2012年06月01日

7年前

次の拙文は7年前に書いたもので,旧HPに掲載していた。

目的は手段を正当化する−Der Zweck heiligt die Mittel−

イラク紛争・報復テロなど,ここ最近の政治情勢を見ていると,かつて埴谷雄高が編著『内ゲバの論理−テロリズムとは−』で問いかけた<目的は手段を浄化しうるか>という命題が蘇ってくる。そして,この命題は政治のみならず,すべての運動や活動,教育の場においても問わなければならないと命題と考える。部落解放運動においても,人権教育・同和教育においても必然の命題である。

ここ数日,思うことがあって遅ればせながら『同和利権の真相』シリーズを読んでいる。また反論の『…深層』なども読み合わせている。正直,いろいろと思うことはあっても,今まであえて踏み込まなかった部分だが,立場を越えてやはり考えるべきことだと思うようになった。部落史に専念してきたことより,全解連という立場と相容れない立場に自分がいるということから,よく読みもせず,一方の論調に与していたというのが偽らざる事実だ。だが,はたしてそうなのかという疑問が常にあったことも事実だ。どちらの言い分が正しいのかということも含めて,この問題について自分なりの考え,そして今後の方向についても考えてみる必要を感じている。

というのは,最近,いくつかの差別事象に対して同和教育の実践者と自任している方々の批判を読む中で疑問を感じることがあったからだ。端的に言うなら,ある種の扇動的な感じを受けた。差別事象や差別者を「糾弾」するのではなく「指弾」することで同調者の結束を意図しているように感じられた。幾度も繰り返し表現される「仲間」とか「つながり」という言葉に「利害」や「排他性」を感じてしまう。かつての学生運動に見られた「党派性」や「セクト主義」と同じものが見える。

私はいかなる理由があろうとも「目的のために手段が正当化」されてはいけないと思っている。

人に違いがあるように,闘い方にも違いがある。しかし,私は「活動家」ではない。私は「教師」だ。「利害」や「戦略」とはもっとも遠い場所に立つべき「教師」である。「差別」に反対する「活動家」は「差別」がなくなると困る。「差別」がある方が自分の活動の場が広がる。「差別事象」が起これば起こるほどに,自分が必要とされるわけだからだ。「差別事象」を媒介にして自分を売り込んでいる「活動家」の姿がそこに見えてくる。この自己欺瞞を自らに問いながらも越えていこうとする者は少ない。同和教育が繰り返し提唱してきた「つながる」「仲間を大切にする」「被差別の立場」「被差別の現実に学ぶ」というフレーズのもとで,どれほど人を大切にしてきているだろうかを改めて自らに問い直す者は少ない。

一昨年の全国人権・同和教育大会のある分科会,発表者である教師にある青年が会場から辛辣な批判を繰り返した。その大義名分は「部落の子」「ムラの子」のために,の繰り返しであった。それを聞いていた私の友人は,「しんどい思いで生きているのは部落の子だけか」ってつぶやいた。「部落のため」「ムラの子のため」がすべてではないだろう。一方に立つことは他方を否定することにつながる。教師は「弱い子(立場)」「被差別」「しんどい子」という表現に弱い。でも,冷静になって考えみるとき,はたしてそうだろうか。私はそうは思わない。そうであってはいけないと思う。「闘う」のではなく「なくす」ための教育が必要だと思う。「指弾」ではなく「糾弾」である。水平社宣言の精神をまちがって受けとめてはいけない。なぜ最後の一文が「特殊部落民」ではなく「人間に光あれ」なのかを。

原点に還るべきと思う。同和教育は「部落の子のため」ではなく「被差別の立場のため」に始まった教育であるが,その本質は「すべての子のため」にあらゆる不合理な差別をなくしていく教育の営みであったはずだ。

いつしか「目的」が「手段」を正当化してしまっている。「目的」のためには,いかなる「手段」であろうとも正当化され,許されている。今年,私は自己欺瞞と決別したい。大義名分も甘言も排して,孤立無援の中になっても真実を凝視して生きたい。

今年,第64回全国人権・同和教育研究大会が岡山で開催される。実は,7年前を最後に,以後は一度も参加していない。参加する意味を感じなくなったのが正直な理由である。違和感と言ってもいいだろう。

地元開催ではあるが,多分行くことはないだろうが,発表レジュメを見てから決めようかと思っている。


次の拙文も,以前に掲載していたものだ。あらためて「初心」の大切さを思う。

権威と権力

教師の立場,教師の都合,学校の校則や秩序というものをふりかざし,どれだけ子どもの真実を黙殺し,人間としての願いをふんづけてきたことか。そのときわたしは子どもや親にとって,権威者,権力者としての存在であった。でも「よか先生」と思いこみ「民主的教師」と胸を張っていたのだ。子どもたちは,教師を選択する立場にはない。人間同志だから,子どもにとって不幸な出合いもある。教師との出合いは宿命的ですらある。だから,教師はせめて子どもの前に立つとき権力者であってはならない。子どもの前の権力者であったとき,例え彼が労働者であることを誇りにしていようと,すぐれた組合活動者として反権力の闘いを展開していようとも,つまり,彼の主観的意図や客観的立場を超えたところで,彼は子どもや親にとって差別者以外の何でもなくなってしまう。それは恐ろしいことなのだ。いま,漸く,それが分る。          

