2010年08月13日

人間の弱さ:『週刊ポスト』の記事

自宅は全室,エアコンによる空調管理をしているので,実に快適な生活をしているが,その反動で身体が暑さに弱くなっているのを痛感する。ここ2週間ほどは,帰宅後に冷たいシャワーを浴びて,エアコンを低めに設定した書斎にこもって仕事に没頭していたから,尚更に身体が暑さに弱くなっているように感じる。

夏季休業中は授業がなく,エアコンの効いた職員室と会議室での勤務が中心だから,尚更に炎天下のグランドや体育館での部活が身体に応える。やはり快適な環境は机上の仕事には必要だが,逆に身体にはよくないのかもしれない。

年齢的な影響もあるだろうが,地球温暖化の影響が大きいように感じる。私の中学・高校時代は今ほどには暑くなかったような気がする。ここ数年で,高校の教室のほとんどがエアコン完備となった。汗を拭いながら受けた夏の補習を思い出すが,授業の内容が暑さで頭に入らないとか,思考力が低下して数学の問題が解けないとか,そんなことはなかったように思う。問題集と格闘しているとき,時折窓から入る風の爽やかさに,一時の清涼感を覚えた。
今の生徒は,エアコンのある特別教室で補習をしていても,すぐに疲れてしまう。


今週号の『週刊ポスト』(8月27日号)に,興味深い記事が載っていた。
1つは新連載「糺弾―部落差別ハガキ自作自演事件はなぜ起きたのか」(高山文彦)である。福岡県筑後地方の被差別部落で起きた連続「部落差別ハガキ」事件についてのルポで,その第1回が掲載されている。
平成15年12月から21年1月までの約5年間にわたって,立花町役場(社会教育課長)や事件を自作自演した本人(役場の嘱託職員)に宛てて差し出された44通もの被差別部落及び部落民に対する悪質極まりない差別ハガキ事件である。

逮捕・判決から約半年が過ぎた今月,久留米にある解放同盟筑後地区協議会において糾弾会が開かれた。本連載は,今後も続くだろう糺弾のなりゆきと事件の詳細についてルポされていく予定だ。

この事件は今までの差別事件とは異質である。被差別―加差別の関係が,部落―部落外ではなく,両者が共に同じ部落民であるという構図が,従来の差別事件とは根本からちがっている。

なぜこのような事件を彼は起こしたのか。法廷で彼は,役場との契約更新が不安であったと述べている。毎年の更新が必要な「嘱託」という身分,来年度の保証のない身分からくる不安を消すために,部落出身という立場を利用しようとしたのである。

行政は同和問題に取り組んでいた。被害者となれば解雇をしにくくなり,継続してもらえると思った。

立花町も同和問題解決に一生懸命取り組んでいた。部落出身であれば私に配慮してもらえる,解雇しにくくなると思った。

それだけではない。被害者となった彼は講演会や研修会に呼ばれるようになる。その時の講演料という臨時収入が目的であったとも考えられる。「犯行動機の裏には薄暗い金銭欲がからんで」いた。
理由や動機からみれば,部落問題を悪用した詐欺事件である。

しかし,この事件の背景および他の視点から考えれば,実に複雑に絡み合った部落問題の今日的様相と,今までの部落解放運動や同和教育の負の遺産が見えてくるような気がする。同和枠という特別な恩恵や利権の影が垣間見える。
部落差別があるから仕事や収入があるという構図もまた現実である。


もう1つの気になった記事は,山藤章一郎と本紙取材班「現場の磁力」の今回の特集である。取り上げているのは「岡山・長島 神谷美恵子」である。

この取材記事を読みながら,両義性ということを思った。

ここに書かれている神谷は,引用されている鶴見俊輔の「神谷美恵子は聖者である」という言葉そのままである。自分や家族を犠牲にしてまで,ハンセン病患者に誠心誠意尽くした献身的な姿が本記事でも紹介されている。

彼女の著書の幾冊かは読んでいるが,その真摯な生き様と他者への慈愛に満ちた生涯は「善き人」の人生である。彼女に接した誰もが彼女の限りない無私の愛情とやさしさに心打たれている。

先日まで読んでいた『「隔離」という病い』の中で言及される神谷美恵子とは別の視点から描かれている。

どちらの神谷も本当の神谷だと思う。一人の人間の中にあるいくつもの自分の一つだろう。また,同じ言動であっても,見方によってはさまざまな評価が生まれる。光田健輔に関する評価も同じである。

posted by 藤田孝志 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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