2013年01月01日

新しい年に

振り返れば,転勤して今日まで実に慌ただしい一年であった。それは決して悪い意味ではなく,私にとっては「原点回帰」ともいえる充実した教師生活であった。
すばらしいスタッフと生徒によって新生の歩みを着実に踏み出している本校に転勤できて,本当によかったと思っている。日々の充実と新しいことへのチャレンジは,自分を活性化させてくれる。
同じ環境に長く身を置くと,自分の生活や完成が知らないうちに淀んでくる。本やネットの世界以外,日常が閉塞された空気の中では,思考もまた停滞してしまう。気づかないのは本人だけだが…。
やはり,人間は人間との出会いと交流の中で成長していくのだと実感している。


転勤を機会に,弊サイトの構成を新たにして半年,ここに至ってBlogのプロバイダーを変更せざるを得なくなった。

TypePad, Inc. 社(米国)が TypePad Pro(個人向け)の日本語でのサービス提供を終了することになりました。これに伴い、 2013 年 3 月末日をもって TypePad Pro(個人向け)は日本語でのサポートおよび管理画面の日本語化対応を終了します。
また、シックス・アパート株式会社の国内総代理店契約も 2013 年 3 月末日をもって終了することとなりました。
TypePad Pro(個人向け)は、TypePad, Inc. 社(米国)より提供され、 2013 年 4 月以降も引き続きご利用いただけます。

気に入っていたBlogだけに残念である。このまま使用することも考えたが,サポート体制が不明である以上,別のプロバイダーに移行することを決めた。新しい弊siteの構成は前のBlogと同様に,次のようにした。

(1) 時の流れの中で (http://fujita-t.seesaa.net/

「教育・社会・人生・思想」などを中心に,断片的な思いを書いていこうと考えている。
特に,「いま・ここ」に生きる私の興味・関心に従って,率直な意見を述べていきたい。



(2)
我が心は石にあらず (http://meinherz.seesaa.net/

「部落史・部落問題」に関する研究ノートである。できるだけ最新の研究成果を反映させたいと考えている。
特に,各時代における多様な部落史像を追究していきたい。また,部落問題の歴史的背景についてもまとめていきたい。



(3)
存在を問い続けて (http://existenz.seesaa.net/

「岡山部落解放史」に関する研究ノートである。岡山の部落史に関係する史実や史料について考察していきたいと考えている。
特に,県北(美作地方)で起こった「解放令反対一揆」(明六一揆を中心に)や「渋染一揆」について,ライフワークとしてまとめていきたい。



(4)
史実の深層を求めて (http://geschichte.seesaa.net/

中世から近・現代における史実や歴史認識に関して最新の研究成果を紹介しながら,歴史を知ることの意味について考察していきたいと考えている。
特に,画一的な歴史像ではなく多角的・多面的な歴史像から歴史の実像をまとめていきたい。



(5)
心の壁を越えるために (http://mauer.seesaa.net/

「ハンセン病問題」に関する研究ノートである。部落史との関連,近代の国家的隔離政策の歴史的背景,また入所者に対する人権侵害などについて多面的に考察していきたいと考えている。
特に,地元にある長島愛生園・邑久光明園に関する実態,資料の考察をまとめていきたい。


振り返ってみれば,インターネットの世界に足を踏み入れて10数年が過ぎようとしている。HPを開設し,試行錯誤しながら自分の研究成果を公開してきたが,その間に社会は大きく変貌してきたように思う。部落史・部落問題に関する世界も,同和教育・人権教育の世界も,予想していた以上の変容を感じている。その最も大きな要因は,同和問題に関する法的措置の終了に伴う学校教育における部落問題の扱いであろう。

「同和教育から人権教育への移行」といいながら,実質的には部落問題学習の終息であった。学校現場の自由裁量の拡大という理解のもと,結局は同和問題を学校教育で必ずしも扱う必要がないという大義名分が与えられたのである。
部落問題ではなくハンセン病問題を教材に扱うことで,人権教育は成立する。

はたして現在も「部落問題」を扱っている学校,部落問題学習に取り組んでいる学校がどれほど残っているだろうか。今の若い教師で,いったい何人が部落問題について教えるだけの知識と認識をもっているだろうか。

私がHPを開設した当時,部落問題をテーマにしたサイトが,研究機関だけでなく個人のサイトも多くあった。メインテーマでなくとも部落問題や部落史に関係している内容を扱っていたサイトは,相当数あった。だが,現在では数えるほどになってしまっている。私が交流していた個人サイトも,そのほとんどが閉鎖状態である。いつしか更新されなくなり消えてしまったサイトがいくつもある。

