2011年11月21日

「増長」と「ねたみ意識」

解放令反対一揆を考察するキーワードはいくつかある。その一つが「増長」である。

上杉聰氏の新装版『部落を襲った一揆』の中でも,部落を襲撃する理由として繰り返し農民の口を衝いて出る言葉が「増長」である。

この「増長」について考えてみたい。


「増長」を辞書で引くと
 @次第にはなはだしくなること。だんだんひどくなること。
 A次第に高慢になること。つけあがること。
と説明がある。つまり,生意気・傲慢・高慢・横柄な態度や言動を指す言葉である。

「増長」は,以前と比較しての表現である。
では,被差別部落の何が,どのように,以前と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。

「増長」は,他と比較しての表現でもある。
では,被差別部落の何を,どのように,誰と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。

「増長」は,受け取る人間(の側・立場)の感覚や意識に左右される。つまり,自分自身との比較によっても生まれる感情である。被差別部落を自分と「比較する対象」と意識しなければ,それほどには生まれない感情である。

それは,被差別部落の立場や状況(身分,生活環境,経済状態など)に大きく左右される。被差別部落が自分と比べて,身分などの社会的地位や立場が全く相違(社会外)しているか,低位にあるか,生活環境が劣悪か,経済的に困窮しているか等々の場合,自尊心が傷つけられることはなく,むしろ優越感のゆえに余裕さえもって彼らを見下すだろう。
また,彼らが自分たちとはまったく「異なる社会集団」である場合,彼らが経済的に富裕であろうとも,比較する対象とはならないため意識する必要を感じない。

しかし,被差別部落が「同一社会」「同一身分」という同じ社会に位置づけられて「対等の存在」となったとき,比較の対象となる。そして,生活環境や経済状況が比較されるとき,劣等感や被害者意識を強烈に自覚させられることになる。

劣等感は,その格差に比例して嫌悪と憎悪を増幅させる。惨めさは,相手への「妬み」となり,攻撃性を正当化する。「増長」と受けとめる感覚の背景に,自らの惨めさと相手を妬む心が隠されている。惨めであると思い知らされるほどに,妬ましく思える。

このことは,部落問題の本質的要因というだけではなく,人間の生き方・在り方の問題として,現在もある。


『自分以下を求める心』という素晴らしい道徳の教材がある。

あれは、小学校二年生のことです。私たちのクラスに、よくいじめられる女の子がいました。私も、他の人たちと一緒に、いじめては笑っていました。その頃の私の気持ちは、「自分以下の存在が欲しかった」のだと、今になって気づきます。あの時あの子が、もし自分だったらと思うと、今までいじめた人に対して,あやまらなくてはなりません。

自分をみがく努力もしないで,ただ自分以下が欲しいだけでいじめるのは,やっぱり差別ですね。いろいろな差別について,たくさんのことを勉強してきた私ですが,実際の生活ではそれをまるで生かしていませんでした。なんか今,考えてみると,「なぜあの時,あんなことをしたんだろう」と思ってしまいます。

思っているだけ,悪いと知っているだけでは,すぐポロッと言ってしまって相手を傷つけたり,がっかりさせたりしてしまいます。

どうして私はこうなんだろう。やっぱり,自分以下が欲しいという気持ちが心の底にあって,それが作用しているのでしょうか。

私は,自分以下がいらない人間になりたいです。そのために自分の生活にまじめにぶつからなくてはなりません。こう考えてくると,ひとのことを,とやかくいわない生き方は大切なことなんですね。立派な人の証明なんですね。身のまわりを見ても,努力しない人ほど,他人を傷つけたり,とやかく言ったりしています。まるで魅力のない生き方ですね。その中に私もいるかと思うと,恥ずかしくなります。

自分以下などいらない生き方をつかむことが差別やいじめをなくすことだと,だんだんわかってきました。

学校でやっている「自分新聞」や「生活の記録」,これなども,何枚も何冊も挑戦している人は,他人のことなどイヤミをいっている暇はないですからね。

私たちは,得意もあれば不得意もあります。すべてをかっこよくやることはできません。だのに,人の小さな欠点を探し出して,いじめたり,自分をすぐれていると思い違いしたりするのは,恥ずかしいことですね。ねっ先生,とっても恥ずかしいことですね。