(林 力『差別認識への序章』)

「立場が人を変える」と自分の変わり身を正当化した教頭がいる。だが,それは自分自身への言い訳にすぎない。「立場」によってではなく,自分が「立場での言動」を選択したのだ。いかなる「立場」であろうとも,決して自分の本質を変えることなく職務を遂行していく者もいる。「立場」に付随する「権威」を自分が生み出したと勘違いし,「権力」を行使する者はその愚かさに気がつきさえしない。

管理主義教育の弊害は,生徒を管理する以上に教師を管理することだ。その根本的な要因は,管理職が「権威者」と自らを錯誤することから生まれる。それらは日常の職場で「指示・伝達」という命令と,「報告」という義務の形で「目に見えぬ抑圧」となって,管理職自身を高慢にし,教職員を束縛していく。「生徒のため」という大義名分を題目のように利用しながら,彼らの視線には「生徒」ではなく,クレームを言うかもしれない「保護者」しか向いてない。教育委員会の忠実な代理人となり,自らの保身のみを考える。このような教育こそが管理主義教育である。

「最近の教員には情がないね」と,同僚の先輩女性教師が漏らした言葉が心に突き刺さっている。確かに,若き日に出会った先輩には「情」があった。生徒に注ぎ続ける深い愛情と親身になって関わる姿勢に多くを学んだ。体裁ばかりを取り繕う教師,規則や規律を押しつける教師,ただ無難に職務を遂行するだけの教師が増えている。教師から「情」を奪い,「事勿れ」を優先させているのも管理主義教育と思う。

「権威」は「立場」によって得られるものではなく,周囲が認めることで付与されるものだ。「立場」によって与えられるものは「権威」ではなく「権力」である。「権力」の行使に満足感を得る人間が歴史を歪めてきた事実を忘れてはならない。

同様に,いかなる管理主義者がいようとも,無批判に追随してはならない。林氏の至言にあるとおり,教師は権力者であってはならない。このことだけは自戒し続けなければならない。


先日,あるサイトの「掲示板」に次のような書き込みをした。

ある講演録を読んでいて,なるほどと思うことがあった。○×の世界観っていうんだけど,二極化して物事の価値を判断する傾向が現代人には強いそうだ。これも教育の弊害,共通1次世代,TVクイズ世代に多い。つまり「できる・できない」「強い・弱い」「やれる・やれない」という価値判断によって物事を見ている。このような価値観だと,できない子は×,強くない子は×となってしまう。これに「正義」とか「正当」とかいう理屈がくっつくと,「差別」にしても二極論になってしまう。はたしてそうだろうか?人間ってそれほど単純ではないような気がする。「差別をする・しない」「差別を許す・許さない」ってね。
現実社会において,そんなに強い人間ばかりではない。強くなくても,できなくても,一生懸命に生きようとする子もいる。いっぱいいる。差別を許せないけど,そこまで強く言動できない子もいる。ハンセン病訴訟のとき,私は原告にはならないけど,あんたらの言いたいことはわかるし応援をしている。がんばってな!と言ってくれた同じ入園者が支えになったって言ってた原告の方がいる。できなかったら,できる人がすればいい。できない者をできる者が批判するのは簡単だし,まして排除するのはたやすい。

がんばれ,がんばれの言葉が重荷になることもある。心配しているという言葉が負担になることもある。頻繁な励ましが苦痛になることもある。かつて不登校の生徒が担任の家庭訪問や電話が一番苦痛だったって言ったことがある。人間関係は一方通行であったらいけない。相手のことを思いやる場合,自己中心的になってはいけない。そっと見守ることが適切なこともある。

以前にはこのようなことは思わなかっただろう。「差別者」は決して許さず,また「傍観者」も許さなかった。「差別と闘う子」を育てることが同和教育と思ってもいた。確かに,これは一面の「真理」ではある。しかし,「差別と闘う」立場だからといって,自分の判断で一方的に「差別」と決めつけて,その言動だけでなくその人間を否定することに疑問も感じてきた。「差別と闘う」言動ができない者は「差別者」なのだろうか。「傍観者」は「差別者」なのだろうか。「差別」を受けたことがないから「痛み」がわからず,そのような甘いことを言うのだ,という批判もあるだろう。

しかし,「差別者」と「差別」はちがう。「差別を受けた者」が他の場面では「差別者」となることもある。その逆もある。このことからも重要なことは,「差別者」を糾弾することではなく,「差別」をなくしていくことだと思う。「差別者」の責任追及や批判をすることが「差別」をなくすことになっているように思える。さらに「差別者」を批判することによって,自分が「差別」をなくす立場に立っていると思い,しかも「差別者」ではないことが証明されたとでも思っている。「差別者」を「敵」としか思えずに批判し,排除さえする者が,自分を問わずに「差別」をなくすことなどできるはずもない。

「権威」ある者と思いこむことの恐ろしさは,「差別者」と決めつけて指弾する者と同じだ。人間が幸せに暮らすことができる社会を実現するために「人権」がある。「人権」が認められる社会を実現するために「差別」をなくさなければならない。すべての人間が住みよい社会であって一部の人間であってはならない。

