2012年01月28日

西の丸騒動

昨日,山本博文氏の『江戸のお白州−史料が語る犯科帳の真実』を読んでいると,彼が度々紹介する「西の丸騒動」が再び取り上げてあった。
この騒動について,以前BBSに書いたことがあるが,現在は「非公開」にしている。

HPも長く放置したままになっているが,あひる企画の本業が忙しく手が回らないことが最大の理由なのだが,私も少し思うところがあり,そのままにしている。再構築・改造のプランはできているのだが…。
BBSに関しても閉鎖して,HPの改造と同時に新たに立ち上げるつもりでいる。そこで,せっかくなので,「非公開」にしている拙文のいくつかをジャンル別にブログの方に分類・修正して転載しておこうと思う。

この「西の丸騒動」に関する拙文を転載しておく。


『江戸の金・女・出世』に次のような逸話が紹介されている。この史実については山本氏は他の著書でも書いているが,池波正太郎氏の『仕掛人 藤枝梅安』にも作中話として使われていた。

文政六年(1823)四月二十二日夜,西丸書院番士が,同僚三人を惨殺,二人に重傷を負わせ,自らも切腹して果てた。
犯人の松平外記は,三百俵を給される旗本だった。この年三十三歳,父は西丸御小納戸頭松平頼母である。
西丸は大御所または将軍世子の住居で,当時は十一代将軍家斉の世子家慶がいた。御小納戸頭というのは主君の身の回りのものを用意する役職の長である。外記は,その惣領で,父在職中の時から西丸書院番士に召し出されたエリートである。

…外記はなぜこのような刃傷事件を起こしたのだろうか。
それは,将軍家斉の鷹狩りにあたって,かねてから望んでいた拍子木の役に抜擢されたことによる。
鷹狩りの時は,書院番士や小姓組番士が勢子となって鳥を追い出す役目を務めるが,拍子木役はそれらの番士を指揮する役目である。将軍の側で拍子木を打って同僚を動かすのであるから,非常に晴れがましい任務である。
ところが,先輩の西丸書院番士の中にも拍子木の役を望んでいる者が多く,事あるごとに嫌がらせをする。

…外記も十三年間御番を務めたベテランだったのだが,まだ先輩の番士が多く,勤務で会うたびに悪口を言われ,またこのような名誉ある役は先輩に譲るべきだというようなことを聞こえよがしに言われたようである。
ほかに,この事件を書き留めた史料には,演習の時,外記の弁当に馬糞が入れられていたというような話ある。
このようないじめに耐えかね,外記は,ついに拍子木の役を辞退することにした。
先輩たちもこれでやめておけばよかったのだが,鷹狩りが終わった後の勤務の時,またまた外記に雑言を投げかけた。
拍子木の役を取り上げられたことを恨みに思っていた外記は,又候雑言を吐く先輩に,ついに切れてしまった。

この逸話,何も江戸時代だけではない。似たような話は,現代にも身近にも多く散見する。

少しからかった程度と思っているのは本人だけで,からかわれた方がどれほどに腹立たしく思っているかなど想像もできないだろう。(想像して,あえてそうすることが楽しくてしている人間もいるようだが…)
しかも,まだ一時のことなら我慢もできようし,恨みに思っても時が忘れさせてもくれるだろう。しかし,執拗に継続的に繰り返されれば,その憤怒は積み重ねられていく。雑言を吐く側は,相手が耐えていることに気づかず,調子に乗ってより辛辣さを増した悪言や皮肉,イヤミを口にしてしまい,ますます度を超したものへとなっていく。
からかいが「イジメ」に発展するのは,この両者の認識や感覚の違いに起因する場合が多い。また,継続されること,繰り返されること,その執拗さが「イジメ」の特徴である。

この両者の認識の違いが限界点を超えたとき,惨劇が起こる。事の是非でも行為の善悪でもない。山本氏が書いているように「やめておけばよかったのだ」である。後悔先に立たずである。

相手の気持ちに気づかないことが悲劇を生む。
相手をいたぶることを心地よいと感じる自らの心根の歪みに気づかないから,いつまでも繰り返し続けるのだ。皮肉やイヤミを,いつまでも続けて平気でいられる人間性そのものが歪んでいるのだ。捻くれた性格と言ってもいいだろう。だが,当の本人はそんなことは微塵も思っていない。すべて相手が悪いのだから,自己正当化などいくらでも理由づけられる。周囲に吹聴する自己正当化の言い訳も「くどく」なっていくのは,それだけ理不尽なことを自分がしている証左であると周囲が思っていることさえわからないのだろう。
要するに,相手が厭がっていることをしなければいいのだ。単純なことだ。

多くの場合は,そんなことで自らの人生を棒に振ることのバカバカしさから耳を伏せて相手にしない方を選ぶ。関わることを避け,雑言を無視する。親しい友人もそのように助言するだろう。しかし,当の本人は,相手が反応しないことをいいことに,それを笠に着て,ますます増長して,執拗に中傷と挑発を繰り返すことが多い。
「やめておけばよかった」のだ。それに気づかない傲慢さと慢心が命取りになる。自分にしか目が向かない人間や自分を価値基準に他者をはかる人間は,往々にしてこのような錯誤をおかす。
しかも,更にタチが悪いことに,このように拗れた場合,どちらが正しいとか,どちらが先にとかといったことは関係なくなってしまっていることに気づきにくいことだ。年月が過ぎるほどに,もはやそんなことはどうでもよくなっている。ここにも両者の間の錯誤がある。復讐や報復,仕返しに善悪の判断も合法性などもはや関係なくなっている。意趣返しであろうが逆恨みであろうが,そんなことは一切関係ない。「厭がっていること」を自分の勝手な理由や都合だけで,相手の迷惑を顧みず,執拗に続けること,その結果の惨劇である。だから「やめておけばよかった」のだ。

続けて山本氏は書いている。

そのほか,多くの同僚が疵を負っている。
情けないのは,それまでは口々に雑言を投げ掛けていたくせに,誰一人として外記と渡り合った者がいないことである。これらの者は,卑怯者として,改易や閉門などの処罰を受けている。
同僚たちの外記に対する態度をみると,武士にはそれぞれ自尊の念が強いだけに,自分より優れた者や幸運を掴んだ者に強い嫉妬を持ちやすかったようである。

私ならどうするだろうか。時代や立場に関係なく,いつの日にか必ず報復するだろう。そう決断した以上,必ず報復する。法的に許されぬことであろうが,人間として許されぬことであろうが,私にはそれ以上に決して許せないことだから決断したのである。それは,いかなる時代であろうと社会であろうと関係ない。
ある程度ならば我慢もしようし,何を言われようと聞き流して相手にしないだろうが,やはり人間には限度と限界がある。憤怒もある。武士でなくとも自尊の念もある。恨みに思うことが自分にとって無意味であるとわかっていても,周囲や友人に宥められても,積み重なって心底に残ることがある。それほどに憤怒と憎悪は大きいのだ。

松平外記の心情は察して余りある。武士の対面や家名の保持など,ひたすらに我慢し耐えたことだろう。理不尽さに憤りを覚えながらも,事実無根の噂を流されようと陰口を吹聴されようと,イヤミと皮肉でからかわれ嘲られようと,ひたすらに忍んだであろう。
彼の刃傷を今風に「キレた」と簡単に表するのは安易であろう。