その一方で,名称や組織運営を変えながら継続している研究機関のサイトがあるように,今も地道に活動を続けている個人サイトもある。彼らの真摯さに敬服する。


この大きな変動の中で,私自身もいろいろと考えることが多かった。
学校教育の変容を現場で日々痛感しながら,同和教育から人権教育へと姿を変えていく中で,その変容を「発展」にできないかと,大切なものだけは失うまいと,焦っている自分に気づくこともあった。
あるいは,まるで窓辺に腰掛けて眼下を流れる雑踏を眺めているよう時期もあった。人の流れが速過ぎて,しかもどちらに向かうかさえ見えず,その流れに飛び込むことを躊躇していた。

気がつけば,学力低下を理由に「新学習指導要領」が詰め込み教育の再来を予感させる教育課程と学習内容を提示し,人権教育さえも学力保障の一環へと流されようとしている。
長引く不況の中で,いつしか実力主義による経済的社会的な淘汰と格差が容認されようとしている。弱者の定義さえもが国家的危機のもとでは曖昧にされてしまう。本当の意味での社会的弱者が見えなくなってしまっている。


実は,私もサイト自体を閉鎖し,ネット世界から撤退しようかと思い悩んできた。
意味あることではなく,無意味なことに振り回されたり,本来の目的から大きく逸脱したことに煩わされたりすることに辟易していたからである。瓦石に等しいことに貴重な時間を費やすほど愚かしいことはない。
当初に計画していた新しいHPを中心としたサイト構築も,次第に無力感が強くなって放置してしまう状態が長く続いていた。

そうした数年間を過ごし,今年の転勤を機に,今まで放置してきた問題に片を付けようと思い,暫定的ではあるが,サイトの再構築を試みた。ネット上の煩わしい動向は無視して,自分のすべきことを着実に進めていこうと決心した。
積み上げたままの書籍や収集したままの資料を整理しながら分析・考察に全力を尽くし,その過程の中で書いたものを公表していこうと思う。


旧HPには,語り尽くせぬ思いがあり,閉鎖を決断するまでには随分と悩んだ。
だが,どこかで区切りを付けなければならないという思いもあった。いつまでも過去にとらわれてもいけない。心を整えなければならないと決めた。死んだ後までも人目に晒すことは,私の心情にはない。私の心の中に残しておくだけでいい。

願いは必ずしも叶うものではない。大切なものを失うことも人生にはある。生涯に渡って後悔することもある。砂上の楼閣でしかなかったと思い知らされることもある。だが,それもまた「時分の花」と思う。人に人の人生があり,それぞれの「時分の花」があるように,私にとっての「時分の花」であったのだと,秘することもまた「花」である。


しかし,実際にBlog中心に構成してみると,本来の趣旨との違和感を強く感じるようになった。やはり,私の考える弊siteの展開は,HPの方が適していると思うようになった。

Blogが主流の中で,私も自分のBlogを立ち上げてみたが,私にはHPの方がいい。日記や雑文を時系列的に書くだけならBlogの方が簡単ではあるが,体系的な構成と内容を考えれば,HPの方がわかりやすく整理しやすい。見る方も見やすく,検索もしやすいだろう。
例えるならば,Blogは小説や評論であり,HPは辞典や全集である。どちらの方がよいとかではなく,それぞれに用途と目的によって選択すればいいと思う。私にとっては,BlogよりもHPの方が最適と思うに至っただけのことで,他者と比較する気はない。

blogは本来が日記のような書きっぱなしに向いているので,私のように内容を書き直したり論文を発表したりする形式には向いていないように感じている。もちろん,形式や方法の工夫で目的を達成できるのだろうけど…。思いつきを毎日ダラダラと書くのは好きではないので,私は別の用途に使いたいと思っている。

無意味なものや不要な文章群をいつまでも「記録」「足跡」のように残すつもりもない。私は個人的な日記などのように一度書いたものはそのままにしておくべきとは考えていない。個人的な日記だからなど理由にもならないと思うが,公開している以上は過去の記述であってもまちがったことや事実に反する内容については「訂正」「修正」「削除」すべきと考えている。同様に,自分にとって不要になったり気に入らない文章は,書き直したり消去したりするのは当然のことと思っている。