私は今まで,人間として恥ずかしい生き方をしてきたのです。何べんも,何べんも,まちがったことをしました。

だから,他の人が私をいじめた時,そのまちがいがはっきりわからなかったのです。

生徒の作文をそのまま教材にしたものだが,この教材と出会って以来,私は人権学習・部落問題学習の教材として様々にアレンジしながら授業を行ってきた。
その当時の指導案に「主題設定の理由」として書いた拙文を載せておく。

【人間は,人のこと,遠くのことに対しては美しくいられる。美しい言葉を語ることもできる。でも,近くのこと,自分自身の問題になると,あれほど美しい言葉を語った人が見事に差別者になっていく】

1 本資料に描かれた思いは,誰の心の中にも潜んでいる。辛いとき,人はもっと辛い思いをしている人をさがす。苦しいとき,人はもっと苦しみのどん底にいる人を思い,自分を慰めていく。自分は,その人たちより,まだましなんだと思う。そして,自分を守るために,自分を慰めるために,その人たちをより見下げ,虐げ,差別していく。

2 この思いは,本校の生徒たちの日常にも如実に現れている。テストがもどってきたときその点数が悪くても,自分より点数の悪い生徒を見つけ,ほっとする。また,生徒がよく口にする言葉に「ぼくだけではない」「私よりあの人の方が…」がある。

さらには,級友の失言やまちがいに対しても,嘲笑的な冗談が発せられることがある。また,一方で生徒の多くは,道徳や学級活動の中で,「差別はいけません」「友人や仲間を大切にしよう」と語っていく。
このことは,差別や偏見に対して道徳的・道義的には「いけない」という認識を持ちながらも,その認識があくまでも常識的・知識的な理解でしかなく,自分自身の問題や課題であるという意識にまで高まっておらず,他人ごと,あるいは建前という捉え方でしかないことを露呈している。換言すれば,生徒の日常生活においての行動が他者志向的であり,価値観においても相対的にしか育っていない現実を示している。
この格差こそが,「いじめ」に代表される様々な問題の背景であり,生徒の人間関係の希薄さや歪みを生み出していると考える。

3 人間は,生きていく中で,自分より劣った存在を見つけては安心していく。人間は差別することがよくないと知っていても,その心の中には「自分以下を求める心」を持って生きている。自分以下を求めないと生きられない,そんな愚かさに気がつかずに生活している。
そこには,苦しいことや,嫌なこと,辛いこと,悲しいことから逃れたいという思いがある。しかし,嫌なことや辛いことを,人と比べて慰め,諦める生き方では,人間は自らの差別意識に気がつかないばかりか,知らず知らずに差別者となっていく。

本資料は,人を差別するということは,自分自身を差別していることになることを教えている。

4 この資料を学習する中で,生徒一人一人に,自らの日常生活を点検することを通して,「自分以下を求める心」が自分の他の人に対する見方や自分の生き方の中にないか,自分の心を見つめさせたい。
「自分以下を求める心」とはどんな心か,そしてその心が差別とどう関わっているのかを考え,さらにその心に気づかないことが差別を残してきたことにつながっていることを考えさせたい。

また,「自分以下がいらない生き方」を考えさせることで,人間として素晴らしい生き方とは,自分たちの心にある「自分以下を求める心」(差別意識)と闘い続け,今の自分以上をめざし,自分の力でまちがいを正しながら生きていくこと,自分を大切にするように仲間を大切にすることであると気づかせたい。         

以上の理由から,本主題を設定した。

誰の心の中にもある一方の人間心理について鋭く気づかせてくれる。自分には劣等感などない,自分には卑下することなど何もない,と否定しても心の奥底には「自分以下を求める心」は隠れている。

「学歴」「職歴」「収入」「社会的地位」「容姿」など,他者との比較の中に「自分以下を求める心」は存在する。いかなる理由をこじつけようとも,それらは惨めな劣等感を隠蔽するための方便でしかない。

「自分以下を求める心」が「ねたみ意識」と結びつき,その反動で「自分はこんなにもできるのだ」と人からの評価をより強く求め,自己満足を得るために執拗に他者を攻撃する。