「イジメ」に関わった両者から話を聞くと,必ず両者の「言動の重さ」に相違を感じる。受けとめ方と言ってしまえばそれまでだが,なかなか相互の溝は深い。ただ実感することは,やはり「やめておけばよかったのだ」である。

『忠臣蔵』は史実と随分とちがって脚色されているが,この刃傷事件と重なって想像してしまうのは,やはり事の発端である。また,この種の復讐や報復が小説や映画になって人々の共感を得るのも,理不尽な社会への怒りよりも些細なことであっても相手にとっては心を深く傷つけられているからだろう。


さて,あらためて自分はどうするだろうか。

やはり,いくらバカげたことであろうと,きっと何年経っても何らかの手段を用いて必ず報復するだろう。
冷静な判断をすれば,間尺に合わないことなど歴然であるが,それでもなお許し難いことはある。人間の怒りはそれほどに強いものだ。「やめておけばよかった」のに,その忠告さえ無視して続けるから,報復や仕返し,さらには互いにとって避けられた惨劇がおこるのだ。人の心に蓄積される「憎悪」とはそのようなものだ。

かつて暴力事件を起こした生徒がいた。彼は中学3年生であった。その彼が「ぼくは彼に小学校2年生の時,悪口を言われたり,からかわれたりした。そのことがどうしても許せなかった」と理由を話した。7〜8年前の出来事である。身体も小さく力も弱かった彼は,時を待っていたのかもしれない。彼の心情を一概に否定したり咎めたりはできない。憤怒を解放するすべが他にあれば,とは簡単に言えない。

私もまた,時が来るまでは沈黙の中で待つだろう。中途半端なことで怒りは収まらぬだろうから。恨みや憎しみは,宗教などで癒されるものではない。自分の価値観で人を判断するものではない。いかなる理由があろうと法律がどうであろうと,いかなる迷惑を周囲にかけるかなど,そんなことはわかっているが,それでも許し難い相手には命がけで復讐する。私はそう思うし,私はそうする。

そこまで人を復讐鬼へと追い立てるのは,実は「イジメ」の構図と同じく,単純な「やめておけばよかった」ことを執拗に繰り返すことが要因である。
相手の怒りがわかるのであれば,それ以上はやめておくことだ。関わらぬことだ。些細なことの積み重ねが,相手の心に憎悪を蓄積させるのだ。人の心に憎悪と憤怒を抱かせたことを後悔する前に,関わらぬことだ。それが唯一の解決策だ。なぜなら,相手がそれを望んでいるのだから。しかし,それにもかかわらず,執拗に陰湿につきまとい,挑発的な誹謗中傷を繰り返し続ける相手には,いつの日にか必ず報復をする。
「やめておけばよい」ことをやめない人間に対しては,私にも覚悟がある。


孔子の『論語』に,次のような一節がある。

子貢問うて曰く
一言にして以て
終身これを行うべき者ありや
子曰く 其れ恕か
己れの欲せざる所
人に施すこと勿れ

弟子が孔子先生に尋ねました。
「一生の内で,忘れずに実行して欲しいことが何かありますか」と。
孔子先生は答えました。
「それは恕(思いやりの心)です。」
「自分がして欲しくないこと(言われたくないこと)は,他の人にしないことです。」

同じ教えは,「黄金律」として多くの宗教,道徳や哲学で見出される「他人にしてもらいたいと思うような行為をせよ」という内容の倫理学的言明である。

イエス・キリスト:「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい」(『マタイによる福音書』)

ユダヤ教「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」(ラビ・ヒルレルの言葉)

ヒンドゥー教「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」(『マハーバーラタ』)

イスラム教「自分が人から危害を受けたくなければ,誰にも危害を加えないことである。」(ムハンマドの遺言)

これほどに多くの宗教の戒律に説かれるということは,それほどに守られにくいということかもしれない。宗教家が自身の信仰する宗教の「黄金律」を説教しながら,自らの言動を省みないことも多々ある。恥ずかしいことだ。

自分の言動が他者の心に不快感や屈辱感,怒りや憎しみを感じさせるならば,それは言うべきでない。語るべきでもない。自分がしてもらいたくないことは人にすべきではない。そして何よりも,その判断基準は自分ではなく相手なのだ。

私ならどうするか。時を待つだろう。外記のように直情的に報復はしないが,必ず,何年経とうとも時を待ち,絶対に二度と立ち上がれぬように叩きつぶす。人間を軽んじないことだ。甘く考えないことだ。憎悪は沈黙の中で蓄積されていくのだ。


随分と過激な文章を書いたものだと思うが,「明六一揆」を調べながら思うことは,昔も今も人間の心理など大して変わるものではないということだ。

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2012年01月21日

「中津井騒擾・美作騒擾」パネル展

今月25日(水)〜30日(月)まで,天満屋岡山店地下タウンにて「中津井騒擾・美作騒擾」パネル展が開催される。

私のライフワークである「解放令反対一揆」研究,その核心である「明六一揆」のパネル展である。
現在,今まで少しずつ考察してきた研究を整理しながら,弊ブログにてその一端を論考として公開しているところなので,今回のパネル展も楽しみにしている。

この忘れられた郷土の史実を,少しでも多くの人に知ってもらいたいと願っている。この史実から学ぶべきことは多岐にわたって多く,貴重である。
郷土の歴史においては「負の遺産」である一方,決して目を伏せてはならない「教訓の遺産」である。


今から26年前の1985年5月8日,リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領は,敗戦40周年にあたるこの日,ドイツ連邦議会で演説を行った。

罪の有無,老幼いずれを問わず,われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており,過去に対する責任を負わされております。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために,老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり,起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危険に陥りやすいのです。

『荒れ野の40年』より

【過去に目を閉ざす者は,結局のところ現在にも盲目となります】(Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliest, wird blind fur die Gegenwart)

歴史を学ぼうとする者は,この言葉を決して忘れてはならない。


明六一揆の関係資料を収集する中で,あらためて痛感したのは,郷土の歴史について知らないこと,曖昧な知識の多いことだった。調べれば調べるほど,史実は複雑に相互に関係し合っていることがわかってくる。一つの史実の背景には,多くの史実が歳月を越えて間接的に影響している。

三省堂の『日本民衆の歴史 地域編』シリーズが企画・刊行されたのは,1984年である。約30年前の企画であるが,その趣旨には今も深く共感する。

歴史がはじまって以来,今日まで,歴史を支えてきたのは,その名も明らかでない,多くのわたしたちの祖先たち,“民衆”である。政治や経済・社会のしくみがどのような道筋をたどって進んでこようとも,民衆の労働と生活とは,たゆみなくつづけられ,真実の意味での歴史をすすめてきた。
そのような民衆の労働と生活は,“地域”を拠りどころとして営まれてきた。…
“地域”とはなんだろうか。それはたんなる場所ではなく,その地方に住み,働く人びとの,共通した風土と歴史性とによって培われた,共通した個性をもつ人間像や人間関係のまとまり,あるいは,共通した文化的・社会的個性をもつ人びとのまとまり―ともいうことができよう。そのまとまりや個性は,その地方の民衆が歴史的に創り出してきたものであり,また創り出しつつあるものである。人びとが,自らの解放のために,母胎とし,また変えていかなければならない社会関係が地域である。