また,過ぎ去ったことや結論の出たことにいつまでもこだわる気はない。自分にとって関わりのないことに時間を割くよりも,自分にとって必要なことに時間を使いたい。


現在,「あひる企画」と相談して,以前のHPのままに内容を充実させながらの再構築をしようと準備をすすめている。今後は,内容を整理したりcontentsを再構成したりしながら自分が考えるHPに創り上げていくつもりだ。
特にcontentsに関してはジャンルなどわかりにくい点もあるので,site mapの構成も考え直してより見やすいものに変えていきたい。また,内容では,最近の研究成果や現在の私の考えと異なる文章もあり,いくつかの論文や指導案は修正が必要である。部落史学習や人権教育に関する指導案や授業実践の資料なども新しいものを公開したいと考えている。


ここ数年,自分の納得できる研究や論考ができていない。

さまざまな要因があると思うが,意欲がわかない。興味や関心が薄らいだわけではないが,以前のような探求心というか追究心というか,そのような内面的な情熱が湧いてこない。
研究テーマが拡散してしまったことも原因とも思う。充電期間が長すぎて,あれもこれもと手を拡げてしまった感じがする。テーマを絞るべきとも考えている。

また,自分本来のスタンスに立ち戻る必要も感じている。原点を再確認すべきであると考えている。


今年は,部落史とハンセン病について今まで断片的に書いてきたものを,整理・追加・再編集してまとめることで総括していきたいと考えている。特に,渋染一揆と解放令反対一揆に関しては論考を論文にまとめておきたい。

また,部落史学習に関して指導案および教材集を作成したいと考えている。私は,マニュアル教材や,資料の使い回し,ワンパターンの授業実践を否定してはいるが,叩き台となる資料や教材が少なすぎる現状も感じている。だから,何年も何十年も前の教材や指導資料が使われ,もはや時代にそぐわなくなっている部落史が語られているのだ。

体系的に整理された部落史の教材集,歴史や社会が専門の教師でなくとも使える学習教材や指導集を作成するつもりだ。


あらためて「部落問題とは何か」「部落差別とは何か」を問いたいと思っている。
部落史を学ぶほどに,この語り尽くされてきたように思える問いが未だ解明されていないことを痛感する。長い歴史の中で,各時代によって様々な実相を見せてきた被差別民の姿を各時代の政治的社会的体制の中で複雑に絡み合う関係性において理解しようとするならば,画一的な捉え方ではなく多様な歴史像として捉える以外に総体としては理解できない。

今年は,各時代の実相としての部落史像を捉え直してみたいと思っている。部落史の概観を再構成することで,部落問題の変遷が見えてくると思う。特に,時代の移行期が重要となる。

posted by 藤田孝志 at 01:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

自己実現

人生は「自己実現の行路」である。

私は,教師の仕事は個々の生徒の「自己実現」の一端をサポートしていくことだと考えている。
様々な生徒がいる。家庭環境も生活実態も異なる。生育過程も違えば,考え方や生き方も違う。そのような生徒を画一的・統一的に教育するべきではないし,できるはずもない。

教育を国家統制の手段と思い込んでいる人間もいるが,確かにそのような側面は否定できないが,学校現場では決してそのような一面的な教育は行われてはいない。

学校現場を知らない人間が,TVや雑誌・新聞,インターネットなどの「情報」を鵜呑みにして独善的な憶測から,あれこれと批判するのはどうかと思う。一部の教師や学校を例に,すべての学校や教師がそうであるかのように普遍化するのは,偏狭な認識としか思えない。「木を見て,森を見ていない」「猫も杓子も…」である。教育や学校現場を批判するのであれば,それなりの実態調査をしてからにしてもらいたいものだ。


私は「自己実現の行路」について,世阿弥が『風姿花伝』で述べている「時分の花」と「真の花」の概念を援用して考えている。私の考えは,世阿弥の考えとは異なるかもしれないが…。

世阿弥はこの二つの概念について,「真の花」が本物で「時分の花」は偽物だとか,「真の花」が高級で「時分の花」は低級だとか,そんな事は一言も言っていない。ただ「時分の花」はやがて失われると言っているだけである。そして「時分の花」が失われた時,「真の花」を手に入れていない者の能は下がる,「真の花」を手に入れた者の能は下がらない。そう言っているだけである。

私は,人間が成長していく過程において,その時々の「時分の花」を咲かす。成長とともに「時分の花」は枯れ,新しい「時分の花」が咲く。その繰り返しの中で,やがて枯れることのない「真の花」を咲かすことができる。そのためには,その時々の「時分の花」を精一杯の努力によって咲かさなければいけない。