まずは自らを問うことだとあらためて考えさせられた。


前任校での約10年間,前半と後半それぞれに違う意味で「試練」であり「成長の糧」の時期であったと思う。人との出会いによって人間は成長できるのだと振り返って思う。

posted by 藤田孝志 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

「自分の言葉が軽い」−教師の立場と姿勢 

転勤の荷物の中から偶然にこぼれ落ちた薄い冊子を何気なく読み始め,いつしか引き込まれて時を忘れた。

差別のために文字の読み書きが出来ない環境におかれなければならなかった親。この親のもとに生まれた子どもたちを,教育が再び置き去りにしていることに気づかず,これを当たり前とする教育習慣を,人権の視点から見直さなければなりません。そのためには,教師自らが,差別にとらわれず,自立することが何よりも先決問題です。自立することを差別からの解放というんです。

教師という呼び名に3つあると言った人がいます。すなわち「教師,先生,教育者」の3つです。…「教師」とは,衣食住のためにするひとのこと。「先生」とは,教科指導のうまい人のこと。「教育者」とは,子どもの心に灯りを灯せる人のことを言うそうです。

先生方,自分の心の奥に,本当に部落差別はありませんか,一度自分に尋ねてみてください。本当は自分の中に差別する気持ちがあるのに,それを別に置いといて,「差別はいけません」と教室で言っているのと違いますか。それは,もうやめましょう。まず,先生自身の価値観から問い直していきましょう。具体的な差別の現実を抜きにした同和教育の実践は,「差別のばらまき」になります。

(坂口恵美子 1996年岡山県同教大会記念講演『子育ての四季』より)

講演で紹介された生徒の作文にあった一節にはっとし,自分自身をあらためて見つさせられた。

僕らを信じて打ち明けてくれてすごく嬉しかった。NやTがぼくとこ部落やって言ったとき,僕は「そんなん気にせえへんで」って言った。そやけど,気にせえへんでって言う自分の言葉がすごく軽い感じがしたんや。自分の気持ちを一生懸命伝えてるつもりやのに軽く響くんや。僕は去年,同和教育の集中授業もええ加減な気持ちで受けてた。自分とは関係ない話やと思ってた。二人の話を聞いて,初めて部落のことが自分の友だちのこと,つまりは自分の問題なんやって気がついた。そやから,気にせえへんでって言ったけど,心のどこかで,それだけでええんかっていう気持ちがあったんやと思う。それで自分の言葉を軽いと感じたんやと思う。


【教師である自分が,教室で生徒に向かって語る言葉に,教師自身の存在の重さがありますか。】
この問いかけに,どれほどの教師が自信を持ってうなずくことができるだろう。私には自信がない。「自負」している教師など一人もいないだろう。少なくとも私が知る限りでは,そのような教師にあったことはない。もし,そんな教師がいれば,相当の「自信家」か「自分が見えてない」かのどちらかだろう。(「教師批判」を書く元教師の評論家はいるけど…)

あらためて教師としての立場・姿勢・視点を考えさせられている。なぜ部落問題に関わり,人権教育を中核とした教育実践に取り組み続けているのだろうか。「生徒のため」という言葉を教師はよく使う。しかし,何が生徒のためであるかは,その教師の主観的判断でしかない。冷静な客観性が求められて当然でありながら,実は「思い込み」でしかないことが多い。教師ほど自己流が通用する世界はない。教師ほど権威主義的な高圧的態度が通用する世界もない。

【人権意識とは感性である】と私は思う。
感性は研磨されなければ鋭さは生まれない。人権問題の解決に対する第一歩は「気づき」である。気づくためには感性が鋭くなければならない。次に「判断」である。的確な志向性をもった判断をおこなうためには「判断力」が必要である。知識や理論は感性や判断力を身につけるために必要なのであって,単なる知識や理論だけで人権教育をおこなうべきではない。

価値観や生き方が多様化している現代社会において,旧態依然の教師像や教育方法は通用しない。今までは漠然とした目的意識や曖昧な教育理念であっても通用したであろうが,今後は明確な目的意識をもち,しかも多種多様な状況下にあっても決して揺らぐことのない信念に基づいた人権教育の実践ができる教師が求められている。

端的に述べるならば,教師自身が人間として自らの生き様にどれだけの責任をもっているかが問われているのだと思う。生徒に「知識」や「対処法」を教えるのではなく,生徒が自らを見つめ考えると同じく,教師が考えなければならない。「自分にとって」を問い続ける姿勢,「自分には何ができるか」を追求する姿勢である。

立場とは,教師として人権問題の解決を自らの課題としているかどうかである。
徳島商業高校に長く勤務された岡本先生は,教師としての出発に際して,「学校の方を向いて仕事をするか,生徒の方を向いて仕事をするか」を命題として掲げた。簡単なことのように思われるが,いつしか薄れていく意識である。日々の教師生活に慣らされていく中で,自らに問いかけることが消えてしまい,惰性に流されてしまう。「生徒のため」と思い込んで語る言葉が,いつしか「軽く」なってしまう。

posted by 藤田孝志 at 18:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

風評

ここ数日,弊blogのアクセス数が急増している。検索ワードから私の友人に関する事件が要因であることがわかった。彼の事件については新聞報道で知ったが,内容や事実関係はそれ以上はわからない。