それぞれの地域が担っている課題を明らかにすることは,その課題を解決する方途を明らかにすることでもある。その課題そのものがもっている歴史性と,その課題と立ち向かっている人びとの歴史的力量とを,科学的に解明することが,どうしても必要となる。

このシリーズの第1巻として刊行されたのが,ひろたまさき・坂本忠次編『神と大地のはざまで−岡山の人びと』である。近世から近代にかけての岡山の民衆運動を,近世の不受不施派信徒の抵抗・美作の百姓一揆・幕末維新期の民衆闘争・美作民権の軌跡・明治から大正期の農民運動・昭和恐慌下の小作争議をそれぞれのテーマとしながら,通史的に概観している。

「不受不施派」については浅学でしかなく,興味はあっても部落史とは直接的な関わりは少ないと思い,後回しにしてきたが,本書を読み,その考えの誤りに気づいた。
不受不施派と非人との深い関わり,それは「両山非人内信事件」によって明らかであった。岡山の非人を研究するとき,不受不施派の動向も研究する必要を強く感じた。
また,県北の「非人騒動」も同様である。なぜ,百姓は一揆に際して「非人拵」(非人の身なり=非人姿)になったのか。このときの百姓の意識はどのようなものであったのか。さらに,「文政非人騒動」(1825年)の約50年後,同じ美作で「明六一揆」が起こり,部落が襲撃されている。

歴史の流れは,史実を単体として研究するだけでは見えてこない。さまざまな連環によって総体的にとらえなければならない。

そして,民衆運動史を解明する重要な視点は“日常生活”である。

…民衆はつねに運動しつづけているものではなく,なによりも日常において生産に従事し生活をいとなむ存在なのである。その日常生活基盤に民衆運動はまきおこり,そして終われば日常の生産へと立ちもどる。

民衆宗教を重要な素材としたのは,そこに民衆の日常生活における意識を探ることができるのではないかという問題意識からであり,また百姓一揆や近代の農民の小作争議の究明のなかからも日常生活の具体的ありようを探ろうとした。

一揆や騒擾を,その過激さや運動という面から考察するのではなく,百姓や農民の日常生活との関係から考察する必要がある。
美作騒擾,明六一揆にしても,鎮圧後のきびしい追究により15名の処刑,懲役・杖罪・罰金など公式に処罰された者が一揆参加者約3万人のうち2万7千人にも及ぶにもかかわらず,彼らは“日常生活”にもどっている。
あれほどの惨劇があった加茂谷も,生き残った津川原村も,彼らを襲った周辺の村々も日常の日々へと帰って行った。

この視点が騒擾の背景と,今に伝える教訓を明らかにしてくれると思っている。

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2012年01月08日

埋もれた資料と研究

昨日,県立図書館の郷土資料部門で,部落史関係の資料を収集していた。

全解連系の岡山部落問題研究所が発刊している研究誌『部落問題 調査と研究』と同盟系の岡山部落解放研究所が発刊している研究紀要と所報がある。
今回,それらのバックナンバーをじっくりと調べて,必要資料のコピーを行った。

創刊号から調べながら驚いたことは,70年代〜80年代にかけて,史料の発掘と研究が精力的に行われていた事実と,それらに取り組んだ今は亡き諸先達の残した研究成果の貴重さである。感銘と感謝の気持ちでいっぱいである。

たとえ専門書であっても書籍になれば,史料も研究成果も「形」として残ることも世に知られることも,可能性としてはある。しかし,大学や研究機関が刊行する研究誌や研究紀要が一般の書店に並ぶことはほとんどない。まして所報などが関係者以外の目に触れることは皆無であろう。
それらの多くは,長い歳月の中で,やがて書庫の中で眠りについてしまう。まるでエジプトのピラミッドのように,誰かが発掘しない限り,どれほど貴重な資料や研究成果であっても埋もれたままとなってしまう。

著書の一冊も書き残さなくても,わずか数ページの記事であっても,重要な研究であり貴重な史料紹介である。

記事を書かれた研究者の多くは,今は亡くなっておられるかもしれない。
事実,かつて研究会で顔を合わせたり,貴重な教示をもらったりした先輩たちがここ数年の間に随分と亡くなっておられる。
彼らの名前をバックナンバーの中で見かけると,懐かしさと悔しさが思い出される。もっといっぱい,いろいろなことを教えてもらっておけばよかったと。いつでも会えると思う軽率さが,取り戻せぬ後悔を生んでしまった。

彼らの残してくれた「遺産」を引き継いでいくことが使命と,あらためて感じている。そして,我々の微々たる研究もまた次世代のための「遺産」となることを願っている。

私は名声とか地位とかを求めるものではない。他者を気にすることもない。


今回,解放令反対一揆,明六一揆について資料を確認する作業において,また参考先や引用元を資料から資料へと辿っていく中で,知らない資料や研究論文に出会い,それらを探して図書館に来たのだが,こうしてバックナンバーを丁寧に読んでいると,素晴らしい研究や資料,史実に出合う。

今まで可能な限り,江戸時代以降の備前藩・津山藩,岡山県に関する史料,特に部落史関連の書籍や古文書,研究紀要や論文を入手してきた。しかし,岡山にはまだ私の知らなかった未知なる史実や史料が多くあることを知った。当然ではあるのだが…。

今回,両団体の主義・主張のちがい,思想対立による歴史解釈の相違も強く感じる結果となったが,研究の進展という面から残念さと寂しさを感じる。史料や史実の分析や解釈に「思想的立場」が優先することは理解できるが,研究には多角的・多面的な視点が不可欠である。自由な研究上の論議がなされない思想対立を残念に思う。

貴重な史料や史実,重要な論考が野に埋もれてしまう,その原因が思想的政治的対立だけでなく感情的対立に起因することを,私は無念に思う。

目的が同じであっても,その手段が異なることで共同できないのは,実に口惜しく感じる。
「目的のために手段を正当化してはならない」は私に持論である。だからこそ,手段の相違を目的よりも優先してはならないと考える。

何よりも残念なことは,法が切れ,部落史の見直しのブームが去った今,これら貴重な資料が埋もれていくことであり,歴史研究において置き去りにされていく状況である。


科学技術の発達,情報システムの進歩の恩恵も大きい。
簡単に検索でき,必要な資料を手軽にコピーでき,スキャナでPCにデータとして保存できる。文具も多機能になり,ファイリングも随分と楽になった。

百数十ページにも及びコピーを前に,時代を感じる。20数年の歳月が積み上げた研究成果(論文や史料など)を瞬時に見ることができる。このことを素直に喜びたい。

今年は,長年の夢であった「明六一揆」研究に取り組みたいと考えている。まだまだノートに整理しながら考察している段階だが,積み上げてまとめたいと思っている。

posted by 藤田孝志 at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

死者の声を聞け

『タイタンズを忘れない』という実話に基づいた映画がある。

アメリカで1950年代に始まった黒人公民権運動は,'60年代に運動としてのピークを迎え,社会の中にめざましい変化と成果を生みだしていく。続く'70年代は,獲得した権利が社会の中に定着していく時代だ。だが,いくら制度としての差別がなくなったとしても,人々の意識が制度に合わせてすぐに変化するわけではない。

1971年,ヴァージニア州アレクサンドリア。アメリカ国内では公民権運動が盛り上がり,この保守的な小さな町にも変化の波が押し寄せてきた。それまで人種ごとに分離していた白人学校と黒人学校が統合され,T・C・ウィリアムズ高校が開校することになった。フットボールチームも統合され「タイタンズ」が結成される。