「時分の花」を咲かすためには,誠実さと素直さ,謙虚さが必要である。
独善的な傲慢さや偏狭な意固地さは,歪んだ花を咲かす。他者との深い交流によって培われるのであって,他者との交わりを拒んだり他者に対する一方的な批判ばかりでは自分を客観視することも自己変革することもできない。偏向的な自己実現しかできないだろう。
また,深遠な真理や膨大な知識が溢れている偉人たちの著書であっても,独断的な解釈からは真の理解は生まれないだろう。

知識は人を生かすためであって,人を殺すための道具ではない。

posted by 藤田孝志 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

原点回帰

ようやく長かった1学期が終了した。

昨年・一昨年と持ち上がった学年は何かと問題の多い学年であり,彼らとの日々に追われて自分の時間を十分に持つことができなかった。だが反面,彼らとの日々によって得ることも多かった。彼らを通して,教育とは何かをあらためて考えさせてもらった。彼らとの毎日が若き日を思い出させてくれた。その悔いを課題に,喜びを自信にして,新たな学年と学期に取り組んできた。その成果は確実に生まれてきていると思うが,さらなる前進のための夏季休業中としたいと考えている。

今年は「原点回帰」と自らを位置づけて取り組んでいる。

教育について,人権教育について,部落史・部落問題の研究について,自分にとっての教育と研究をしっかりと位置づけておきたいと思う。他者に左右されるのではなく,自分にとっての為すべき道を歩みたいと考えている。


教師の1年間など同じサイクルの繰り返しで,ともすればマンネリ化してしまいやすく,惰性に流されてしまいやすい。教える内容も学校行事もほとんど変化がなく,表面的には何事もなく無難に消化すればよいだけの毎日である。
教師の力量が問われる授業力や教育力にしても,勉強しない生徒のせいにすれば事足りる現実が見え隠れする。成果が給料に反映しない公立学校の現状では,教員評価もほとんど無意味である。

教育の荒廃,その最大の原因は教師である。心底,実感する。

しかし,日々を自己研鑽に努め,教師としての教育力・授業力・指導力を向上させようと努力し続けている教師も多くいる。夜遅くまで,生徒一人一人の顔を思い浮かべながらわかりやすい授業を考案し,プリントを自作している教師もいる。部活動を通して技術だけでなく精神面を鍛え,人としての礼儀作法を教える教師もいる。放課後に教室の片隅で生徒の悩みを受け止め,人としての生き方を説く教師もいる。

だが昔に比べて,真剣さを少なく感じるのはなぜだろうか。特に若い教師,ゆとり世代といわれる教師に,何か物足りなさを感じてしまう。
その一つが,職員室や飲み会での教育談義の質的低下である。私の若い頃は,先輩教師から教育のイロハを懇々と説かれた。放課後の職員室から始まり,場所を飲み屋に移し,深夜まで授業や部活動,教育方法や教育理念まで教えてもらったものだ。教師という仕事に誇りを持ち,生徒を愛し,自らが教える知識と認識に自信を持っていた。武勇伝ともいえる生徒との関わりを懐かしく語る教師が多くいた。教え子の成長を我が子のように語る教師がいた。

教育への情熱,そんなものが今の教師からはあまり感じられない。あまりにもきれいすぎる。教育現場の表面だけを単調な日々が流れていく。一抹の寂しさがある。


今夏の間に,部落史研究では「渋染一揆」を体系的に整理し,同様に「ハンセン病問題」では時代背景をふまえた近現代史を整理しておきたいと考えている。

「渋染一揆」については,8月に福岡で講演を依頼されていることもあり,またここ数年自分なりに考えてきたことをまとめたいとも思っていたので,途上ではあるけれども一つの区切りをつけたいと考えている。
特に従来から諸説がある「要因」に関しては時代背景なども含めて提起したいと思っている。なぜ「渋染」にこだわったのか,なぜ岡山全域の穢多身分の人々が立ち上がったのか,彼らが求めたものは何であったのか,当時の彼らが置かれていた社会的位置,彼らの生活はどのようなものであったのか,等々についても考えてみたい。
そして,何よりも「渋染一揆」の経緯を時系列で再度検証してみたいと考えている。