今回の件で,私が強く感じたのは「風評」の怖さである。

事件そのものに関しては,事実であるかどうか不確定な要素もあり,現時点では報道内容以上のことは判断できない。しかし,ネット上のblogなどに,彼の経歴や実績から憶測した悪意ある「風評」の記事やコメントが書き込まれている。そのほとんどすべてと言ってもいいだろうが,直接に彼を知らない人物,一面識もない人物が,報道内容から「中学校教師」「人権教育」「同和教育」をキーワードにして,彼の名前をネット検索して「ネタ」を見つけ出し,面白可笑しく中傷的な表現で書いている。

「犯罪行為」自体について批判・非難することを問題にしているのではない。被害者の人権を考えれば決して許されることではない。教師という職業や立場,生徒や学校関係者に及ぼす甚大な影響からもあってはならないことである。

私が「問題」にしているのは,短絡的な発想や飛躍した論理による誹謗中傷の記事である。そして,憂さ晴らしのようなコメントである。

たとえば,教師の「ストレス」を事件の要因に結びつけ,教師はストレスが多い職業であり,そのストレスを発散するために非常識なことや法に逸脱したことを行うのだと断定して,人間性や人格にまで踏み込んで書き,その根拠として著名な学者や教育評論家の本や説を都合のよい部分のみを援用して,自分の記事(悪意)を正当化する。
また,同和問題に批判的・否定的な人間は,同和問題に関係していることを「事件」と結びつけて「同和教育をしている教師だから…」というように,同和教育を行う教師に対して悪意をもって攻撃的に論評する。

このような「強引な三段論法」によって,特定の教師が,あるいは多くの教師がそうであるかのように書くことを私は問題にしているのである。
その人物に関して十分に知らないにもかかわらず,独断と偏見・先入観をもとに,一部の情報からの憶測や推測だけで,決めつけたりこじつけたりして,その人物の人格や人間性まで非難するのは妥当性を欠く言動であると思う。


弊blogに書いたとおり,彼は私の友人であり,人権教育について彼に教えられたことは多い。今は連絡することもできないが,これからも彼が私の友人であることは変わらない。私の大切な親友の一人である。

posted by 藤田孝志 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月22日

自己実現

人生は「自己実現の行路」である。

私は,教師の仕事は個々の生徒の「自己実現」の一端をサポートしていくことだと考えている。
様々な生徒がいる。家庭環境も生活実態も異なる。生育過程も違えば,考え方や生き方も違う。そのような生徒を画一的・統一的に教育するべきではないし,できるはずもない。

教育を国家統制の手段と思い込んでいる人間もいるが,確かにそのような側面は否定できないが,学校現場では決してそのような一面的な教育は行われてはいない。

学校現場を知らない人間が,TVや雑誌・新聞,インターネットなどの「情報」を鵜呑みにして独善的な憶測から,あれこれと批判するのはどうかと思う。一部の教師や学校を例に,すべての学校や教師がそうであるかのように普遍化するのは,偏狭な認識としか思えない。「木を見て,森を見ていない」「猫も杓子も…」である。教育や学校現場を批判するのであれば,それなりの実態調査をしてからにしてもらいたいものだ。


私は「自己実現の行路」について,世阿弥が『風姿花伝』で述べている「時分の花」と「真の花」の概念を援用して考えている。私の考えは,世阿弥の考えとは異なるかもしれないが…。

世阿弥はこの二つの概念について,「真の花」が本物で「時分の花」は偽物だとか,「真の花」が高級で「時分の花」は低級だとか,そんな事は一言も言っていない。ただ「時分の花」はやがて失われると言っているだけである。そして「時分の花」が失われた時,「真の花」を手に入れていない者の能は下がる,「真の花」を手に入れた者の能は下がらない。そう言っているだけである。

私は,人間が成長していく過程において,その時々の「時分の花」を咲かす。成長とともに「時分の花」は枯れ,新しい「時分の花」が咲く。その繰り返しの中で,やがて枯れることのない「真の花」を咲かすことができる。そのためには,その時々の「時分の花」を精一杯の努力によって咲かさなければいけない。

「時分の花」を咲かすためには,誠実さと素直さ,謙虚さが必要である。
独善的な傲慢さや偏狭な意固地さは,歪んだ花を咲かす。他者との深い交流によって培われるのであって,他者との交わりを拒んだり他者に対する一方的な批判ばかりでは自分を客観視することも自己変革することもできない。偏向的な自己実現しかできないだろう。
また,深遠な真理や膨大な知識が溢れている偉人たちの著書であっても,独断的な解釈からは真の理解は生まれないだろう。

知識は人を生かすためであって,人を殺すための道具ではない。

posted by 藤田孝志 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時分の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

出会い・別れ・再会

教師にとっての3月は,複雑な思いで過ごす特別な月である。
教え子が巣立っていく卒業の日があり,日々を過ごした職場である現任校と同僚との別れである転勤の時期がある。3月は「別れ」の時である。