統合に反対する住民達のデモが起こる中,ヘッド・コーチとしてやってきたのが,数々の栄光に輝く黒人コーチ,ハーマン・ブーンだった。これまでヘッド・コーチを勤めていたビル・ヨーストは長年の実績を持つ優秀なコーチだったが,教育委員会は「人種平等」を周囲にアピールするためにあえて黒人のブーンをコーチに任命したのだった。この措置に白人の選手や保護者たちは大反発し,コーチと一緒にチームを辞めると言い始める。ヨーストは選手たちを引き続き監督するため,ブーンのアシスタントとしてチームに残ることにする。

ゲティスバーグ大学で合宿が行われることになり,生徒達はバスで出発する。チームを一つにするため,ブーンは白人と黒人を同じバスに乗せ,宿舎でも同室を命じる。また互いを知るために自分のことを相手に伝えることも命じる。だが偏見はなかなか消えず,事あるたびに激しい対立が起きる。しかしブーンは「怒りを抑えそのエネルギーを勝負にぶつけろ」と訴え,軍隊のように厳しいトレーニングを強いる。

ある朝,ブーンは生徒達を叩き起こし,ゲディースバーグの決戦場までランニングさせる。そこは南北戦争で多くの若者の命が失われた歴史的な場所だった。そこで,ブーンは自分の思いを若者達に語り始める。

ゲディスバーグの戦場だ。53万人の兵士がまさにここで命を落とした。
なのに,おれたちはまだあいかわらず同じ戦いを続けている。今もだ。
この緑の野原が赤く染まった。若者の血で真っ赤になった。硝煙と弾丸が体に降り注いだ。
魂の声がする。心の悪意が兄弟を殺した。憎しみが家族をズタズタにした。

耳を澄ましてみろ!そして,死者から学べ!
この神聖な場所で1つになれないなら,おれたちもズタズタになる。彼らのようにな!

お互いを好きにならなくてもいい。
だが,相手を認めろ!そうすれば,もしかしたら,いつの日にか人として向き合えるだろう。

【死者から学べ!】という言葉は,単に「史実に学べ」という意味ではない。史実に隠された真実の声,後悔の声,無念の声に耳を傾けて,二度と同じ過ちを犯さないようにするために,何がまちがいなのかを,どうすれば回避できるのかを学べという意味だ。


解放令反対一揆に参加した農民たち,津川原での惨劇で死傷した人々,殺した者も殺された者も,今は静かに土に眠っている。
しかしまだ部落差別は残存している。

このブーンの言葉は,部落問題にも人権問題にも言えるのことではないだろうか。


昨日と今日,BSで「池上彰の現代史講義」を見ていた。

「歴史とは歴史家と事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の対話である」(E・H・カー)

池上氏のわかりやすい解説で,戦後の現代史がよく理解できたが,あらためてカーの言葉を考えさせられた。
歴史を学ぶとは,単に史実を解釈するだけでなく,史実の背景を分析・考察することで未来への指標を確認することである。

自らの正当性のみを主張し,他を全面否定するために揶揄・愚弄・誹謗中傷を執拗に繰り返すことに終始する独断・偏見が硬直化した人間もいるようだが,私には無関係でしかない。他をイヤミと皮肉で非難しなければ,自己を主張できない研究など,質とレベル以前の問題である。


死者の声にこそ,我々は真摯に耳を傾けなければならない。2012年,新年を迎えて思うことである。

posted by 藤田孝志 at 03:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月30日

朋有り,遠方より…

「朋あり遠方より来る,また楽しからずや」(『論語』「学而編」)

先日,何年かぶりに友人と会った。
私は大阪府教育センターで行われた教育フォーラムに参加した後で,彼は滋賀県近江八幡での講演の後で,大阪にて待ち合わせ,楽しい酒を飲んだ。
彼,脇田学とは彼が大阪府同教を経て全同教の事務局を務める以前からの付き合いで,もう二十年近くになる友人である。

私にとって彼は人権教育の師匠であり,部落問題を考える指標でもある。

心を許すことができる,信頼に足る友人との語らいほど楽しいものはない。何年会わなくとも,変わることのない友情は至高の財産である。わずか数時間であっても,その時間は無限の至福を与えてくれる。

誰が互いを非難しようとも,そんなことで相手に対する信義が揺らぐことはない。そんな友人が何人かいれば,如何なる辛苦も,くだらぬ誹謗中傷も気にはならない。陳腐なことに煩わされることもない。

生きていれば,四苦八苦は避けて通ることはできない。「愛別離苦」もあれば「怨憎会苦」もある。自分から「火中の栗」を拾う気はないが,降りかかる火の気は払わなければならないだろう。
私は無神論者だから在りもしない神にすがって生きることも,神を隠れ蓑にして自己正当化を図ることも,自己批判を忘れて欺瞞に満ちた言動に終始することもしない。また,他人の言動に干渉して無意味な時間を費やすほど愚かではない。

正月,年賀状で知る友人や知人の近況ほど楽しみなことはない。それぞれが人生をしっかりと生きている。それぞれが自分のすべきことを一生懸命に取り組んでいる。それでいいのだと思う。

今夏,久しぶりに会った石瀧先生も意欲的に研究に専念されている。脇田さんも石瀧先生も私に勇気を与えてくれる。

私が尊敬する研究者は,自らのスタンスにしっかり立脚して,坦々と日々の研究や仕事を実践し,その成果を発表していく。その研究姿勢を私も学びたいと思っている。

文章表現にはその人の人間性が表れる。
特に,他者を駁撃する場合,その人間の性質や性格が表れる。イヤミや皮肉を多用する人間は,歪んだ性格や偏向した考えの持ち主だと思う。

彼らは決して自己を誇示するために,他者を引き合いに出して揶揄・愚弄することはない。批判検証と称して,他者の論考のみならず人格や人間性に至るまで,独断と偏見,憶測をもって扱き下ろし,見下すことで自己満足するような姑息さは,彼らにはない。
真摯な研究姿勢は,誠実さと謙虚さに裏付けられることを知っているからだ。他者が真摯に研究している成果を批判する際,その表現や言葉に配慮しない傲慢さは,人間としての品格を疑う。

脇田さんと別れ際に,自分の葬儀の時,多くの人間に参列してもらうことよりも,朋にこそ別れを惜しんでもらいたいと話した。そんな友を得たことを心より嬉しく思う。


私にとってのライフワークである「解放令反対一揆」の研究に着手した。

最近書いた文章を若干手直しして,別ブログに移行させた。今後は
「解放令反対一揆」の考察については【
我が心は石にあらず】に
「明六一揆」の考察については【
存在を問い続けて】に論述していくことにした。

拙ブログは,あくまでも「ノート」であるので,先々ある程度の論文にまとめることができればHPにて公開し,やがては本として出版したいと思っている。
また,部落史に関する授業実践用の教材として整理したいと思っている。

私は「解放令反対一揆」を単純に農民による「部落襲撃」という観点でのみ捉えてはいない。
江戸時代から明治時代へと移行する過渡期に際して,急激な制度・体制の変化に対応できない人々が旧体制への回帰を求めて起こした要求運動であり,過激化した騒擾事件である。そこには多くの矛盾が内包されている。国家による支配体制の確立とそれに対する民衆の抵抗,その背景にある対外関係からの強引な国内整備(内治政策)など,そして何よりもすべての基盤であった「身分制度」の解体が巻き起こした変化とその影響が大きい。