「ハンセン病問題」に関しては,中世から近世においての賤民身分との関係に焦点を当てながら考えてみたいと思っているが,その前に明治から現代に至る絶対隔離政策への経緯を時代背景や国家の動向と関連させながら,その要因について考察してみたいと考えている。
「ハンセン病問題史」といえるものだが,藤野豊氏の研究などをもとに自分なりにまとめてみたいと思っている。その際に,藤野氏の「国家の責任」という視点は重要であり,「差別の連鎖」という部落問題などとの関連の視点も重要である。そして最も私が興味をもっているのが,国家による民衆への意識操作であり,その理論背景ともなった光田健輔たちの考えであり,それらを無作為に受け入れた民衆の意識である。

この民衆の意識が「差別の連鎖」「差別構造の基盤」「差別解消の障壁」であると私は考えている。


同和教育・人権教育に関しても多様化しすぎて,むしろ拡散化して焦点が曖昧になっているように思える。さらには形式的・表面的な取組に終始して,義務化・行事化しているきらいもある。あれもこれもが人権教育の範疇として取り上げられ,まるで流行に乗っている感もする。

今一度,同和教育の原点へと回帰して「今」を見つめ直すことが,現在の教育現場には必要なのかもしれない。

今夏は,じっくりと考えてみたい。

posted by 藤田孝志 at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

今年の抱負:総括と決断

今年は私にとって「決断」の年となるような気がしている。総括・変貌・発展に向けての決断をしなければならないと思っている。そのために,昨年末から身辺や自分自身に関する「整理」をしてきた。

PCやserver環境も整理したが,その途上で一部のデータを消してしまい,初めて復元ソフトのお世話になってしまった。廉価版のソフトだが,思っていた以上に「復元」ができ,満足している。90%近くはそのままに復元可能ということがわかったが,逆に考えれば,PCや外付けHDDなどを破棄する際は十分に対応しなければならないということだ。

昨年末からこの3連休で,数台のPCとserverのメンテナンスは終了した。
新たに外付けHDDや周辺機器も買い換えて,Windows live に対応した設定にした。特に,メール設定は長くOutlook Expressを愛用してきたが,live メールに換えることにして移行した。最初は表示の違いに戸惑ったが,後継だけあって移行も自動的に行ってくれたし,慣れるとシンプルで使いやすい。

昨年の後半から使い始めたEvernoteなどいくつかの「クラウド」も本格的に活用している。情報の一元管理と作業の連携が可能になり,効率が随分と改善された。情報やデータをまとめるのに最適なツールである。種々のソフトと組み合わせれば機能も拡張できるので,まだすべてを使いこなすまでには至っていないが,いろいろと試してみたいと考えている。

「お金で時間を買うことができる」とは,確か渡部昇一さんの言葉と思うが,一理あると思う。必要な投資と思えば,時間の少ない人間にとっての効率化は必要である。特に職場をもち,そこまでの移動時間もかかる人間には時間はとても重要である。

無駄なことや無意味なことに時間を費やすことほど,精神的なストレスを生むことはない。雑音は思考を妨げる。目的や内容の異なるいくつかの仕事や作業を平行して行う者にとって,時間管理と作業計画は重要な意味をもつ。
今年は,task管理を徹底したいと思っている。


弊HPの改造も「公開」には至っていない。
全体の構成やcontentsの再構築などは終えているが,公開の時期をあひる企画と相談している。また,その間に書いた文章やBlogの記事を編集する作業や,今後の方向性と運営について考えているところもあり,「公開」には時間が必要である。

HPの更新をやめ,改造に着手してから数年が過ぎてしまった。いろいろな事情が重なってのことだが,つい先延ばしにしてしまい,時機を失してしまった感がする。

その最大の理由は,ネット社会への失望だと思う。私もあひる企画も,また当時HPを開設していた友人・知人の多くも,ネット社会に大きな期待を抱いていたのは事実である。見知らぬ人間,遠く離れた土地,老若男女を問わず,HPやBBSを通して語り合い,学び合うことができる。新しいコミュニケーション(交流)の場,情報発信の場,社会啓発の場として活用できる世界と思っていた。

もちろん,意見や見解,立場の相違はある。主義・主張が相反することもある。だが,そうであっても,目的が同じであれば歩み寄ることは可能であると思っていたし,議論によって互いの知識や認識,理解が深まればよいとも思っていた。

しかし,顔の見えないネット社会は,匿名性の社会であり,モラルもルールも不完全な世界であり,誰もが自由に何事も発信できる「無法地帯」の側面をもっていた。
一面識もない他者に対して誹謗中傷・揶揄・愚弄の言説が平然と発信され,真実も事実も確認できないことを逆手にとって故意に捏造した情報を垂れ流す。
そんな悪意ある人間がこの世に存在しているのだと思い知らされた。だから,差別や人権侵害が解消されないのだとも痛感させられ,人間が人間を差別するのだと強く思った。