教師の日々は,4月の出会いに始まる。新しい同僚,新入生との出会い,新しい1年間が始まる。そして,その日々は必ず1年間で終わる。なぜなら,必ず「別れ」が待っているからである。それは「宿命」である。


私にも,ついにその日が訪れた。転勤である。9年間という長い日々を過ごした現任校との別れである。在任教員の中で最も長く勤務している私であるから一応の覚悟はしていたが,いざ内示を受けると複雑な心境は否定できない。

「教師にとって最大の研修は,転勤である」と,以前にある方から教えられたことがある。その時は,その意味を十分には理解できなかったが,この9年間の月日の中で,そして今回の転勤に際して,少しはわかるような気がしている。


転勤に際して,今一度,教師として如何に生きるか,如何にあるべきか,自分に問い直してみたくなり,書棚から一冊の本を開いた。その中に,私が折に触れて読む「一文」が収録されている。

その一文とは,長く徳島県立徳島商業高等学校に勤務された岡本顕史郎先生の書かれた「Y子は獅子になった」である。

岡本先生が最初に赴任された高校で出会った女子高生Y子さんとの思い出を綴った一文であり,彼と部落問題との出会い,生涯を同和教育に賭したきっかけが綴られている。

幾度読み返したであろうか。その度に,私は私に立つ位置を確認することができた。

「私は勤めだした時,どちらを向いて仕事をすれば良いのでしょうか。」
「どういう事でしょうか,具体的におっしゃて下さい。」
「生徒の方を向いて仕事をすれば良いのか,それとも学校の方を向いて仕事をするべきなのでしょうか。」
「君はどう考えますか。どの様にしようと思っていますか。」
「いつも生徒の方へ顔を向けて仕事をしようと思います。」
「結構です。君の考えどおりにして下さい。教育は教師の自主性やロマンがなければ駄目だと思います。」

校長先生との面接の会話である。

教師を志す者は,誰もが共感するだろう。誰もが,岡本先生のような志で教育をしようと,生徒と向き合っていこうと思うだろう。

しかし,その志もいつしか立ち止まってしまったり,時に折れてしまったりする。生徒の方を向いているつもりが,いつのまにか学校の方を向いてしまっている。日々の生徒指導や雑務に追われ,生徒の方を向いているつもりでいながら生徒を見下ろしてしまっている。教師という「権力者」になってしまっている。高慢な人間になって,生徒をバカにし,生徒の個性や自主性を「教育」という大義名分で押さえ込んでいる。

同じ毎日の繰り返しの中で,いつの間にか惰性に流され,本来の「教育」を忘れてしまっている。自分を振り返ることもせず,自分の指導力不足や努力不足を棚に上げて,生徒のせいにして平気な教師になっている。

岡本先生のこの一文を読み返すたびに,恥ずかしさに顔を上げることのできない自分がいる。

森口健司先生に岡本先生を紹介してもらって,3人で夜遅くまで飲み語った路地裏の店でのひとときは決して忘れることのできない宝物だ。

岡本先生を慕って徳島商業高校を受検する生徒が何人もいると聞かされたが,そのとおりの先生だった。スポーツや芸術など部活動で指導力のある先生ならば,その先生に憧れて高校を選択する生徒も多くいるだろう。だが,人間として教師として,その先生を尊敬し,教えてもらいたくて,その先生のいる高校を選択する,そんな教師が何人いるだろうか。岡本先生に担任をしてもらいたいと願って高校を選ぶ生徒がいる。

教師という仕事は「教育」である。この自明のことを忘れてしまう。「教育」は生徒のためにある。決して国家のためではない。


転勤に際して少し不安になっていた私を救ってくれたのは,教え子だった。

明日,父親が手術を受ける。一昨日,入院に付き添い,病室にいたとき,担当の看護師が挨拶に訪れた。その若い看護師は,私が現任校で最初に教えた生徒だった。

別れもあれば,再会もある。偶然は必然であったのかもしれない。

彼女は,実に立派な看護師に成長していた。
私の教え子であることを聞いた医師が「君なら,さぞかし優秀な生徒だったんだろう」と言っていたのを母親が教えてくれた。

彼女が私の教え子であるだけで,入院・手術に対する恐怖と不安でいっぱいだった両親が安堵の表情に変わり,安心感で満たされていった。

教師のよろこびは教え子との再会だ。教師の得る財産は教え子である。

新たな赴任校でも,私が立つ場所は揺るぐことがなく生徒の前である。生徒の方に顔を向けて,教育をしようと心に決めた。

posted by 藤田孝志 at 16:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

二冊の本

本日,新刊されたばかりの『水平社宣言の熱と光』(朝治武・守安敏司編)が送付されてきた。

本書の「序 水平社宣言を問う意味」で守安氏が「多くの部落史や水平社運動史に関する著作でも,必ずと言っていいほど触れられてきました。しかし全水創立宣言そのものを論じた著作は,必ずしも多いとは言えません」と述べているように,「水平社宣言」に関する研究書は少ない。

私も,石瀧豊美先生の研究をベースにして拙い一文を書いているが,それは「水平社宣言」を教材化するためのテクスト分析でしかない。
自分でも不十分と感じているし,水平社に関して自分なりにまとめ,もう一度「水平社宣言」そのものを考察してみたいと思っている。