政治・社会の体制が大きく変貌するとき,民衆の意識はどのようになっていくのか。

私は明治維新という社会変革を,時代の変化として評価する。人間の歴史において進歩であったと思っている。だが,襲撃された部落をその犠牲者というとらえ方もまた一面的であると考える。明治維新という移行期における身分制度の解体と民衆意識の変化を総体的に考察していきたい。

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2011年12月03日

被害妄想

解放令反対一揆の要因に農民の「被害者意識」がある。これに関しては,別のブログで詳しく考察したいと思い,準備をしている。


被害者意識と被害妄想のちがいは,前提となる「事実」が存在するかどうかである。

その「事実」が何らかの「被害」を生じさせていると意識する場合,客観的には「被害」を生じさせていなくても,当事者が「被害」と受けとめるならば,被害者意識といってもよいだろう。
しかし,その場合でも「事実」を当事者がどのように解釈して受けとめるかによって大きく異なる。まして,「事実」そのものがなく,当事者の自分勝手な思い込みや虚偽・捏造の類であれば,それは「被害妄想」でしかない。

ありもしないことを,されてもいないことを,あったかのように,されたかのように思い込んでしまう「被害妄想」ほど,人騒がせで,迷惑なことはない。

心的外傷後ストレス障害やうつ病、統合失調症などの精神病患者たちに多く見られる症状の一つで、他人への根強い猜疑心等が生まれる。覚醒剤など薬物の使用によって現れることもある。

重大な精神疾患に限らず、ごく日常生活でありがちな軽度の勘違いや猜疑心なども「被害妄想」としてみなすことがあり、精神的に比較的不安定な思春期では珍しくないともいえる。それらは精神医療の対象とはならず、周囲の人間関係や本人の考え方の問題とされる。また、個人間における感情や心理の行き違いなど、本当に被害を受けているのか単なる被害妄想なのか判別することが難しいケースも日常生活上では少なからず存在する。

また,実際に何かの被害を受けた人間が,決定的な証拠が無いにも関わらず「あいつの仕業だ」と思い込み,見当違いの怨恨が生まれることもある。そして,今度は何の実害も被っていないのに,「あいつが裏で自分を攻撃し(ようと)ている」等といった被害妄想を膨らませていくケースもある。現実には不可能であるにも拘らず,「思考盗聴されている」「電磁波で攻撃されている」,どのように自分の存在が重要かも説明出来ず「集団ストーカーの被害に遭っている」と主張し出す例もある。ただし,これらのケースは,事実被害にあっていないことが証明できないうちは被害妄想と決め付けることもできないために,被害妄想という言葉そのものが中傷行為ととられることもある。

「被害妄想」『Wikipedia』より


周囲には「被害妄想」としか思えないことであっても,本人は本気で「被害を受けた」「攻撃されている」と思い込んでいる。「被害」の事実を証明する客観的な「証拠」も,具体的な「事象」も存在しないにもかかわらず,「被害」を主張し,さらにはあれもこれもとこじつけて「妄想」を増幅させていく。

支離滅裂であろうと論理が破綻していようと,その判断もできず,ひたすら「被害を受けた」ことのみを書き続ける。具体的事象は一切書かず,抽象的で同じフレーズのみを多用する。事実でないのだから具体的「事実」や「証拠」など書けないのは当然であるが,「事実」と「妄想」の区別がつかなくなっている人間にはわからないのだろう。


「被害」を狡猾に利用する人間もいる。

「オオカミ少年」の寓話のように,人々を惑わす目的で「虚偽」を「事実」であるかのように装う場合もある。つまり,「被害」を装うことで,特定の相手を攻撃する「口実」(大義名分)を手に入れようとする。自分の言動を正当化する手段として「被害」を悪用するのだ。

相手からの「攻撃」(具体的な内容やその証拠)については抽象的な表現に終始し,自分が受けた「被害」(なぜ「攻撃」されたか,どのような被害を受けたか…ほとんど独断的な思い込み・妄想であるが)のみを過剰に書き続ける。

【嘘も言い続ければ,真実になる】と思っているのか,風説に惑わされやすい人間心理を小賢しく利用しようとしている。老獪な手法である。


確かにさまざま考えの人間,いろんなタイプの人間がいる。
人を批判することで自分の意見を主張していくのも手法だろう。嫌味と皮肉で人を扱き下ろし,口汚く罵り,小馬鹿にする。人を「下げる」ことで,相対的に自分を「持ち上げる」ことを意図的に行う。常に「自分が一番であること,自分が正しいこと」を主張するために,相対する他者を見つけては批判する。

そんなタイプの人間には誰も寄りつかないだろうし,相手にもしないだろう。なぜなら建設的な「論議」など到底望むこともできないからだ。弁証法的な相互批判や議論であれば,相互にメリットもあるだろうし,たとえ過激な批判の応酬であっても,人間的な交流の先に尊敬も生まれるだろう。

しかし,単に自己正当化のために他者を踏み台にしたり,捨て石にしたりするような対応には,得るべきものはなく,嫌悪感と不快感しか残らない。
そんな人間に対しては遠ざかるか無視するだけだ。極端に言えば,排除・疎外することで,無意味な関わりと無駄な時間を持たなくてもよいようにするだろう。

少なくとも,私はそうする。たとえ,いかなる非難を受けようとも,関わりたいとは思わない。


バートランド・ラッセルは『幸福論』(岩波文庫)の中で「被害妄想」について,次のように書いている。

極端な形では、被害妄想は狂気の一種とされている。

それは精神病医の扱うべき問題だ。私が考察したいのは、より穏やかな形である。というのも、穏やかな形の被害妄想は、不幸の原因になることが多いからである。

被害妄想の傾向のある人は、哀れな身の上話を相手が信じたとなれば、尾ひれをつけて話すので、ついには眉つばものになる。反対に、自分の話が信じてもらえないとなれば、これまた人類が特に彼に対して不人情である一例になるだけの話だ。

被害妄想に陥る理由は,次のような考えの傾向が強い人間ではないだろうか。

自分は「被害者・犠牲者」であると主張することで,自分が被害を受けるのは自分が悪いのではなく人が悪いからだと責任転嫁あるいは自己正当化するためである。
また,「人に自分の話を聞いてほしい」「自分に関心をもってほしい」「同情してほしい」「人から注目されたい」という自己顕示欲が強いためである。

「被害妄想」は,過度の「narcissism」の裏返しでしかない。

自己を過大評価するあまり,他者が自分が思っている(期待している)ほどには関心を示さない場合,あるいは他者に批判された場合,その他者に対して過剰な反応をする。これが「被害妄想」である。

不確かなことであっても,確信的に思い込み,自分の中で過大視し,妄想を膨らませて現実と想像を混同してしまう。

posted by 藤田孝志 at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

「増長」と「ねたみ意識」

解放令反対一揆を考察するキーワードはいくつかある。その一つが「増長」である。

上杉聰氏の新装版『部落を襲った一揆』の中でも,部落を襲撃する理由として繰り返し農民の口を衝いて出る言葉が「増長」である。

この「増長」について考えてみたい。


「増長」を辞書で引くと
 @次第にはなはだしくなること。だんだんひどくなること。
 A次第に高慢になること。つけあがること。
と説明がある。つまり,生意気・傲慢・高慢・横柄な態度や言動を指す言葉である。