この歪んだ心理は,解放令反対一揆において部落を「増長」しているからと,執念深く「詫び状」を要求し,それを拒んだ部落民を残虐に殺した農民と同じである。

「増長」と思う心は「自分以下を求める心」であり,自らを「被害者」と思う心は「ねたみ意識」であり,異常な攻撃性を正当化するための欺瞞である。


部落差別の解消には,社会的・制度的な変革も必要である。知識・認識の誤謬を改めることも必要である。だが,それ以上に必要な改革は,人間の自己変革である。

自らの意識の中にある「自分以下を求める心」や「ねたみ意識」「攻撃性」などを変革することである。

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2011年01月29日

「部落民」とは

約13年ほど前に出された『「部落民」とは何か』(藤田敬一編)をあらためて読み返している。それは,私の中から今再び,この問いが浮上してきたからである。
言葉として自明のこととして使ってきた「部落民」に対する定義も含めて,歴史的背景がある程度は理解できるようになった今,逆にこの問いが重くなってきた。

本書は「第14回部落問題全国交流会」でのシンポジウムの記録である。

最初に事務局を代表して藤田敬一さんが問題提起をされている。

「部落・部落民・部落差別」というと,…部落問題をめぐる状況を考えると,どうしてもこの三つの問題に行き着かざるをえないのです。それは第一に「部落とは何か」,「部落民とは何か」,「部落差別とは何か。その実情はどうなっているか。どうすれば部落解放が達成できるか」,「そもそも部落解放とは何か」といった基本的な問題がほとんど問われないままに今日まで来ているという事情にかかわります。なぜ問われないかということも,実は重要なテーマの一つになりえます。こうした問いについて自分の言葉で考える必要を感じない人や,問わなくても済む人もいるというのが現状ではないでしょうか。

藤田さんの指摘する「実情」は,現在も変わることなく,むしろこの傾向はより強くなっているように感じられる。法が切れ,同和から人権へと教育も社会啓発も移行して以後,大幅な予算の削減を背景に,組織と場の縮小と改編,研修や啓発,授業の縮小と疎隔が行われてきた。

「問わない」ということは,「問題にしない」ことではない。
不十分なままに曖昧にしているだけで,決して「解決」に至っているわけではない。

第二に,部落解放運動や同和行政,同和教育・啓発の場における対話の途切れがいまなお続いているという事情の背景に,この三つの問題が潜んでいるということです。

こうした対話の底には,「差別の痛みは被差別者以外にはわからない」「部落民でない者に何がわかるか」という主張と,それに対して反論もしくは議論しようとする姿勢の欠如があります。それが対話の途切れを生んでいるのです。

二つめに,差別する人がいるから差別があるという常識は牢固であって,差別する人がいなくなればいい,だから正統かつ正当な知識を注入することが教育・啓発の課題だとする考え方があるけれど,それで本当にいいのかどうか議論してもらいたいのです。私は,差別は関係の問題として考えていくしかないのではないかと思っています。
…差別は,差別する人がいるからではなくて,人と人との関係のなかに存在している。つまり差別とは関係なのです。

この藤田さんの考えは,以前から私が思っていたことであり,提言してきた理論である。私も,差別は関係性の問題であると考えている。

差別者と被差別者の関係性ではない。差別者が自分の差別,差別言動に気づき,反省して改めれば,差別はなくなるのだろうか。

差別−被差別の二律背反関係,対立構造については,今までも言及してきたことなのでここでは述べない。(「二律背反と画一化」

2つだけ提起しておきたい。

差別者はいつまでたっても「差別をする差別者(の立場)」なのか。差別をしなくなると,何と呼ばれることになるのだろうか?逆のことが,被差別者にも言えるだろう。いつまでも「差別を受ける被差別者(の立場)」なのだろうか?

差別者の定義とは何か?差別言動を行う者が差別者なのか?差別意識をもっている者が差別者なのか?

差別−被差別の関係性ばかりにとらわれてしまうと,差別問題の本質はわからないだろう。
また,「正統かつ正当な知識を注入すること」だけで,部落差別が解消するとは思わない。

posted by 藤田孝志 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 部落問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

「対立」の歴史的背景

ここ数回の『週刊ポスト』連載の「糾弾」(高山文彦)は,部落差別の歴史的背景を概観している。それは,今回の主題である「差別ハガキ事件」の背景に潜む「部落問題」を構造的に明らかにするためであると思う。