本書は,そのための指標となると思う。

私が「水平社宣言」について,その深い意味を探ろうと思ったきっかけは,西口敏夫氏の『詩集 水平社宣言賛歌』である。全同教奈良大会の時と記憶しているが,この詩集がポスターになっていて,一字一句に深く感動したのがきっかけである。その後に,西口氏の詩集も購入し,あらためて「水平社宣言」のすばらしさと,その影響の深さを感じた。

だから,今でも「水平社運動史」や「部落解放史」としてではなく「水平社宣言」そのものを味わいたい,深く考察したいという思いが強い。歴史的背景や水平社運動史に位置づけての考察も重要であるが,思想よりも一字一句に込められた西光万吉や平野小劔たちの思い,受けとめた部落民の思いを分析したい。

届いたばかりで斜め読みでしかない。時間ができたとき,ゆっくりと読み込んでみたいと思っている。


久々に紀伊國屋書店に立ち寄ってみた。時間があったのでゆっくりと店内を歩くことができ,いつもは素通りの雑誌コーナーで,『歴史REAL』の新刊(vol.6「江戸大研究」徳川幕府が続いた10の理由)が出ていたので購入した。
従来ならこのような雑誌にはあまり書かれなかった被差別民のことが「特集」(理由の1つ)として取り上げられ,詳しく記述されていた。

「社会保障システムの鍵を握っていた被差別民」(浦本誉至史)である。

江戸の被差別民は,たしかに身分による差別は受けていたものの,庶民のなかに溶け込み,江戸の治安維持・管理,皮革産業,芸能などを担う存在だった。とりわけ,貧困問題では,ひとかたならぬ貢献で江戸社会の崩壊を防いでいた。

これは,最初に書かれている本文の内容を紹介している要約であるが,従来とは異なる視点から被差別民を描いていて興味深い。

被差別民は,江戸の社会ではたしかに少数派であったし,身分差別もされていた。
しかし,一方で身分分業制によってある種の「特権」を保有し,江戸社会の一員として社会的役割を担ってきた。それは被差別民に限ったことではなく,各身分の人々がそれぞれに自らの役割を果たしてきたのである。だからこそ,江戸は,当時世界でも類を見ない巨大都市でありえたし,260年もの長きにわたり繁栄を享受したのである。その意味で,被差別民の社会を欠いては大都市江戸は成立しなかった,といっても言い過ぎではない。

このことに異論はない。そのとおりと思う。同様のことを私も主張してきた。
ただ,だからといって被差別民が百姓や町人など他身分の人々あるいは社会から差別されていなかった,賤視されなかった,賤民として扱われなかったか,という発想は短絡的である。

担っていた「社会的役割」の重要性・必要性に格差があり,また社会的評価や価値に高低があったとしても,または「特権」が与えられていたとしても,各身分がそれぞれに個別の社会的役割を担っていた「身分分業制」社会だったに過ぎない。
どれほど「社会に役立つ役割」であったとして,その役割を担った身分の者がそのことにどれほどに誇りを持って取り組んでいたとしても,民衆や社会がそのことに感謝したとしても,身分差別は歴然としてあった。

現在の警察官が民衆から感謝されていることと,江戸時代の被差別民が当時の民衆から差別されていたことは決して矛盾しない。なぜなら「時代」と「社会」がちがうからである。それを混同して判断すべきではない。

江戸時代の治安維持システム・社会保障システムを学び,被差別民の「役割」を正しく知ることは重要であるが,それと同時に彼らを差別した当時の民衆や社会がどのようなものであったかを正しく受けとめ,現在の部落問題や人権問題に生かしていくことが最も大切であると,私は考えている。

posted by 藤田孝志 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月08日

ノートU

本棚の片隅にレーニンの『哲学ノート』(岩波文庫版)がある。この本は,確か高校時代に先輩から勧められた『国家と革命』に挫折しかけたときに本屋で見つけて買ったものだ。当時は,まだマルクス主義者が多かった。学生運動の残り火がまだ燻っていた。

私を見つけるとマルクスやレーニンを語る先輩がいて,彼女から借りて読んだのが初めてのマルクス主義哲学の入門書であった。その本は,日本共産党系の出版社が出している入門的なシリーズの一冊だったと記憶している。
その本には,几帳面な彼女らしく定規を使ったサイドラインが引かれていたり,小さな文字でコメントが書かれたりしていた。彼女独自の記号,たとえば「imp」(importantの略だろう)などもあり,本はこのように読解するのだと私は初めて知った。私の読解法の原点かもしれない。(私は今でも,彼女の記号を愛用している。)


ノートや手記からは,作家や学者,研究者の思索の背景を垣間見ることができる。彼らが読んだ本や学んだ学問,影響を受けた思想,論文や著書に至る思索,それらの足跡をたどるには,彼らが書き残したノートや手記,日記が最適である。

しかし,私は彼らのプライバシーや人間性を非難することを目的にはしない。まして個人攻撃のための「ネタ」にしようとなど論外である。他者のプライバシーを嗅ぎ回るなど,悪趣味でしかない。