「増長」は,以前と比較しての表現である。
では,被差別部落の何が,どのように,以前と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。

「増長」は,他と比較しての表現でもある。
では,被差別部落の何を,どのように,誰と比べて「増長」と思えるようになったのだろうか。

「増長」は,受け取る人間(の側・立場)の感覚や意識に左右される。つまり,自分自身との比較によっても生まれる感情である。被差別部落を自分と「比較する対象」と意識しなければ,それほどには生まれない感情である。

それは,被差別部落の立場や状況(身分,生活環境,経済状態など)に大きく左右される。被差別部落が自分と比べて,身分などの社会的地位や立場が全く相違(社会外)しているか,低位にあるか,生活環境が劣悪か,経済的に困窮しているか等々の場合,自尊心が傷つけられることはなく,むしろ優越感のゆえに余裕さえもって彼らを見下すだろう。
また,彼らが自分たちとはまったく「異なる社会集団」である場合,彼らが経済的に富裕であろうとも,比較する対象とはならないため意識する必要を感じない。

しかし,被差別部落が「同一社会」「同一身分」という同じ社会に位置づけられて「対等の存在」となったとき,比較の対象となる。そして,生活環境や経済状況が比較されるとき,劣等感や被害者意識を強烈に自覚させられることになる。

劣等感は,その格差に比例して嫌悪と憎悪を増幅させる。惨めさは,相手への「妬み」となり,攻撃性を正当化する。「増長」と受けとめる感覚の背景に,自らの惨めさと相手を妬む心が隠されている。惨めであると思い知らされるほどに,妬ましく思える。

このことは,部落問題の本質的要因というだけではなく,人間の生き方・在り方の問題として,現在もある。


『自分以下を求める心』という素晴らしい道徳の教材がある。

あれは、小学校二年生のことです。私たちのクラスに、よくいじめられる女の子がいました。私も、他の人たちと一緒に、いじめては笑っていました。その頃の私の気持ちは、「自分以下の存在が欲しかった」のだと、今になって気づきます。あの時あの子が、もし自分だったらと思うと、今までいじめた人に対して,あやまらなくてはなりません。

自分をみがく努力もしないで,ただ自分以下が欲しいだけでいじめるのは,やっぱり差別ですね。いろいろな差別について,たくさんのことを勉強してきた私ですが,実際の生活ではそれをまるで生かしていませんでした。なんか今,考えてみると,「なぜあの時,あんなことをしたんだろう」と思ってしまいます。

思っているだけ,悪いと知っているだけでは,すぐポロッと言ってしまって相手を傷つけたり,がっかりさせたりしてしまいます。

どうして私はこうなんだろう。やっぱり,自分以下が欲しいという気持ちが心の底にあって,それが作用しているのでしょうか。

私は,自分以下がいらない人間になりたいです。そのために自分の生活にまじめにぶつからなくてはなりません。こう考えてくると,ひとのことを,とやかくいわない生き方は大切なことなんですね。立派な人の証明なんですね。身のまわりを見ても,努力しない人ほど,他人を傷つけたり,とやかく言ったりしています。まるで魅力のない生き方ですね。その中に私もいるかと思うと,恥ずかしくなります。

自分以下などいらない生き方をつかむことが差別やいじめをなくすことだと,だんだんわかってきました。

学校でやっている「自分新聞」や「生活の記録」,これなども,何枚も何冊も挑戦している人は,他人のことなどイヤミをいっている暇はないですからね。

私たちは,得意もあれば不得意もあります。すべてをかっこよくやることはできません。だのに,人の小さな欠点を探し出して,いじめたり,自分をすぐれていると思い違いしたりするのは,恥ずかしいことですね。ねっ先生,とっても恥ずかしいことですね。

私は今まで,人間として恥ずかしい生き方をしてきたのです。何べんも,何べんも,まちがったことをしました。

だから,他の人が私をいじめた時,そのまちがいがはっきりわからなかったのです。

生徒の作文をそのまま教材にしたものだが,この教材と出会って以来,私は人権学習・部落問題学習の教材として様々にアレンジしながら授業を行ってきた。
その当時の指導案に「主題設定の理由」として書いた拙文を載せておく。

【人間は,人のこと,遠くのことに対しては美しくいられる。美しい言葉を語ることもできる。でも,近くのこと,自分自身の問題になると,あれほど美しい言葉を語った人が見事に差別者になっていく】

1 本資料に描かれた思いは,誰の心の中にも潜んでいる。辛いとき,人はもっと辛い思いをしている人をさがす。苦しいとき,人はもっと苦しみのどん底にいる人を思い,自分を慰めていく。自分は,その人たちより,まだましなんだと思う。そして,自分を守るために,自分を慰めるために,その人たちをより見下げ,虐げ,差別していく。

2 この思いは,本校の生徒たちの日常にも如実に現れている。テストがもどってきたときその点数が悪くても,自分より点数の悪い生徒を見つけ,ほっとする。また,生徒がよく口にする言葉に「ぼくだけではない」「私よりあの人の方が…」がある。

さらには,級友の失言やまちがいに対しても,嘲笑的な冗談が発せられることがある。また,一方で生徒の多くは,道徳や学級活動の中で,「差別はいけません」「友人や仲間を大切にしよう」と語っていく。
このことは,差別や偏見に対して道徳的・道義的には「いけない」という認識を持ちながらも,その認識があくまでも常識的・知識的な理解でしかなく,自分自身の問題や課題であるという意識にまで高まっておらず,他人ごと,あるいは建前という捉え方でしかないことを露呈している。換言すれば,生徒の日常生活においての行動が他者志向的であり,価値観においても相対的にしか育っていない現実を示している。
この格差こそが,「いじめ」に代表される様々な問題の背景であり,生徒の人間関係の希薄さや歪みを生み出していると考える。

3 人間は,生きていく中で,自分より劣った存在を見つけては安心していく。人間は差別することがよくないと知っていても,その心の中には「自分以下を求める心」を持って生きている。自分以下を求めないと生きられない,そんな愚かさに気がつかずに生活している。
そこには,苦しいことや,嫌なこと,辛いこと,悲しいことから逃れたいという思いがある。しかし,嫌なことや辛いことを,人と比べて慰め,諦める生き方では,人間は自らの差別意識に気がつかないばかりか,知らず知らずに差別者となっていく。

本資料は,人を差別するということは,自分自身を差別していることになることを教えている。

4 この資料を学習する中で,生徒一人一人に,自らの日常生活を点検することを通して,「自分以下を求める心」が自分の他の人に対する見方や自分の生き方の中にないか,自分の心を見つめさせたい。
「自分以下を求める心」とはどんな心か,そしてその心が差別とどう関わっているのかを考え,さらにその心に気づかないことが差別を残してきたことにつながっていることを考えさせたい。

また,「自分以下がいらない生き方」を考えさせることで,人間として素晴らしい生き方とは,自分たちの心にある「自分以下を求める心」(差別意識)と闘い続け,今の自分以上をめざし,自分の力でまちがいを正しながら生きていくこと,自分を大切にするように仲間を大切にすることであると気づかせたい。         

