して,26穴ゲージを使い,バインダーに綴じている。両面コピーを使えば資料冊子として整理できる。


以前は「抜き書きノート」や「カード」を使って要点をまとめていたが,最近はPCに,一太郎かワード,xfy Blog Editorなどを使って直接にまとめたり書き込んだりすることが増えた。変体仮名などでは苦労するが,文献史料を書き写す場合もPCを使っている。スキャナで史資料や画像を取り込むこともあるが,ほとんどPDF化して保存するようにしている。
ただ,それでもノートを取りながらまとめることもしている。PCでは画面上の制約から,資料を複数表示して作業するには限界がある。本や文献,資料を机上に広げながらの作業では,まとめたノートが必需品である。この場合でもルーズリーフは最適である。その論文や作業に必要なノートだけを選び出して1冊のバインダーに綴じて増やしながら活用している。終われば,また元のバインダーに整理し直せば済む。

作家や学者の整理術も随分と読んで,実際に試してもみたが,自分に合った方法が一番と思っている。
最近はビジネスの世界で,情報の整理や活用に関する方法論やツールを紹介する雑誌や本が増えている。あらゆる活動が知識や情報を直接的な基盤とするという,いわゆる知識基盤社会化が進み,産業構造をはじめ社会構造が大きく変化している中にあっては,情報知識をいかに効率的に活用するかが問われているからだろう。参考になることも多い。

本にマーカーを引くこともあるが,あまり好きではない。ダーマトグラフを愛用しているという学者がいたので使ってみたが,後で読み返す場合にきれいでないので,私は色鉛筆を使っている。本に書き込みをするのも好きではないので,ノートか数色のカラー付箋紙に書き込んでいる。付箋紙も紙製と薄いプラスチック製を使い分けている。


(知りもせずに適当なことを書く「揚げ足取り」の好きな人間もいるようだが)私は,OCRは精度も高くなってきているが,まだ十分とは思っていないので,ほとんど使っていない。時に書き写す際に誤字や段落落ちなどのミスもあるが,文献史料を読みながら直接に打ち込むようにしている。
PCの利点は応用の自由さである。一度入力して保存しておけば自由に何度でも使える便利さがあり,保存整理・検索が簡単だ。
しかし,考えをまとめたりメモを整理したりする場合,ノートの方がいい。時間と労力,修正と保存を考えればPCだが,モバイルをいつも携帯できるわけでもなく,結局は使い分けだ。


文具類も日々進化して便利なグッズが販売されている。生徒から教えてもらうことも多いが,紀伊国屋書店など大きな書店は文具類も併設してあるので,ついでに立ち寄って発見することもある。しかし,やはり専門店の方が新商品や種類も豊富であって,楽しい。

posted by 藤田孝志 at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 思考ツール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。