ノートに興味を持ち始めて以来,多くの「ノート」と名の付いた本を買い求めてきた。完成された著書以前の断片的な思索,抜き書きと感想,書きかけの断章,覚え書き,それらがアットランダムに書かれている。

丸山眞男の『自己内対話』も興味深かった。彼の『日本政治思想史研究』や『講義録』『忠誠と反逆』から少なからず影響を受けた私としては,丸山の精神がいかに形成されたかの一端を見る思いだった。

また,ノートには彼らの思考や思索の方法論が隠されている。松岡正剛の「千夜千冊」でもレーニンの本書をそのように読んだと書いている。

残り少ない人生,思索の足跡を書き残すのもいいかもしれない。

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2012年03月02日

伊集院静の文章

伊集院静氏の『続 大人の流儀』を読了した。

小気味よい展開,軽妙な筆致,含蓄のある言葉,鏤められた箴言に魅せられて,気がつけば時間も過ぎ,ページも残り少なくなって,少し勿体ないような気がして,本を伏せて外に出た。うちにも「バカ犬」がいて,私の姿を見ると時間に関係なく散歩を強請って甘えた声を出して尾を振る。
伊集院氏の言葉を反芻しながら,田圃道を犬に任せて歩く。夕暮れのひととき,少し大人について学んだ気がした。
昨日の午後のことである。

伊集院氏は「毒舌」と評されることが多い。確かに辛辣な言葉や表現もあり,謇諤な指摘や批判は誤解を招きやすいかもしれない。
しかし,私は彼の「流儀」がなんとも心地よい。「うん,そうだ」と相づちを打ち,膝をたたく。そして,限りない「男のやさしさ」を垣間見る。

伊集院静は礼節を心得た大人の男である。しかも,哀しみを知っている。半端でない哀しみを長い歳月の中で自分の言葉にしてきた。だから,人にやさしいのだ。


人は文章を書く。小説家,評論家,学者,作家,文筆家,記者,エッセイスト…様々に呼ばれても,文章を書いてお金をもらう人たちである。いわばプロである。その彼らにしても,読みたいと思う文章を書く者もいれば,二度と読みたくないと思う者もいる。まして素人である人間が「自由」に書くブログやHPの文章である。落差は大きい。
しかし,中には作家以上の名文家もいる。感動を与えてくれる一文に出合うこともある。その逆もある。

名文と駄文の差はどこにあるのだろうか。

伊集院氏の書く「文章」には,人間に対する情愛がある。思いやりの心を感じる。それは彼が両親から受けた愛情と,それに対する敬慕の思いが強いからだろう。
彼は人との出会いを大切にする。彼は人から受けた恩義を大切にする。多くの人との出会いが彼を育てたのだろう。

歪んだ心では人からの思いも歪にしか受け取ることはできないだろう。自己正当化に終始する人間は,自分に好意的な人間しか受け入れることはしない。人からの批判や忠告を素直に受け入れることができない。

「文は人を表す」というが,その人間が書く文章にはその人間が表れる。人間性が見える。それは自然に伝わるものだ。
辛辣な批判であっても,心底に相手に対するやさしさがあれば,その批判もまた心地良いと思える。素直に受け入れることもできる。
批判のための批判であったり,相手のためでなく自分の優位性を示すための批判であったりすれば,攻撃性ばかりが目につく。

「学問」であろうと「文学」「評論」であろうと文章の本質は変わらない。
「学問」としての批判であれば,何を書いても,どのように表現しても許されるというものではないだろう。大きな勘違いがそこにある。学術的に難解な用語や論理でカモフラージュしても,その目的が単なる個人攻撃であれば,文章の一言一句にその心情が表れる。

名文とは,その文章に人の心に染み込むほどのやさしさと思いやりがあり,痛烈な批判であっても素直に耳を傾ける気持ちにさせる。それは人を叩き伏せることが目的ではないからだ。

私もそのような文章を書きたいと思う。


『続 大人の流儀』の後半は,東日本大震災に関する文章が多い。そして,巻末のやや長いエッセイ「星〜被災地から見たこの国」は,震災発生時からのルポルタージュであるが,これが珠玉である。見事としか表現できない。
彼の感受性と的確なコメントに心が動かされた。今までの誰の震災レポートよりも被災者の哀しみに寄り添う文章であり,国や東電に対する的確な批判である。

実は,この一年,東日本大震災と原発事故に対して何のコメントも文章も書いてはいない。否,書くまいとしてきた。書きたくなかったし,書くべきではないと思ってきた。中途半端なコメントや,国や東電に対する遣り切れぬ憤怒など何を書いても不十分な気がしていた。その場の感情で書くようなテーマではない。そう思って一文一句書いてはいない。

…君たちは何百冊の本を読んでも学べないことをこの震災で学ぼうとしている。知識なんかよりもはるかにたしかなものは,人間が生きようとする,生き甲斐を感じる場所と時間なのだ。それが故郷というものであり,母国というものだ。人がつながり,人が継ぎ合ってきたものが歴史なのだ。

…人の哀しみはたやすくは消えないし,ぎこちなくしか笑えないかもしれないが,自分の目に入る風景は,あなたが生きている証しであり,あなたの中に生き続けるものが,きっといつかやわらかな汐の音とともに,かがやく星々とともに,安堵を与えてくれるはずだ。哀しみにはいつか終わりがやってくる。あなたが笑って立てる日を待っています。