以上の理由から,本主題を設定した。

誰の心の中にもある一方の人間心理について鋭く気づかせてくれる。自分には劣等感などない,自分には卑下することなど何もない,と否定しても心の奥底には「自分以下を求める心」は隠れている。

「学歴」「職歴」「収入」「社会的地位」「容姿」など,他者との比較の中に「自分以下を求める心」は存在する。いかなる理由をこじつけようとも,それらは惨めな劣等感を隠蔽するための方便でしかない。

「自分以下を求める心」が「ねたみ意識」と結びつき,その反動で「自分はこんなにもできるのだ」と人からの評価をより強く求め,自己満足を得るために執拗に他者を攻撃する。

この歪んだ心理は,解放令反対一揆において部落を「増長」しているからと,執念深く「詫び状」を要求し,それを拒んだ部落民を残虐に殺した農民と同じである。

「増長」と思う心は「自分以下を求める心」であり,自らを「被害者」と思う心は「ねたみ意識」であり,異常な攻撃性を正当化するための欺瞞である。


部落差別の解消には,社会的・制度的な変革も必要である。知識・認識の誤謬を改めることも必要である。だが,それ以上に必要な改革は,人間の自己変革である。

自らの意識の中にある「自分以下を求める心」や「ねたみ意識」「攻撃性」などを変革することである。

posted by 藤田孝志 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 部落問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

人間関係の煩わしさ

いかなる立場・集団・関係であろうと,人間関係ほど難しいものはない,とあらためて痛感している。

人間関係の基盤は「信頼」であるが,構築・維持するためのツールである「言動」と「その解釈」により強固になるか破綻するか,その微妙な綱渡りを日々繰り返しながら人間は自分が属するいくつかの社会集団の中で人間関係を結んで生きている。

「言葉の行き違い」や「行動の行き違い」による相互の「錯誤」が,今まで積み上げてきた「信用」や「信頼」を瞬時に壊してしまうことがある。

今まで自分が思っていた(思い込んでいた)相手の自分に対する「認識」「評価」「関係性」が,実はまったくの「錯誤」であったことに気づく瞬間がある。
相手は自分のことをこのようにしか思っていなかったのか,と。自らが思っている「自己像」と,相手が思っている「(私に対する)像」とのあまりの相違に愕然とする。同様のことが相手にもあるはずだが,そこに「親密」「信頼」の感情が介在している場合は,その落胆の度合いも多く,あらためて自分にとっての「他者」という存在を考え込んでしまう。

人間関係の脆さは信頼感の温度差である。


人間関係の脆さ,信頼感の温度差を実感したとき,人間は他者との関係に深い失望を抱く。

自分が相手にしてきた「よきこと」が脳裏を駆け巡り,「これほどのことをしてきたのに…」と,相手の冷淡さを思う。だが,「あしきこと」については考えない。自らの言動を顧みない。その結果,最悪の場合(いや,多くの場合)「逆恨み」の感情だけが残る。相手への信頼度と相手にしてきた「よきこと」(勝手に思っているだけだが)の思い込みが大きければ尚更に裏切られた思いから憎しみが激しくなる。

一方で,失望から自信喪失,自己嫌悪へと陥ることもある。過大な自己評価と他者からの評価の格差に起因するのだが,落胆は大きい。
自らの言動が招いた結果であるにもかかわらず,要因と経緯の分析と反省,自己改善へとポジティブに意識を変えればよいのだが,なかなか難しい。

最悪の場合,自己破壊へと向かう。自らの存在意義を失い,生きることにさえ絶望する方向へと思考が加速してしまう。冷静さを失って,客観的な自己分析ができない。

「思い込み」の弊害である。

人は自分が思っているほどには「評価」などしない。自らの「自信」を他者の評価にゆだねるべきではない。

人間関係は,結局は「利害」に左右される。自己保身と相乗的に利害の中で他者との関係を見極めているのだ。いかなる社会集団,例えば職場の対人関係などは最たるものだが,利用価値と自己保身が基準である。このことを秘して人間関係を気づこうとする。
だが,それが何らかのトラブルによって表面化し露呈するときがある。

そのとき気づくのだ。人間関係の脆さと人間は孤独であることに。


人間は理性の動物ではあるが,本質的には感性・感情の動物であると思う。それゆえに人間関係の構築・維持には多分に感情的な動向が影響する。また,人間関係における他者に対する判断も多分に感情に左右される。

極論を言えば,感情的に合うか合わないか,好きか嫌いかが大きなウエイトを占める。利害と感情が人間関係を左右すると言ってもいいかもしれない。

この横軸に加味されるのが縦軸としての力関係である。会社や職場の職階,年齢,社会的地位などの力関係である。

人間関係を円滑にするのがコミュニケーション能力であるが,力関係に際しては処世術ともいわれる独特の関係処理ツールが必要である。

この「処世術」が苦手な人間は現実において多くの場合,損をするといわれる。
損とは何か。相手の感情的な対応による不利益であったり理不尽な扱いであったりである。特に力関係において不利な立場であれば尚更である。

このように考えるとき,人間関係の煩わしさに辟易する。

posted by 藤田孝志 at 02:49| Comment(3) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

差別の根源 … 人間の多様な心理

上杉聰氏の『部落を襲った一揆』が新装版として再刊された。旧版以来の新事実や考察を追記しての新装版である。

私は旧版の元原稿が『解放新聞』に連載されて以来,上杉氏の論考に多くのことを教示されてきた。旧版は幾度読み直したかわからない。何か調べているときに関係箇所を開くのだが,読み始めるとつい他の部分やその先まで読み耽ってしまったことも何度となくある。

本書の中心である明治六年に岡山県北部で起こった解放令反対一揆,美作騒擾で襲撃された部落を校区に含む中学校に赴任し,この史実を聞いたときから,解放令反対一揆は私のライフワークの一つとなり,私の部落史研究の原点となった。

なぜ私が「解放令反対一揆」にこだわり続けるのか。

それは,この史実が凄惨な惨劇であったこと,私が習った大学までの歴史の授業にもおいて語られることも教えている教科書において記述されることもない歴史の中に覆い隠されてきた史実であること,それ以上にこれほどの残虐な行為を民衆ができるのか,その心理が知りたかった。

民衆,いや人間が集団化して負のベクトルへと向かうときの暴力的なパワーの要因と経緯,動向を明らかにすることで人間心理の深淵に踏み込めるのではないかと考えている。


本書の「おわりに」で,上杉氏は「なぜこんな事件が起こったのか」への回答を提出している。

上杉氏は「岡山・美作の明治六年騒擾と同じ場所で七年前に起こった改正一揆」に「多数の部落民が動員され」たときに,農民たちと「うち交わり」一緒に食事をしたことをヒントに,次のように考察する。

…両者は一見して大きな矛盾にしか見えない。だが,もし農民が多様な実態をもち,部落差別にたいしても様々な立場から構成されているとしたら,その矛盾は消える。民衆が一枚岩でないとしたら,差別を嫌う者もいれば,大好きな者もいよう。ただ,どちらも少数派であろう。圧倒的多数は両者の間を左右に揺れ動いている中間派である。もし差別を嫌う派が中間派を味方に取り入れれば,改正一揆のような形が実現する。