「部落問題」の構造は,部落と部落外の人々による「対立」であるが,この「対立」構造は,決して単純ではない。部落問題を学ぶほどに,その構造の複雑さに驚く。なぜなら,「身分差別」の社会的対立構造を歴史的背景にもちながら,その影響を強く受けた人間の心理的・意識的な対立構造が歴史的にさまざまな社会事象と複雑に絡み合いながら積み重なってきているからである。「解放令」以後の近代において,それ以前の「身分差別」が政治的・制度的に廃止されたことで差別を正当化する根拠が失われたにもかかわらず,民衆の意識は旧態依然のままであり,部落民の「解放令」を実体化しようとする動きは,彼らにとって驚きとともに異様な光景に見え,さまざまな軋轢を生じたのが「部落問題」の始まりであった。


第12回では松本治一郎を取り上げて,彼の「筑前叫革団」の歴史背景を描き,黒田藩政時代の「千代の松原事件」や「解放令」の問題点,さらに「福岡連隊爆破陰謀事件」にまで言及している。

第13回では再度「解放令」を取り上げて,兵庫県播但地方や岡山県美作地方で起こった「解放令反対一揆」に言及し,民衆と部落民との認識と意識のちがいから「対立構造」の根源を明らかにしようとしている。その考察は些か性急さと簡略さを感じないわけではないが,関連資料や書籍はよく読んで調べている。

…部落差別というのは近代になって生じた問題であり,「解放令」の発布によって生まれたものと考えられる。それ以前は厳然として身分制度があったわけだから,差別はあってもそれを問題にすることなどできようはずもなかった。同じ身分になったがために差別意識が露骨にあらわれ,賤民身分であった者が傲岸不遜な態度で暴れまわるものだから,よけいに胡散臭がられ忌み嫌われるようになった。同じ身分の者が同じ身分の者を差別するという奇妙なよじれに遭遇した部落民は,町の「平民」から拒否されると「同じ平民じゃないか。なぜ拒否するのだ」と怒りをつのらせて,暴れる。これが部落差別が「問題」化した最初の姿であろう。

この考察には単純化・短絡さがあると思うが,近代の部落差別を生み出した感情的背景としては正しいだろう。ただ,この一文の前に「解放令反対一揆」の惨状と要因について述べてはいるが,部落民がなぜ「怒りをつのらせて,暴れ」たかについて,その原因となった江戸時代の賤民制度や部落民の身分解放への希求と民衆からの差別実態に関する分析と考察が不足していると思う。

第14回では,「水平社」を取り上げて,「糾弾」の意義について言及している。奈良県で水平社が行った「糾弾」を例に,「糾弾」に込められた部落差別解消の願いを明らかにしている。

私は,この3回の連載を読んで,高山氏の意図が朧気ながら見えてきたような気がする。それは彼が象徴的に用いている「囚われの心」「優生幻想」「内なる他人」そして何より第14回で繰り返した「虚ろな人びと」に示されている。高山氏は,「糾弾」をキーワードに,部落外の人々と部落民との「対立構造」によって生み出された「部落差別」,その「対立」とは何かを明らかにしようとしているのではないかと思う。


私はかつて「糾弾と指弾」という一文を書いたことがある。再掲する。

…糾弾はその根底において,水平社宣言にみられる人間へのかぎりない信頼に支えられています。部落差別という非人間性にむしばまれた者に対する糾弾という行為は,その人に対して人間性の変革を求めるとともに,糾弾の場にいあわせる被差別部落大衆もふくめた関係者の差別への認識をさらに深め,相互の連帯をさらに強めていくことが目的です。安易に「敵」を仕立てあげ,むこうへまわしてしまうことではありません。
…本来,「仲間」であるべき者が,差別の側にまわったとき,「その非を悟り,差別を容認し,増幅させるものと闘ってほしい。「仲間」に帰ってほしい。差別の側にまわることは,部落出身でない者にとっても,けっして利益になることではないことをわかってほしい。」これが糾弾の本質でしょう。
…本当は「敵」でないものを「敵」として位置づけ,「仲間」にしていく努力を放棄して解放を叫ぶことは容易ですが,無責任でもあります。

(林 力)

「反差別の立場」とは「差別者」を非難することでも排斥することでもないと思う。まして,一方的な主観や一時的な感情から事象を「差別」と決めつけたり,「差別者」を指弾したり排除したりすることではない。また「差別者」を非難することで,自分が「反差別の立場」に立っていると自己確認することでも,自負心をもって自己正当化することでもない。まして「差別者」を指弾することで,周囲に自分が「差別をなくす立場」にいることをアピールすることでもない。なぜなら,いかなる人間であっても人間存在を否定したり,排斥・排除することは,まさしくそれが「差別」であるからだ。このことは被差別の歴史を学べばわかる。