「いつかその日はおとずれる−空に星,海に汐の音」

伊集院静のやさしさがこぼれ落ちた一文だと思う。                   

posted by 藤田孝志 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

埋没する史料

先日,県立図書館にて収集してきた資料を整理しながら,悔しさと憤りの入り交じった複雑な気持ちを抱いている。

旧全解連系の岡山部落問題研究所の研究紀要『調査と研究』には,今まで私が知ることもなかった史料や研究が多く掲載されていた。それらは研究所が所蔵している史料であり,その解釈と研究である。

私は今まで,どちらかといえば部落解放同盟系の研究書を中心に研究を進めてきた。それは部落問題に関する考えの相違からであったが,基本的にどちらに属するのでもない立場を守ってきた。
しかし,部落史研究において両組織の分裂と対立は,貴重な史料や研究を埋没させるだけであると,あらためて痛感している。

岡山の現状は散々である。岡山部落解放研究所においては貴重な史料や研究文献を保管しているセンターが係争中のため閉鎖状態であり,研究所員も少ない。以前のように気軽に訪ねて,書庫を調べることも教えを聞くこともできない。
岡山部落問題研究所については現在の状況をまったく知らないが,近年の研究紀要では部落史に関する研究成果は,ほとんど掲載されていない。
両研究所に保管されている貴重な史料類は,今後どのようになるのだろうか。日の目を見ることもなく埋没していくだけなのだろうか。


『調査と研究』に掲載されていた人見彰彦氏や大森久雄氏の史料紹介や研究を読み直してみたいと考えている。

特に,人見彰彦氏の「部落史のひとこま」はコラム的な短文ではあるが,研究所に保管されている史料を紹介しながらの解説であり,実に興味深い。

岡山藩における「穢多頭」に関する史料は,穢多の担った「御用」について詳しく,参考になる。治安維持や下級行刑に関する史料は,私が求めていたものである。
他にも「目明し」の実態,穢多との関係,キリシタン追捕,寺院と宗教など,私にとって重要な示唆に富んだ史料と研究である。

「捕亡吏」についても,穢多・非人は任命されていないと私は思っていたが,任じられていた史料(「其方共儀,改めて捕亡方頭取申し付候…」)が紹介されている。
さらに,解放令発布後に,持ち主による死牛馬の処分が命じられながら,「目明」役については従前のままとされた史料もある。

人見氏の紹介しているこれらの史料について検証し考察してみたいと考えている。特に,岡山における穢多・非人が担った下級警察などの役務,目明役に関して調べ直してみようと思っている。

できれば,原文を読んでみたいのだが…むずかしい。両研究所に保管されている史料を読解すれば,岡山の部落史も相当に解明されると思う。だからこそ,埋没していく史料が惜しいのである。

posted by 藤田孝志 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月29日

誕生日

人は自分の誕生日を忘れることはないだろうが,その意味の受けとめ方は人それぞれだろう。それは,その時の状況によって大きく変化する。うれしいとき,悲しいとき,苦しいとき,辛いとき,その時の心の有り様で「誕生日」は異なる思い出を人生に刻むことになる。

だが,変わらぬ事実は,今を生きていることであり,生を授けてくれた父母の存在である。父と母の存在が「自分」という存在をこの世に生み出した。自分に生命をあたえてくれたのだ。
誕生日は,その父母を思う日でもある。

私の両親は高齢で病弱であっても生きていてくれる。同じ屋根の下で暮らすことができている。ありがたいことと,心から感謝している。
この歳になると,友人や知人のなかで親を亡くす者も多くなってきた。葬儀に参列するたびに,両親のことを思う。

人間の死は,誰にもいつか必ず訪れる。人間の人生は死への歩みである。

高校時代,後輩の死に強い衝撃を受け,死を意識するようになった。実存哲学や心理学に傾倒するようになった契機でもある。一時期はキリスト教にも心が動いたが,私は究極において宗教を信じることができない。否,神や宗教の教義を信じることはできるかもしれないが,それを語る宗教家や信仰者を信じることができない。
たぶん,信仰により人言的な魅力を備えた宗教者を知る一方で,胡散臭い宗教家も知ったからだろう。


今朝,「中津井騒擾・美作騒擾の教訓」パネル展を見てきた。

6日間という短い期間であっても,天満屋岡山店の地下タウンという買い物客などの往来が多いフリースペースでの展示は意義深い。

しかし,朝が早かったからだろうか,通行客も少なく,立ち止まってパネルに目を遣る人も少なかった。
そんな中で,小学生の子どもを連れたお父さんが真剣な表情でパネルを凝視していた。それからベンチに腰を下ろし,男の子にパンフレットを開いて説明していた。その子には内容までは理解できないだろうが,父の語る言葉に興味を持ってうなずく姿に,それだけでもパネル展は意義深いものであったと思う。

私も,幼い頃に父から聞いた話はよく覚えている。父が職場の同僚に関係する部落問題について語ってくれたことは,今も私の指標となっている。

posted by 藤田孝志 at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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