と同時に,人権問題に関するネット上での動向に活発化と拡がりが見られないことへの苛立ちもあった。その背景には,法が切れ,同和教育から人権教育への移行があり,それらが深化・発展の方向ではなく拡散化・弱体化・曖昧化に進んだことがある。
この10年間の動静は,必ずしも良き方向にばかり進んできたとは言えない。

これら様々な外的・内的な諸事情が,個別に人権問題に関わるsiteを運営していた友人や知人にも大きく影響し,意欲をなくしていったのも事実だろう。

私も同じであった。


今年の年賀状の中に,長く会っていない島根県の友人からのものがあった。
彼とのつながりは,全同教が主催する研究会に私を講師に彼が招いてくれたことに始まる。そのときから年に幾度となく島根の各地に講演に呼んでもらった。彼を通して多くの方と知り合うことができた。

もう何年も会っていない彼の年賀状には,次のような言葉が添え書きされていた。

「先日,藤田さんの資料を参考に渋染一揆の学習会をしました」

この言葉を読み返しながら,彼との日々を思い出し,人とのつながりと思いの深さを噛み締めることができた。

どれほど時が過ぎようとも,私の拙い資料や教材を活用してくれる人がいる。
彼と同様に,たとえ見知らぬ人であっても,弊Site(HPやBlog)を訪問して,使える資料などがあれば利用してくれる。参考にしてくれる。私の見解を考えてみてくれる。
これだけで十分ではないかと思った。

部落差別だけでなくハンセン病などの人権問題や差別問題に関して,正しい知識と認識をもつことも大切だが,何よりも差別解消・人権擁護の活動に主体的に関わっていくための素地と意識を育成することが人権教育であると考えている。

そのための知識であって,知識だけで差別が解消するとは思っていない。知識があっても正しい言動ができなかったり,他者の人権を侵害したり,他者を揶揄・愚弄したりしては,本末転倒である。

私は,教師という自らの立場から,原点に立ち戻り,部落史や人権問題に関わっていこうと決意する。その手段の一つとして,弊Siteを運営していきたいと思う。

posted by 藤田孝志 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

私のスタンス

人にはそれぞれの思いや考えがあり,それに基づいたSiteのスタンスがあって然るべきと考えている。公的なsiteではなく個人のsiteである以上,内容も運営も個人の自由である。


その人がそのように考え,判断し,自らの意図を最も的確に表明するために,その語句や表現方法を選び,記事として書いているのだと思っている。
その人の意見に賛同するかどうか,その人と関係性を構築していくかどうか,それもまた各人の判断である。

その人がその人なりに研究し考察した上で構築した自説を展開しているのであって,その考えや主張,研究成果等に対して賛同するか否かについても各人の判断である。
批判や論争の前提条件は相互の認容であり,互いの研究や考察の進展を目的とするものであると考えている。

無責任な記述は厳に慎み,事実に反する内容や不確な内容を推測や憶測,独断と偏見で書くべきではないと,私は思っている。

これが私のスタンスである。


私が人権問題,その中核として部落問題に関わる理由は,一人の人間として,また教師として,現実社会をよりよい社会へと変革したいと願っているからである。人権尊重の対極にある差別問題の解決をはかることで共生社会の実現を目指していくことが私のスタンスである。
被差別の立場であろうがなかろうが,私はこだわってはいない。人間としての立場で考え,実践していきたい。ただし,差別の相関関係を考えていく視点として被差別の立場を大切にしている。

部落史に関する研究も差別の歴史的背景を明らかにすることが,今ある差別の解明と解決に必要であると考えるからだ。

部落史研究も進展し,新しい研究成果や史資料の発表もあり,それらを生かした学習指導を考えていかなければいけないと思っている。江戸時代の被差別民についても,従来の身分制度のような画一的なとらえ方はできないと思っている。多様な姿を描く必要があるし,差別についても実態に即応した認識が考察されるべきである。現時点での研究成果を整理した部落史学習の体系化を考えたい。


弊siteを訪問される方へ

時の流れの中にあって,私は自分のスタンスを見失いたくはない。誰のためでもなく自分のために,自らの信念を堅持していきたいと考えています。

弊Blogに対する質問や意見などありましたら,メールをいただければ対応させていただきます。

posted by 藤田孝志 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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