「差別者」と「差別」はちがう。「差別を受けた者」が他の場面では「差別者」となることもあり,その逆もある。ということからも重要なことは,「差別者」の人間存在を指弾することではなく,「差別者」の心理的背景・認識の中にある「差別意識」を考察し分析し,「差別」という愚かな行為を的確に指摘し糾弾することだと思う。「差別者」の言動に関してその責任追及や批判をすることだけでは「差別」はなくなりはしない。まして「差別者」を「敵」としか思えず,批判に終始し,排除さえする者に「差別」をなくすことなどできるはずもない。

いかなる経験や根拠であろうと,直感であろと,仮に意図して差別をしている者であろうとも,切り捨てることは「差別をなくそうとする立場」にある者がすべき行為ではない。

「被差別の現実に学ぶ」ということは,「差別の現実にも学ぶ」ことであると考えている。「差別事象」を「差別」であると否定し排斥する前に,「その差別事象」の背景や根底にある要因,経緯などから学ぶべきことは多い。差別発言・差別落書きにおいて同様の内容であったとしても,その差別行為をおこなった者が異なる以上,彼の差別へと駆り立てた背景や要因も異なるのは当然である。この背景を客観的に分析し考察することで「差別解消」の展望や方法などが明らかになると考える。それゆえに,感情的な対応は差別者から自己分析の機会を奪い,差別事象を巧妙化・陰湿化させていくだけである。差別意識は彼の心に肯定的に残され続けていくことになる。

賤称語を見聞きしたり,差別事象や差別発言を知ったりしただけで,差別だと指弾する愚かさは,差別する者に差別を狡猾に隠蔽化することの必要を教えるだけでしかない。差別者を非難するのではなく,いかに差別が愚かな行為であり,社会全体を不幸にし,その人自身をも傷つけ不幸にすることであるかを説いていくことが糾弾である。このことは結婚差別を例にするまでもなく,自明のことである。「差別」を許さないことと,「差別する人間」を許さないこととはちがう。

賤称語の使用に関しては目的と意図によって大きく違ってくる。明らかに差別することを目的として悪意をもって使用する場合と,差別事象を的確に説明することに使用する場合とでは異なって当然である。「エタ」という賤称語にのみとらわれて文意を曲解したり,その言葉のみの差別性に固執して本来の意味や目的を取り違ってしまうことは,単なる「言葉狩り」と同じである。また,賤称語や差別発言に対して感情的になって,あるいは被差別部落出身だから,被差別体験をしたからという理由で,目的と意図までをも否定することは差別解消の逆行でしかない。感情で差別はなくなりはしない。差別に対する怒りの感情だけで解消できるほど,差別は浅くはない。社会や人間の存在に深く根付いている差別を解消するためには,冷厳な洞察力と緻密な論理力が必要である。そのためには,被差別の歴史を学び,差別事象の背景を多角的に分析し考察することが必要である。備作平民会を主導した三好伊平次にしても,水平社を創立した西光万吉にしても,しっかりと学習し研究しているではないか。そのためには賤称語であろうと差別事象であろうと,たとえ辛くても,消し去るのではなく真っ正面から生きた教材として取り組んでいく必要がある。


部落問題を正面から取り上げてのルポルタージュ,今後どれほど連載が続くのかわからないが,一般の週刊誌では久しくなかったことだ。内容に関しては不十分さも否めないだろうが,法が切れて部落問題がクローズアップされることも少なくなった現在,賛否両論も含めて話題となることを期待したい。

posted by 藤田孝志 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 部落問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

部落との出会い

部落解放・人権教育研究所のHPに,部落問題に関する基本的な認識について様々な角度から分析・紹介する「部落問題入門」のcontentsがあり,その中に「部落との出会い」というページがある。

福田雅子氏や小森哲郎氏,上田正昭氏,坂口恵美子氏などが自らが部落問題と関わるようになった「部落との出会い」について率直に語っている。

その中でも,特に寺木伸明氏の「大学闘争のさなかで」と題する「思い出」の中で語られる父親への思いは,私自身の思いと重なり深い共感を覚えた。

…高校に入学してすぐ、身上調査書を提出させられた。当時は、親の職業欄があった。そこへどう書いたらよいか、父に相談してみた。自分の仕事にあまり誇りをもてなかった父は、「大工と書くのもなんやから、建築士とでも書いといたらどうや」と言った。私も、当時、大工という親の仕事にひけめを感じるというゆがんだ職業観をもっていたので、父の言うとおりにしたことを憶えている。