…しかしその七年後,差別的な意識をもつ農民が主導権をもったとしたら,どうだろうか。中間派はそのとき,部落側の平民をめざす行動に圧倒され,自分たちの利益と結びつくところを発見できないまま受け身となり,被害者意識さえ高じさせていたとしたら,「奴らは“傲慢”になった。わしらの村のなかを生意気に風を切って歩いとる。懲らしめる必要はないか」という問いかけに,多くが動揺したのではないだろうか。

上杉氏は「民衆は多面的で複雑な立場から構成されている」という論理を「歴史の場へ持ち込む」ことで「残虐な行為がなされた」心理的背景が説明できるという。また,この上杉氏の論法は,マーケティング理論や組織論でよく使われる人間集団の特性を示す「2・6・2の法則」の応用である。

確かに従来の歴史学は「制度」「できごと(事件・動向)」の解明に重点をおき,制度を作り上げ,できごとを起こした人間や社会の心理を分析・考察することは少なかったように思う。また,民衆心理を画一的・集約的にとらえてきたように思う。

「百姓は貧しい」という貧困史観など,その最たるものだろう。教科書の断定的な記述により,どれほど歴史が狭められて,一面的に理解させられてきたことだろう。(社会科教師として責任を痛感している)


民衆,人間の心理が多様であることは当然である。いつの時代,いかなる時代であっても,いかなる集団であっても,根本的に人間はまったく同じ心理ではないと思っている。
たとえば,宗教教義,政治理念,主義主張,規律など,それらを核として形成(組織)された集団や社会であっても,個々の人間の心理や考えが同一(統一)ではないと考える。ある部分においては(大部分であっても)共通認識がはかれたり同じ思いであったりはするだろうが,まったく同じであることは断じてない。また,その時々の状況下における判断や行動の背景にある心理は異なっている。
ただし,群集として動く場合に働く集団心理もあるが,それでも各人の心理がまったく同じではない。人間は各人の心理や思考によって生きて行動している。


本書の中でも述べられているが,一揆勢を部落に案内した「部落の竹藪越しに百メートルもない」隣村の百姓もいれば,「近村へ逃げていった」部落の妊婦を「屋根裏の藁のなかにかくまった」「懇意にしていた農民」もいるように,部落を襲撃した百姓の心理・意識は決して一様ではない。

この美作の解放令反対一揆だけでなく他県の騒擾においても,一揆に参加しなければ家や村を焼き払うと脅され,仕方なく参加した百姓も多い。逆に,小林久米蔵のように自らのプライドを傷つけられ憎悪を強く抱いた者や部落民の言動を増長と感じて苦々しく思っている者も多くいただろう。

百姓にも様々な考えや性格,人間性の者がいるように,部落民にも様々な者がいる。これは江戸時代であろうと明治・大正であろうと,現代であろうと同じだ。

「番人」や「目明かし」として村や町の治安維持に勤めた「穢多」の中にも,様々な者がいたように,命がけで尽くす「穢多」に感謝した百姓もいれば蔑んでいた百姓もいただろう。賤視されることで卑屈になった穢多や非人もいれば,自らの立場に誇りを持って差別を撥ね除けようと生きた者もいただろう。

百姓を画一的に捉えてはいけないように,穢多・非人などの被差別民も統一的・画一的に捉えるべきではない。多様な存在形態があった中にあって,さらに様々な考えや人間性をもった百姓の姿,穢多・非人の姿があったはずだ。
それを画一化して独断的に決めつけて論じること自体が間違っている。

このことは,現代においても同じである。

部落問題に関わらず,人間としての生き方・在り方の問題である。他者に対して同じ人間としての尊厳を認めず,揶揄・愚弄する人間(の心理)こそが「差別を残存させる根源」である。
自らの言動を顧みることなく,自らを「絶対視」する独善・傲慢こそが差別の温床である。

これは昔も今も変わらない。

posted by 藤田孝志 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月14日

日記

書物の数だけ思想があり,思想の数だけ人が居るという,在るがままの世間の姿だけを信ずれば足りるのだ。何故人間は,実生活で,論証の確かさだけで人を説得する不可能を承知し乍ら,書物の世界に這入ると,論証こそ凡てだという無邪気な迷信家となるのだろう。

小林秀雄「読書について」

小説や評論であるならば,作品は一人歩きするため,様々な解釈と分析・考察も可能である。作者の意図とは異なる論評もあるだろう。
だが,作者は人間である。現実社会に生きている人間である。作品から作者の人間性や人格など断定できるはずもない。

著書や論文から作者の思想や認識,価値観などを読解したり考察したりすることはできるだろう。
だが,著者の人間性や人格まで論究することはできない。それは批評家あるいは研究者として,あまりに傲慢であり不遜である。

たとえ著者が語りかけた講演録であっても,そこから如何に想像力を働かせて推察しようとも彼の人格や人間性までわかるものではない。にもかかわらず論じようとすれば,それは的外れな分析と無理な曲解による歪曲した考察に終始することになる。独断専行によるお粗末な結果となるだけだ。

しかし,世の中には片言隻句で他者の人格まで自分勝手な判断で決めつけて論じる人間もいる。自らの愚かさに気づかないのだろう。


「日記」から作者の人格や人間性について論評する人間がいるが,それさえも作者の側面でしかない。日記や手記は作者の内面の吐露ではあるが,その時の心情や感情,思念を書き綴っているにすぎない。そのような断片を寄せ集めても全体像が明確になるわけではない。

私は根本的に他者の「日記」には興味がない。ある意図や目的,よほどの興味がある以外には読むことはない。
他者の日記,それも没後に公開された日記を読むなど,どこか悪趣味的な感じがする。作品誕生の背景を考察する材料であったり,作者の言動の心理的背景を考察するためであったりする場合の他には,日記を通して知りたいと思うことはない。

公開を前提として書かれている「日記」(ブログなど)の多くは,作為的・意図的な記述でしかない。それは日記の体裁で書かれる「自己主張」「意見陳述」「提言」である。

だから,私はその類の「日記」が好きではないのだ。

手元に『神谷美恵子日記』(角川文庫)がある。ハンセン病に関連して買ったものだが,彼女の几帳面さ以外に読み取れるものはなかった。
他人の日常を記した日記などその程度のものだと私は思っている。なぜなら,公開を前提として書いていないからだ。ひとり自分のために書いているのだ。

私は日記や手記の類は公開すべきではないと思っている。確かに,作家や政治家などその個人を研究するため,あるいは政治的社会的影響が大きい決断事項の背景を解明するためという必要性の高い場合は,衆目に公開することもあるだろう。

だが,内容が個人的であり,非常に主観的な内容であるならば,他者のプライバシーに配慮する意味でも公開すべきではない。

本として出版する場合は,編集者の手によって厳密な校正と客観的な判断が下されているだろうが,Blogなどではその個人の主観的判断のみである。現状では,その個人の倫理観のみが基準である。
個人的な趣味や日常を「記録」として書き綴り,それを「公開」するのであれば害もないのだが,他者に対する誹謗中傷や揶揄・愚弄,独善的な解釈と非難,また他者の個人情報の暴露などは決して許されることではない。

他者の人権に配慮したルールやマナーは当然と思うが,現状でのネット社会は無秩序である。名誉毀損や人権侵害にあたることであっても規制したり監督する機関,プロバイダーのチェック機能が弱いため,垂れ流し状態である。それをいいことに,好き放題を書いている人間がいる。

私は,このことを最も危惧するのだ。

posted by 藤田孝志 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 断章と雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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