(上記HPより)

私は,この寺木氏の心情が痛いほどによくわかる。

私も,市役所の衛生課(ゴミ収集)に勤務していた父親の職業名や仕事内容を長く語ることができず,「公務員」あるいは「市役所職員」としか答えることができなかった。家族のために,私のために,ゴミにまみれ汚れながらもひたすらに働く姿に感謝しながらも世間体を気にして語れなかった。

「部落問題を学ぶ」というところから出発して、最近になってようやく「部落問題に学ぶ」という視点の大切さがわかるようになった。大学時代、「僕の父は、神大工や」(実は祖父が神大工に弟子入りしたにすぎないのに)とか、「大工の棟梁や」(祖父が棟梁とよばれていたにすぎないのに)と、父の職業について粉飾した言い方をしたこともあった。部落問題に学ぶ過程で、「父の仕事は大工です」と、胸をはって言えるようになった。また、貧乏が恥ずかしいのではなく、病気や「障害」や出身などの事由によって差別・疎外し、貧乏に追い込むような社会が恥ずかしいのだ、と考えることができるようになった。これは、私の得たことの、ほんの一端である。

(上記HPより)

私もまた同和教育と出会い,部落問題に関わることで,自らの差別意識に気づいた一人であり,寺木氏と同じく父親の仕事を誇りをもって語ることができるようになった。父親の人生を振り返り,父親の姿を追想する中で,父親の深い愛情に涙がこぼれた。そして,先入観や偏見,差別的な価値観や人間観,職業観がもたらす歪んだ思考や認識から自由になることができた。

このように書くと,私が父親を軽蔑していたとか,父親の低学歴や職業への反発から高学歴や教師の仕事を志向したとか安直な憶測をされてしまうが,それは実際(事実)を知らない短絡的な発想でしかない。大学に行きたいと思った理由も教師になった理由も父親の職業には一切関係はない。高校時代の恩師の影響である。まして父親との確執があったなど,意識したことさえない。子ども時から現在に至るまで父親は,私にとって尊敬できるすばらしい父親である。

私は父親の低学力やゴミ収集という仕事を理由に父親自身に対して一度として馬鹿にしたことも軽蔑したこともない。世間がきたない仕事と軽蔑する仕事に父親が就いていることに対して友人や周囲の目を気にし恥ずかしく思っていたことはあるが,父親を軽蔑したり父親の職業を差別したりしたことはなかった。寺木氏にしても父親をその職業ゆえに馬鹿にしたり見下したりしたことは決してないだろう。

父親に対する感謝と愛情と,父親の職業に対する世間の視線や社会の価値観を気にする(恥ずかしいと思う)ことはまったく別である。だが,世間の価値基準を鵜呑みにしてさまざまな職業を見ていたことは否定できない。

そのような世間の評価や社会意識,価値観がまちがっているとわかっていながらも,周囲や友人からどう思われるだろうかと気にし,父親の職業を語らず隠してきた。

この心理は部落問題とよく似ている。私は部落問題に深く関わる中で,自らの中にある世間や社会を気にする意識,偏見や先入観,差別意識に気づいていった。まちがった認識や価値観,社会観や人間観こそ変革していかなければいけない。このことに気づいたとき,自分の胸の中だけで,家族の中だけで抱いてきた父親の職業についての思いを誰に対しても臆すことなく語ることができるようになった。また,語ることで社会の価値観を変えることができるのだと思うようになり,現在に至っている。

誰もが自らの内面に差別意識をもっている。劣等感をもつ反面,優越感をもつ。人より優れた人物になろうと努力する反面,人を見下し蔑む。人の業績や人間性,価値を正当に評価する反面,人を曲解し歪曲し独断と偏見で扱き下ろす。なぜ自分の中に両極に位置する相反する感情や言動があるのか。自分の内部にあるマイナスの要素を点検すること,社会意識や世間の価値観を検証すること,それが差別意識の克服につながり,こだわりから自由になることである。長く自分にまとわりついていた呪縛から解き放たれることである。少なくとも私はそう思っている。

posted by 藤田孝志 at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 部落問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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